があればがある。

 

 こんなことは、今更、私がここで書く必要もなく、周知の事実である。

 

 でも、意外と、実際のところは、みんな表からしか物が見えなくなる時がある。

 

 むしろ、裏は見るべきでないものとして、目を瞑って見ないようにしたりもする。

 

 (私の場合、裏D●Dには、目を凝らしますが・・・ 

 ↑今は、セクハラとかで、こんなことさえも、女性の前では言ってはダメなコトバ)

 

 今の世の中を見てると、みんな何かあると、すぐに正義の味方となって、

悪人をたたきまくる。

 

 ただ、その時、その悪人が、本当に悪い人間なのか、自分と同じ普通の人間なのかは、

その人たちの思考の片隅にも入っていないことが多い。

 

 みんな、仏陀キリストムハンマドの様な聖人にあこがれて

いるのか?

 

 自分が、本当に聖人であるならともかく、その時だけは、聖人になった

気になって、なんか、よく分からないけど、誰かが、こいつは悪い奴だと言った人間を、

皆と一緒になってたたきまくっている。

 

 皆が、そうしていれば、自分だけが責められないという、

保険があっての憂さ晴らし

 

 結局、自分が、他人をたたける安全な場所にいれば、

       正義の味方ヅラしてたたきまくるのは確かに楽しいですよね。

 

 いわゆる、イジメの最たるもの。

 これは、その昔、軽い権威の象徴であった、学校の教師たたきから始まったように思う。

 

 聖職という言葉で守られて、なんとなく、偉そうだけど、そうでもないような、面倒くさいこと言うだけの教師が、自分の親たちやマスコミなどの大人からたたかれている様を見た子供たちが、反論のできなくなった教師を標的として攻撃し、結果、強い者を打ち負かしたという優越感にエクスタシーを感じたのだろう。

 

 これにより、学校の規律は崩壊した。

 

 その後、そういう、学校の規律を取り戻すべく防御対策を整えた教師を、憂さ晴らしの対象とすることのできなくなったオトビ上がりのバカが、なんとなく虫の好かない、気持ちが優しく、反撃もしてきそうにない同級生に矛先を向けたのが、陰湿なイジメだと思う。

 

 これにより、バカの憂さ晴らしは、

表から裏に回り、学校の規律は回復した・・・様に表では見えるようになった。

 

 今、イジメの対象とされているのは、特に自分に関係のないアカの他人。

 

 だから、面白いから、まるで、自分も被害者になったような気になって、面白がって、被害者ぶってたたきまくる。その、たたいている先にいる人間の人格には、なんの配慮もなく・・・

こいつは、悪い奴だから・・・と、ほぼ、思考停止した頭で判断して。

 

 でも、自分が好きな人間が、同じような状況になると・・・裏から見ていた状況を急に改め、

表から見える状況だけで平然と擁護する。

 

 物事は、表裏一体ということを理解できていない人間は、

自分だけで、自分は聖人だと思っていても、

知らぬ間に666になってしまいますよ。