約40年前は「三流校」と言われた母校が,いまや「Fラン」大学となっている。偏差値だけで見ればその通りである。
だが,あまりにも極端過ぎる「Fラン大学不要論」には疑問を呈する。それは,仕事で「Fラン大学・副学長」まで務めた方と親交があったからだ。
結論から言えば「Fラン大学に求められるのは,教育」ということだ。
たしかに,自分が高校生だった1980年代後半は,そもそもFラン大学が存在せず,いまのような少子化社会ではなかったから「浪人があたりまえ」だった。高校の友人で,浪人して大学に行けなかった者は専門学校に行ったろうし,中学の時点で職業訓練校に行った者だっている。
一番重要なのは「本人の意思」であることに異論はないはずだ。本人がどこまでやるか・やらないか,それ次第である。
Fラン不要論を言い出すのは,あくまで想像だが,一流ないし二流大学までは出て,実社会でそれなりに活躍している人だろう。でも,自分の会社では,東大やら早稲田出身の人々が居たりするが,正直「どうかしている」人が就職してもくる。
どんなに学力が高くても,微積分計算ができても,電話応対・メール応対ができない人たちが居る。その一方で,出身に関わらず,すばらしい対応ができる人たちがいる。
要は,Fラン大学で行う「教育」は,「社会人になるための教育」なのだ。
事実,リメディアル教育として「高校までの復習」を1年次に行う大学は多い。分数計算(通分)ができなくても高校卒業は出来てしまうし,不等式が解けなくても高校卒業は出来てしまうからだ。
不等式が解けない・わからないは「数の大小が比較できない」ということであり,通分ができないと「分母の意味がわからない」から,まさに情弱になってしまう。
そこを埋めるための教育が行われているのだ。
専門学校は,やはり「職業予備校」であり,「職業を意識して」行くなら有益だが,単なる時間稼ぎにはかえってよくないだろう。 高卒だってピンキリだ。
たしかに,私学助成金・固定資産税の問題もあるが,一律に「Fラン大学は不要」とまで言い切るのは乱暴だ。
同様に,通信制高校の需要も意味がある。池袋にも多数の通信制高校キャンパスがある。その意味は,「親が居て」「普通に通学できて」と,恵まれた生活を送ってきた人々には想像がつくものではないだろう。
夜間中学もあるし,定時制高校もある。夜間の専門学校があって,昼間定時制高校もある。
教育を受けたい生徒も様々なら,おかれた環境もさまざま。やっぱり重要なのは「生徒本人の意思」であることに間違いない。
偏差値だけで見ていると見えない世界が,いま,ここにあるのだ。











