天童荒太さんの
迷子のままで
身近な人がいなくなっても、生きている人は、生きていく。
なんために?を時折模索しながら。
立ち止まったり、進んだり、後ずさったり。
いなくなった人は、心の中に残っていて、時折、出てくるんだなあ。と思う。
中で紹介していた、伊丹万作さんの文章が心に痛いです。
「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
「だまされていた」と言わない生き方をしたいです。
