自分が余り先も未来も無い気がしてきたので

 

生まれから、この先のことまで順番に記してみたいと思います。

 

67年3月生まれですが、もう少し親が我慢してくれたら

 

66年組ではなく、67年組になれたと感じたことはありますが

 

そのことで親を恨んだことはないし、ハンデも感じていません。

 

(因みに3歳年上の兄は3日間我慢出来れば・・・)

 

兄弟で似たような誕生日で、2日違いです。

 

さて、物心が付いたのが3歳とすれば、1970年です。

 

7歳まで育ったのは「尼崎市次屋」という場所で

 

文化住宅のアパートでした。両親と兄貴がいて

 

今思えば、とてつもなく「昭和」やなと思います。

 

母親曰く当時の家賃は「5千円/月」だったそうです。

 

給料が5万円位だったそうですから、それなりの割合やなと思います。

 

50歳の頃に「次屋」を訪ねてみたのですが、

 

跡形も無くなって、新しい「レオパレス」が・・・

 

親父は「鉄工所」に努めていて、家から直線距離で「20m」

 

あるかないかの距離でした。その距離を遠回りして

 

5分位かけて通勤していました。確か「第三福寿荘」という

 

アパートやったと思います。鹿児島出身の両親で

 

苗字はレアでしたが、兄貴のおかげで浸透はしてました。

 

但し、兄の存在が知られていない世界では

 

正しく呼ばれることなかったですね。

 

きっと兄貴も苦労はしたと思います。「おとうさん」と

 

呼ばれた記憶もあります。「お」は丁寧語として前に

 

つけたのでそう呼ばれたと思います。

 

今日はこの辺で・・・