最近少し悩み始めています
というのも
写真の歴史について少し本を読みまして
もともとPhotographという名前だったことを知りました
Photograph
ギリシャ語で光を書くことなのですが
真実を写すという写真と意味が違います
写真の前は光画などと呼ばれていたようですが
なるほど
こちらのほうがより「らしい」名前に思えてきます
で
ここからがデジタルの話
光画として語るのであれば
あくまで写真は画になります
写す人間が必要に応じて絞りやシャッター速度等を調整し
イメージ通りの画をフィルムに写していたわけです
これがデジタルになると
すべての調整をコンピューターが行い
人はシャッターというボタンを押すだけになりました
そうして得られたデーターは0と1の塊
モニターで表示すれば確かに写真と分かりますが
結局は0と1の塊です
この写真を光画として認識したとき
得られた画像がなんとも冷たく思えました
どんなに美しい花も
透けるように高い空も
重量感のある雲も
何かしらの記号でしかないように思えてならないのです
フィルム愛用者が根絶しないのは
無意識下でそういった考えがあるからではないでしょうか?
今後自分が進化するためには何が必要か?
今突き当たっている壁が少しだけ見えた気がします

三保の松原と言えば羽衣伝説で有名です
たまたま散歩中の地元の方に話を聞いたのですが
このあたりは国の保安林だとか
つまり国が管理をしている
ただ
地元の方曰く
「昔は綺麗だったのにどんどん松を植えて植えすぎてしまった
今ではありのままの綺麗さが見れなくなってしまった 」
管理は大事だけどやりすぎは考え物だ

誰かの作ったハートがあった
ハートが魂の象徴と言えるのなら
この石のハートは魂を持っていると言えるだろう

これが言葉通りの写真にならないのは
誰の目が見ても確かなこと
だとしたらやはり光画が正しいんだろうな・・・