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ポンポンのお友達に弟が誕生しました![]()
1ヶ月しか離れていないのにポンポンをお世話してくれるSちゃん。
優しいお姉ちゃんになるね。
うちの長女、ノンノンが2才半ぐらいの頃、それはそれは毎日1人育てることに必死で、兄弟なんて考えられなかったから、我が家は、凸凹な9才年の差兄弟になってしまいましたが、普通なら、こうして兄弟が次々と出来ていくのだと、改めて、お母さんはすごいなぁと思った1日でした。
出産も大変なことだけど、出産後のほうが大変なんだろうな・・・。
海外での子育て。
自分達の身内が近くにいない分、困ったときは、お友達に頼るしかありません。
そして、2年ぶりに行ったこのホスピタルの病棟。
ポンポンも一緒にお見舞いに行ったお友達のL君もみんな、ここで産まれました。
とっても懐かしい。
ポンポンの出産の時のことを思い出しました。
ポンポンは、1月5日の朝6時45分に生まれました。
ニューイヤーホリデー中、なせだか、スーパー出産ラッシュだったんです![]()
分娩室はお部屋も満室で、
分娩室が空いていないから、4分間隔になるまで、病院に来ないで!
と言われ、お部屋が空いた時点で、病院に行きました。
部屋に入れたものの、間隔は狭くなっても産道が開かなかったから、ほっておかれました![]()
他の妊婦さんの出産に追われ、ナースコールを鳴らしてもすぐには来てもらえないほどの出産ラッシュの1日だったので、とりあげる助産婦さんも機嫌が悪かった![]()
病院に行く前までは、痛みに耐えるために、笑気ガスをお願いしようと決めていたのに、すっかり忘れてしまい、ただただ、痛みを逃すので必死で、病院の対応に不満でした。
結局、元旦におしるしが来て、陣痛らしき痛みが始まってから、5日目だったので、寝不足と疲れで、半分意識がもうろうとし始めた頃、部屋に様子を見に来たナースさんが、ポンポンの心音が弱くなっていると慌てて、ドクターを呼んで、人工破水させて、陣痛促進剤を打ったら、産道が開き、ポンポンの頭が半分ぐらいで出てこないので、助産婦さんに教わり、旦那がポンポンの頭を回転するのにあわせて、頭をつかんで、ぽこーんと生まれてきました。
へその緒も旦那がきりました。
オーストラリアでは、産後すぐに分娩室にあるバスルームでシャワーをあびるように言われるのですが、シャワーをあびようと分娩代から起き上がって、立ち上がった瞬間、ワタシは倒れて、意識がとんでしまいました![]()
ワタシは意識がとんでいた間、自分を上から見下ろし、走馬灯のように自分の人生のいくつかの場面をパパパッと見て、それが終わったときに、パッと目が覚めるという不思議な体験をしました。
旦那は、ほんの数分の出来事だったというのですが、ワタシの感覚では、数時間経って目が覚めた感じで、あれはなんだったんだろう。。。と今でも忘れられません。
あの世に行ってしまったのかなと思いました。
結局、オーストラリア流にシャワーをあびれず、点滴をしながら、分娩室で半日寝て過ごしました。
ポンポンは、誰にもケアされず、おっぱいもミルクも飲まず、半日一緒に寝ていたのも、今となってはビックリな出来事です。
おかげで、数日後、黄疸がひどくなり、フォトセラピーという光で黄疸をとる治療を受けることになりました。
産後3日で退院し、2日後、また再入院をすることに。
ナースさん曰く、産後、オーストラリアでは、お母さんのサインがないと、勝手に粉ミルクを病院の判断で与えてはいけなかった。⇒実際、黄疸のときに、ミルクを飲ませようということになり、サインをさせられました。
病室が空いていなかったので、分娩室から、ベビーケアをするナースさんのいる病棟に移せなかったと。
病室に移ってからも、満室で、夜中もナースさんたちは大忙しで、勝手が分からず、入院中、ポンポンは入浴が出来ず。 退院後、ベビーバスなどを借りて部屋で入れてよかったことを友だちに教えてもらいました。
日本の病院みたいに親切にあれこれと教えてもらえないから、自分で聞かないとどうしていいか分からずです。
初めてのお産の時は、マタニティクラスに行ったり、ホスピタルツアー(分娩室や病棟を一通り見せてくれるそう)に行ったほうがいいなと後で思いました。
二人目だからいいわと思ったけど、国も場所も違うと、ほんと分からないことだらけでした。
あの時は、二度とこのホスピタルでお産はしたくないー!と思ったけど、もう産む予定はないし、今となっては、そんなハプニングもいい思い出になりました。

