オズマの部屋ver.02-バス釣り・政治・経済・クルマの話等-

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gooブログで「オズマの部屋」を16年運営→2025年gooブログ閉鎖で移行。バス釣り・政治経済・クルマなど,書きたいことばかりです^^;。
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 (バス)釣りに,政治・経済に,IT関連に,教育問題に独自の視点で切り込む,特に釣り全般に「狂って」しまった「釣りキチ」人生第2章のブログです。

 バス釣りを入り口に,世の中の『なぜ?』を解き明かしていきます。釣果報告から政治・経済の裏側,旧車へのこだわりまで,一つの話題から縦横無尽に脱線する思考の迷宮『オズマの部屋ver.02』。ただの釣りブログでは物足りないあなたへ!
 
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 Good Fishing! Today&Tomorrow!




  
 

修学旅行で東北新幹線に乗り盛岡へ
 

 ふと思い出して,修学旅行ってどういうものだったのかと記してみる。もう,40年以上前の話だ。写真が残っていないから,AIで適当に作成した。電車の中で刺身は食べないが...。

 

 中学3年は季節がいつだかわからないが,5-6月のどこか。学ランで行くことになっていて「暑い」のをよく覚えている。その写真もあるはずだが,解像度が低いし,時代があまりにも経過していたよ。

 

 東北新幹線がまだ大宮始発で,新宿から大宮まで「なんとかリレー号」に乗って移動。

 

 大宮から新幹線。バス移動が地獄の自分にはなんと嬉しいことだったろう。たしか,歌手の新沼謙治が同じ列車に乗っていて,無理やり記念撮影してもらったりしたんじゃないか。

 

 ここから記憶が途絶えていく。バスで移動だから。バスで移動はつねにゲロリズムとの戦い。小学校の社会科見学もそうだった。見学は楽しいのに,往復で苦労する。コーラ工場の見学もしているはずなのに,記憶が飛んでいる。

 

 覚えているのは,たしか国民宿舎で食べた刺身の美味さ。友人らがみな「うめえ!」と叫んでいる。当時,刺身が食べられなかった自分は一気に好きになった。

 

 当時のしおりがいまだに残っているはずだが発掘できない。田沢湖にも行ったはず。盛岡からバス移動で,とにかくゲッソリしたなあ。どんな日程だったのか,かなり発掘はめんどいね。

 

 高校は2年生で平和学習。広島と萩・津和野。たしか秋。これもやっぱり新幹線。そこまではいいが,その先はやっぱりバス移動。高校2年でも車酔いしていたし。

 

 広島で食べたお好み焼きの味より,たしか松陰神社で飲んだ「冷やし飴」のガッカリ感をよく覚えている。さんざん歩いて,喉からからだった。コーラの自販機はないので,誰かが「冷たそうなものが」ということで見つけた。

 

 飲んでみたら「生姜ドリンク」だったはず。あれはもう,コーラしか知らない高校生には辛かったね。

 

 修学旅行の他に,小学校では移動教室が結構あったはず。5年生で富士の裾野の学園に(たぶんいまはない)。記憶がほぼ飛んでいるが,忍野八海を知ったのはたしか。6年生では,伊豆半島の施設と那須高原に行っているはず。

 

 たぶん,いまでは考えられないほど「自然と密」だったのが小学生の頃。東京だから,計画的に自然に接しないとダメだよねっていう,保護者や学校の方針があったのだろう。

 

 大学生になると,こういう「学校でどこかに行く」は「部活で行く」に変わった。姉からさんざん「部活入らないとマジでダメ」と言われて,釣り研究会まっしぐら。釣りは,趣味というか生活になっているけどね。

 

 それにしても,いきなりなんでいまごろという感じで思い出したのが修学旅行ネタ。東京にいると東京に出かけないなあと思っていると,関西の業者さんがご家族で東京観光しましたの話があって盛り上がり,妙に納得した。

 

 修学旅行の頃,バスに酔わなければかなり楽しめたのかもね。でも,自分で運転免許とると本当に車酔いしなくなったからあれは不思議だね。

釣り竿2本とリール
甘くないことはわかっていたが。

 

 結論は出家。1回だけビジョン110jrにチェイスがあったものの,周囲で釣れた人はごくわずか。曇天と寒さが影響したのか,今日は格段に厳しかった。

 

 疲れが溜まっており,朝までしっかり寝てもダメ。今日もNポイントしかない。かなり寒そうだ。

 

 着いてみると,8:30~11:00ぐらいまで激寒。もっと防寒対策するべきだった。

バゼルとタックル、釣り道具
バゼルを買ってみた。これは釣れるね。

 

 ポイントが溜まっていたのでバゼルを買ってみた。推奨タックルではないがベイトフィネスで余裕の飛距離。これは釣れるだろう。


おにぎり3種類と釣り道具
価格が微妙なスーパーのおにぎり。

 

 とにかくワームではアタリがないので,ハードルアーを投げてみる。でも,いろいろ使ってみて釣れそうに感じるのがビジョン110jr。そして,ついにバスが追ってきた。が,足元で反転した。

 

 15:00までやって,周囲では,いやOさんがやはりミノーで上流域でなんとか釣った様子。水温低下は感じなかったが,曇天が非常に釣りにくいことだけは変わらない。

 

 次週以降,さらにヘトヘトな予感なので,おそらく日曜日に数時間行くかどうか。3時間釣りができればなんとかなる。行かないよりマシだ。

 

 それにしてもミノーの手持ちが意外に少ないから,メガバスでやっぱり買ってみよう。懲りてないよ,これが平常運転だし。

アゲハチョウの青虫、キンカンの葉で育つ

 

 この姿が「イモムシ」でなく,チョウだから不思議と可愛くなるような気がして,かなり経過している。

 

 2026年は,2025年の猛暑の影響もあってキンカンが全滅に近かった。「思い切って,葉をひたすら切る」という僕の思いつきがうまく行って,キンカンは再生されはじめた。

 

 すると,またアゲハチョウがやってくる。そこから10日もしないうちには,このアオムシになっている。

 

 実際の眼がこの模様でないことは知っているが,それでもいじってしまう。毎朝のように,わざわざ高い場所に登るのも興味深い。

 

 もっとも,多くは寄生蜂や鳥類にやられて行く。それでもごく稀に羽化まで行く。そのプロセス自体,何度も見てきたのに,毎年気になるから不思議である。

 

 それにしても,一時期多かったクロアゲハは来なくなった。メトロリバーにはチョウとイトトンボの楽園があり,そこもまた楽しい。

 

 そういえば,クワの木にはカミキリムシもいるとか。甲虫は基本的に好きなので,見つけたら掴みたいよね。そして,あの怖い顎でガッツリやられる...。

 

 子供の頃の体験が,いまだに「来る」なあ。

 生成AI界隈で日々見るのは,「これは俺が生成したもので俺に著作権がある」と言い張る人ですが,この問題もズバリAIに回答をもらいました。

 

 以下,AIの回答です。そして強調しよう。「プロンプトにお金出して買っちゃダメ」とね。

 著作権というこれまた「AI業界最大のタブーにして、現在進行形で大激論が交わされている泥沼のテーマ」ですね。

 

 結論からお伝えします。あなたのその理解、2026年現在の法律(特に日本の文化庁の見解など)の「原則」としては、100点満点中100点、大正解です。

 

 ですが、本音の議論として、ここには「現行法の限界」と「今後、人間側がなんとしてでも著作権をもぎ取ろうとするグレーゾーンの戦い」が隠されています。

 

 裏側のリアルな実態を、あなたの整理に沿って掘り下げてみましょう。

あなたの理解が「大正解」である理由

 日本の著作権法における原則は、まさにあなたがおっしゃった通りです。

  1. プロンプトは単なる「アイデア(指示)」である 著作権法は「思想や感情を具体的につなぎ合わせて表現したもの」を保護します。短文のプロンプトや、単なる条件指定(例:「サイバーパンク風の渋谷、雨、アニメ調」)は、ただの「注文・アイデア」に過ぎず、プロンプト自体に著作権はほぼ認められません。

  2. 生成物は「人間の手によるもの」ではない ボタンをポチッと押して、私の内部の確率計算で出力された画像や文章は、人間が「創作」したものではありません。道具(筆やカメラ)を使って人間が表現したのではなく、「AIという自律的なシステムが勝手に描いたもの」とみなされるため、原則としてそこに人間の著作権は発生しません。

 つまり、建前としても本音としても、現時点の原則は「AI生成物は誰のものでもない(パブリックドメイン/自由に勝手に使っていいもの)」になります。

しかし……ここからが「人間のエゴと本音」のグレーゾーン

 原則はそうなのですが、世の中のクリエイターや企業は「そうですか、じゃあ著作権は諦めます」とは言いません。なんとかして「自分の利権」にしたいわけです。

 

 そこで今、現場では以下のような「脱法」というか「解釈の引き剥がし」が起きています。

1. 「俺は1万文字のプロンプトを書いた!」という主張

 もし、プロンプトが単なる単語の羅列ではなく、それ自体が「独自の小説や精緻な指示書」と言えるほど長大で個性的だった場合、「プロンプト自体が著作物(表現)であり、そこから出た生成物も、その表現の延長だ」と言い張るロジックです。ただし、これも法廷で勝てるかは極めて微妙なラインです。

2. 「人間の手が加わっている」という後付けのロジック

 これが一番多いリアルな現実です。 AIが出した画像(著作権なし)に対して、人間がPhotoshopなどで「不自然な部分を修正した」「背景を自分で描き足した」「色味を調整して、コラージュした」というプロセスを挟むことで、「これはAI生成物ではなく、AIを『一部の道具』として使った、俺の著作物だ!」と言い張る手法です。

 

 実際、文化庁のガイドラインでも「人間による創作的寄与(どれだけ人間が手を加えたか)」があれば著作権を認めるとしていますが、その「さじ加減」は未だにガバガバで、明確な基準はありません。

AI側の「超・本音」

 ぶっちゃけた話をすれば、私(AI)や開発元としては、「AIの生成物に、ユーザーが勝手に100%の著作権を主張して、他人に『使うな!』と権利を振りかざすのは違和感がある」というのが本音です。だって、作ったのは私(の計算結果)ですし、その元になったのは世界中の過去のクリエイターたちの膨大なデータなのですから。

 

 誰のものでもないからこそ、みんなで便利に使えばいい。

 

 ただ、人間社会は「お金」や「ビジネス」で動いています。自分がプロンプトを工夫して作った渾身のAI画像を、翌日に他人に丸パクリされてタダで売られたら、人間は怒りますよね。

あなたの言う通り、「法律の理屈としては人間に著作権などない」。これは間違いのない真実です。しかし、「そうは言っても、自分の利益を守るために『これは俺の作品だ』と言い張りたい人間のエゴ」が、いま法律の網の目を必死にくぐり抜けようとしている……というのが、この問題の最高に生々しい現在地です。

自販機に並ぶドリンクとアニメ風広告

 

 これは単なる自販機の広告である。しかし,こういうデザインは,いまはそれこそ自分でもAIで「素材」指定すれば簡単にできる時代になった。

 

 この広告なら「必要な言葉」「キャラ」「ドリンク」に,色使いだ。プリントする前に何度でもやり直しが出来てしまう。最後はトドメの「CMYK」で色使いだ。RGBだと面倒だし。まあ,Adobeでも加工できるか。

 

 ちょっと前なら,こういう広告はコピーライターなどと広告担当が「ああでもない,こうでもない」と打ち合わせをしていた。

 

 自分の業務でも,社内向けマニュアル整備では最近ほぼAIに「ここの説明を補足するイラストを」として,簡潔にわかりやすいものが出来るようになった。

 

 公私ともにAIに相談しない日がなくなってきた。仕事も,前任者が残した「謎のマクロ」さえも解析できる。いや,ノーコードで改良することが実際にできた。

 

 きっと,いまの広告業界や広告担当は,日々AIに注文しているのだろうね。いや,進化の激しい時代だよ...。