毎回一時帰国するたびに、悲しくなる理由。
やっぱり、長年家族ぐるみで仲良くしてくれているお友達やワタシの大好きなおじいちゃん、ママよりノンノンが気が合うというワタシのお姉ちゃんとその娘ちゃん、自分の両親と旦那の両親。
自分達なりの色々な考えがあって、最終的に、オーストラリアへ行ってみる決意を6年前にしたんだけれど、離れてみて、飛行機で9時間といはいえ、気軽に帰れる距離でも交通費でもないので、身近にいた人たちと気軽に会えない距離感に私たち自身も寂しくなることがしばしば。
ノンノンの幼馴染の男の子兄弟、幼馴染の女の子、お姉ちゃんの娘ちゃん、おじいちゃん、両親達。
1年ごとの再会は、大きい。
今回、2年ちょっと会わなかったので、とても大きく感じた。
おじいちゃんは、仙人のよう。
あまり大きく年をとってないように感じたけど、話し出すと、戦前からの話。
ポンポンが大好きな機関車だって、おじいちゃんは、その時代をよく知っているし、鉄道整備士だったおじいちゃんのジオラマに夢中だった。
ノンノンの幼馴染のママ友ちゃんは、いつも帰るたびに、その年数を感じさせないぐらい、いつも、元気~?って笑顔で迎えてくれる。
お互い、子育てと生活に追われているから、そんなに電話やメールで話す時間もないのに。
子供達の成長は、この2年とても大きかった。
見た目は大きくなっても、またすぐに仲良しさんで、子供達だけで遊びに出かけられるお友達が、また日本にいて、本当に嬉しい。
両親たちもやはり自分達と同じように年をとったんだなって感じた。
自分にも白髪が出てきたぐらいだから、それは両親もそうだよな。
なのにいまだ私たちは自分達の暮らしに精一杯で、たまに会いに帰って顔をあわせるごとぐらいしか何もしてあげられていない。
どちらの両親も理由があって、気軽に海外に今は行けないので、オーストラリアへは1度来ただけで、自分達が行くしかない。
外国人と結婚したのなら、お互いもう少し覚悟もするだろうし、仕方がないと思えるかもしれないけど、そうではない私たちの選択が、家族に複雑な思いをさせていることが、日本に帰るときの一番悲しい理由。
おじいちゃんが、また帰ってきね。待ってるよ!って、ずーーーーっと小さくなるまで、手を振り続けているのを見るときは、本当に胸が張り裂けそうな気持ちでいっぱいになる。
電話するたびに、笑いながら、大丈夫。100歳まで頑張るから。って言ってくれるけど、お別れの握手をするとき、力強く、待ってるよ。は涙ぐんでいる。
移民の多い国では、みんな、色んな国で家族がバラバラに暮らしているから、それが当たり前だから仕方がないよねって思うわずにいられないそうだけれど、日本人で、そういうグローバルに家族が広がっている人たちは、当たり前なほどは多くないと思うから、いくら自分達の選択した道とはいえ、複雑な思いを持ち続けている人は少なくないと思う。
問題は、
日本という国は、2カ国籍が取れないから、他国の永住権を保持し続けるには、その国に一定の期間は住み続けなければならない。
他国の人は、母国とオーストラリアを家族の状況により、仕事をそれぞれで見つけて、行ったりきたりする人も少なくないが、日本では、簡単に仕事を得られるところではないので、気軽に帰れない。
親を呼び寄せることは出来るけど、年老いてから、とくに英語圏ではない日本人が海外でゼロから暮らすというのは、私たち以上に勇気のいることである。
自分たちも海外に骨を埋める覚悟もまだないけど、もう若くもないから、日本に帰ってゼロからスタートも不安。
5年半かけて、ダダがゼロからのスタートで、だいぶ難しくなってきた永住権を取得できたことは、とても嬉しかったし、ここからが、この国でのスタートだという気持ちもありながら、いつも頭の中にあるこのことに、どうしていいのか答えが出せないままにいるのも現実です。
帰ってきてから、だいぶ日本シックで、疲れもあって、引きこもり気味だったときに、公園で久しぶりに会ったプレイグループのママさんが、うちと同じで、日本人夫婦で、日本へちょっと前に帰ったときに、同じことを考えてたと聞いて、悩みが共有できて嬉しかったな。
実際に、永住権を持っていて、私と同じ悩みから、日本へ家族で永住帰国をする道を選択したママさんもいたな。元気かなぁ。
オーストラリアへ来た目的のひとつ。
娘の教育
人生の選択支を広げてあげたい。
色んな目線から物事を見て、判断でき、日本語でも英語でも自分の考え、思うことを表現できる人に育ってほしい。
中学1年生になったばかりだし、志半ば。
彼女の大きな選択の1つは、まだこれから。
すぐには答えは出せない問題だけど、もう少し猶予がほしいです。
出来ることなら、大好きな人たちみんなを地震のないオーストラリアに呼びたい。

