日本共産党が【軍事闘争】で起こした事件!
★都知事選挙で【共産党】と手をつなぐ『民ス党』の魂胆。
【四全協】 ・・・・1951年2月23日
【五四全協】 ・・・1951年10月16日
1.警察署等襲撃・・・・・・・火炎瓶、暴行、脅迫、拳銃強奪
2.警察官殺害 ・・・・・・・・伊藤巡査1951.12/26、白鳥警部1952.1/21
3.検察官・税務署、裁判所等【公官庁襲撃】・・・・火炎瓶、暴行
4.米軍基地、米軍駐屯地、米軍人・・・・・・・・車両の襲撃
5.デモ・駅周辺・・・・メーデー、吹田、大須と新宿事件を含む
6.暴行、傷害
7.学生事件・・・・・・【ポポロ事件】、【東大事件】、【早稲田大学事件】
8.【在日朝鮮人事件】・・祖防隊、民戦と民団との紛争、、2件
9.【山村・農山村事件】・・・・ 、、、1件
10.【その他】(上記に該当し無いもの、内容不明なもの、、、、1件
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総計 4件
日本共産党の武装闘争時代
【四全協】・・・・1951年2月23日
日本共産党の臨時中央指導部は、第4回全国協議会(四全協)行動方針を決定した。
★【武装闘争】方針を提議した!
シナ中共産やソ連から【武装闘争】を指令されても、本音では反対していた者も少無くない。
★1951年8/21の【20中委総会】で、『日本の開放と民主的変革を平和手段によって、達成しうると考えるのは間違いである!』、、網領を採択した。
10月3日には『我々は武装の準備と行動を開始し無ければ成ら無い』、、と発表した。
【五四全協】・・・・1951年10月16日
第5回全国協議会(五全協)で【武装網領】を決めた。
日本共産党の【テロ活動】
殆どの【暴力活動】は、朝鮮動乱(戦争)の休戦で終わった。
★多くの日本人は武闘に明け暮れる【共産党】に愛想をつかした!
★そして、【武闘路線】を強行して、苦汁をなめた【経験】が、後のソ連共産党やシナ中共産党からの自立につながった。
一方では日本共産党の【日和見化】
に納得出来無い若者達が、【革命的共産主義者同盟】➡後に、
【中核派】と【革マル派=枝野幸男】に分裂したり、、、
【共産主義者同盟(プント)】を組織し、【60年安保】や【70年安保】などの騒乱を繰り返す。
★【新左翼・過激派】の悪魔の誕生!
【朝鮮・休戦協定】後も、断続的に『悪事事件』は起きていたが、【暴力的・悪事】は目立た無く成った。
【共産主義者】が社会の各層に、静かに侵入(浸透)して行く【工作】が主流と成った。
参考にした人
樋口恒晴・常磐大学教授
【戦後 日本が受けた共産勢力の『侵略』 】
2014年6月号、、正論・・85p