ふと思い出して,修学旅行ってどういうものだったのかと記してみる。もう,40年以上前の話だ。写真が残っていないから,AIで適当に作成した。電車の中で刺身は食べないが...。
中学3年は季節がいつだかわからないが,5-6月のどこか。学ランで行くことになっていて「暑い」のをよく覚えている。その写真もあるはずだが,解像度が低いし,時代があまりにも経過していたよ。
東北新幹線がまだ大宮始発で,新宿から大宮まで「なんとかリレー号」に乗って移動。
大宮から新幹線。バス移動が地獄の自分にはなんと嬉しいことだったろう。たしか,歌手の新沼謙治が同じ列車に乗っていて,無理やり記念撮影してもらったりしたんじゃないか。
ここから記憶が途絶えていく。バスで移動だから。バスで移動はつねにゲロリズムとの戦い。小学校の社会科見学もそうだった。見学は楽しいのに,往復で苦労する。コーラ工場の見学もしているはずなのに,記憶が飛んでいる。
覚えているのは,たしか国民宿舎で食べた刺身の美味さ。友人らがみな「うめえ!」と叫んでいる。当時,刺身が食べられなかった自分は一気に好きになった。
当時のしおりがいまだに残っているはずだが発掘できない。田沢湖にも行ったはず。盛岡からバス移動で,とにかくゲッソリしたなあ。どんな日程だったのか,かなり発掘はめんどいね。
高校は2年生で平和学習。広島と萩・津和野。たしか秋。これもやっぱり新幹線。そこまではいいが,その先はやっぱりバス移動。高校2年でも車酔いしていたし。
広島で食べたお好み焼きの味より,たしか松陰神社で飲んだ「冷やし飴」のガッカリ感をよく覚えている。さんざん歩いて,喉からからだった。コーラの自販機はないので,誰かが「冷たそうなものが」ということで見つけた。
飲んでみたら「生姜ドリンク」だったはず。あれはもう,コーラしか知らない高校生には辛かったね。
修学旅行の他に,小学校では移動教室が結構あったはず。5年生で富士の裾野の学園に(たぶんいまはない)。記憶がほぼ飛んでいるが,忍野八海を知ったのはたしか。6年生では,伊豆半島の施設と那須高原に行っているはず。
たぶん,いまでは考えられないほど「自然と密」だったのが小学生の頃。東京だから,計画的に自然に接しないとダメだよねっていう,保護者や学校の方針があったのだろう。
大学生になると,こういう「学校でどこかに行く」は「部活で行く」に変わった。姉からさんざん「部活入らないとマジでダメ」と言われて,釣り研究会まっしぐら。釣りは,趣味というか生活になっているけどね。
それにしても,いきなりなんでいまごろという感じで思い出したのが修学旅行ネタ。東京にいると東京に出かけないなあと思っていると,関西の業者さんがご家族で東京観光しましたの話があって盛り上がり,妙に納得した。
修学旅行の頃,バスに酔わなければかなり楽しめたのかもね。でも,自分で運転免許とると本当に車酔いしなくなったからあれは不思議だね。





