ミルクがいない生活になんとなく慣れてきて、
寂しい毎日は相変わらずだけど、
気持ちを
「いつか帰ってくるさ。
きっと今頃可愛い彼女探しの旅にでも出てるんだ。
そしてそのお嫁さんと一緒にいつか私のところに帰ってきて、
家中ぴーぴーうるさくなるんだ」
と言い聞かせ半分、思うようにする半分、そんな感じ。
不思議なもので、
そう信じることで少し気持ちが楽になる。
空っぽのカゴを毎日眺めつつ、
それも寂しいので、同じベランダにプランターを2つ。
また家庭菜園を始めました。
朝と夕の水遣りをしながら、
おまけみたいに空のカゴを眺めてみる。
「今日もいないかぁ。」
とふと寂しさを感じつつ、
確実に芽吹き出している新しい生命の力に少し後押しされて。
結婚して確実に変わったのは、
そういう風に考えられるようになったところかも。
誰かが常に一緒に考え、行動してくれる。
こんなありがたいことは無いかも知れないね。
旦那様に日々感謝です。
そう言えばこの間、くるみをドッグランに連れて行ってみました。
深大寺という公園が私の家から自転車で5分程度のところにあり、
そこには大型犬、中型犬、小型犬と分かれたドッグランがあります。
小さい頃は(今でも小さいが)、誰にでも愛想を振り撒いて、
他のわんちゃんにもすぐ寄って行ってたくるみちゃんなのに、
ここ最近、人が通れば固まる。
自転車通れば固まる。
犬が通れば固まる。
全部、見えなくなるまで固まる始末。
これはいかん!社交性がなくなってる!
と思い立ち、平日のお休みを利用して行って参りました。
急にたくさんの犬がいるところ(土日)に連れて行ったら、
それこそ恐怖症に拍車がかかると思ったので。
ジャックラッセルテリアの女の子(4歳)がしかいなかったので、
試しにそこに入ってみた。

遠くから見てるだけー。
呼ぶ。

振り向くだけー。
そして挙句、ジャックラッセルに吼えられまくり、
追いかけられまくり、
尻尾巻いてどんどん角へ逃げる逃げる。
元来吼える子は苦手のくるみちゃん。
ジャックラッセルちゃんは遊びたい、においを嗅ぎたいだけなのに、
この子は逃げるだけ。
つか、逃げるならもっとフェンス越し走るとかすればいいのに、
わざわざどん詰まりの角へ角へと逃げるw
仕方ないので、隣の誰もいない小型犬スペースへ。

やっと本領発揮なのか、土のにおいを嗅いでみたり、
呼ぶと走り回ってみたり、
私が走ると追いかけっこしてみたり。
1時間くらいそうして遊んでたら、隣のスペースに今度は、
イタリアングレーハウンドとミニチュアピンシャーが。
様子を伺うくるみちゃん。
興味はどうやらあるらしい。
ので。。
連れて行ってみたところ。。
やっぱりジャックラッセルに追い回されるw
ところが!
そのくるみの危機を見かねたのが、
母性本能がすごく強い性格の持ち主だという
イタリアングレーハウンドちゃんが、
くるみを救うべく、ジャックラッセルちゃんに
「わん!!!!」
と一喝!
するとどうでしょう。
これまでのくるみへの暴挙(じゃないw)がぴたっと止まったジャックちゃん。
「さーせん(´;ω;`)」
と言わんばかりにグレーハウンドちゃんに向かってお腹ころん。
それ以降くるみを追いかけることはなくなりました。
犬の社会は上下関係厳しいからね!
それにしても、グレーハウンドちゃんの母性には感動感謝。
くるみを育てたわけでもないのに、その状況を察知してくれたんだね。
それからはもう少し遊べるようになるかな?
と思って、抱っこをせがむくるみを無視してたら、
グレハンのパパに抱っこをせがんでたくるみちゃん。
ずっと抱っこされてご満悦なくるみちゃん。
あのね、ドッグランはね、ドッグがランするとこなのね。
よく分かってないようなので、
しばらく通おうと決意した今日この頃なのでしたー。
ホント内弁慶な可愛い娘です。
それから。
私の祖母(母方)が余命2ヶ月くらいとなりました。
1ヶ月ほど前に大腸がんが見つかり、
直後に開腹手術を受けたのですが、
開けてみたら「種をまいたように」そこら中に転移していたそうです。
年ももう90近いので、
子供たちの判断で、本人には大腸がんであることは告げたものの、
手術は成功したという事実のみしか伝えていないようです。
よって、抗がん剤の投与もなし、余命の告知もなしです。
こんなことがあって最近ますます思うんです。
もし自分がそういう状態になったら、どうして欲しいんだろうって。
もちろん自分の年齢や積み重ねてきた人生などにも寄るんだろうけど、
今もし自分がそうなったら、当然私は余命告知して欲しいなって。
遣り残したことがあれば、もしかしたら出来るかも知れない。
でも多分それは、私がまだ若いからなのかも知れない。
決して、余命告知をしないと決めた母と叔父を責めてるわけではなくて、
むしろそんな気持ちは全く無くて、
でももし自分がそうなったら、とか、
もし自分の両親がそうなったらどうして欲しいんだろうか、とか、
色々考えるわけです。
すい臓がんで余命3ヶ月と言われた大切な友人が、
結局4年近く生きた例もあったりするわけで、
気持ちの持ち方ひとつだったり、周りの助けひとつだったりで、
その後の生き方ってかなり違うような気がしてるんです。
両親にも聞いておかないとね。
どうして欲しいのか、って。
久しぶりに書くと長くなるねー。
読むのお疲れ様でした!
寂しい毎日は相変わらずだけど、
気持ちを
「いつか帰ってくるさ。
きっと今頃可愛い彼女探しの旅にでも出てるんだ。
そしてそのお嫁さんと一緒にいつか私のところに帰ってきて、
家中ぴーぴーうるさくなるんだ」
と言い聞かせ半分、思うようにする半分、そんな感じ。
不思議なもので、
そう信じることで少し気持ちが楽になる。
空っぽのカゴを毎日眺めつつ、
それも寂しいので、同じベランダにプランターを2つ。
また家庭菜園を始めました。
朝と夕の水遣りをしながら、
おまけみたいに空のカゴを眺めてみる。
「今日もいないかぁ。」
とふと寂しさを感じつつ、
確実に芽吹き出している新しい生命の力に少し後押しされて。
結婚して確実に変わったのは、
そういう風に考えられるようになったところかも。
誰かが常に一緒に考え、行動してくれる。
こんなありがたいことは無いかも知れないね。
旦那様に日々感謝です。
そう言えばこの間、くるみをドッグランに連れて行ってみました。
深大寺という公園が私の家から自転車で5分程度のところにあり、
そこには大型犬、中型犬、小型犬と分かれたドッグランがあります。
小さい頃は(今でも小さいが)、誰にでも愛想を振り撒いて、
他のわんちゃんにもすぐ寄って行ってたくるみちゃんなのに、
ここ最近、人が通れば固まる。
自転車通れば固まる。
犬が通れば固まる。
全部、見えなくなるまで固まる始末。
これはいかん!社交性がなくなってる!
と思い立ち、平日のお休みを利用して行って参りました。
急にたくさんの犬がいるところ(土日)に連れて行ったら、
それこそ恐怖症に拍車がかかると思ったので。
ジャックラッセルテリアの女の子(4歳)がしかいなかったので、
試しにそこに入ってみた。

遠くから見てるだけー。
呼ぶ。

振り向くだけー。
そして挙句、ジャックラッセルに吼えられまくり、
追いかけられまくり、
尻尾巻いてどんどん角へ逃げる逃げる。
元来吼える子は苦手のくるみちゃん。
ジャックラッセルちゃんは遊びたい、においを嗅ぎたいだけなのに、
この子は逃げるだけ。
つか、逃げるならもっとフェンス越し走るとかすればいいのに、
わざわざどん詰まりの角へ角へと逃げるw
仕方ないので、隣の誰もいない小型犬スペースへ。

やっと本領発揮なのか、土のにおいを嗅いでみたり、
呼ぶと走り回ってみたり、
私が走ると追いかけっこしてみたり。
1時間くらいそうして遊んでたら、隣のスペースに今度は、
イタリアングレーハウンドとミニチュアピンシャーが。
様子を伺うくるみちゃん。
興味はどうやらあるらしい。
ので。。
連れて行ってみたところ。。
やっぱりジャックラッセルに追い回されるw
ところが!
そのくるみの危機を見かねたのが、
母性本能がすごく強い性格の持ち主だという
イタリアングレーハウンドちゃんが、
くるみを救うべく、ジャックラッセルちゃんに
「わん!!!!」
と一喝!
するとどうでしょう。
これまでのくるみへの暴挙(じゃないw)がぴたっと止まったジャックちゃん。
「さーせん(´;ω;`)」
と言わんばかりにグレーハウンドちゃんに向かってお腹ころん。
それ以降くるみを追いかけることはなくなりました。
犬の社会は上下関係厳しいからね!
それにしても、グレーハウンドちゃんの母性には感動感謝。
くるみを育てたわけでもないのに、その状況を察知してくれたんだね。
それからはもう少し遊べるようになるかな?
と思って、抱っこをせがむくるみを無視してたら、
グレハンのパパに抱っこをせがんでたくるみちゃん。
ずっと抱っこされてご満悦なくるみちゃん。
あのね、ドッグランはね、ドッグがランするとこなのね。
よく分かってないようなので、
しばらく通おうと決意した今日この頃なのでしたー。
ホント内弁慶な可愛い娘です。
それから。
私の祖母(母方)が余命2ヶ月くらいとなりました。
1ヶ月ほど前に大腸がんが見つかり、
直後に開腹手術を受けたのですが、
開けてみたら「種をまいたように」そこら中に転移していたそうです。
年ももう90近いので、
子供たちの判断で、本人には大腸がんであることは告げたものの、
手術は成功したという事実のみしか伝えていないようです。
よって、抗がん剤の投与もなし、余命の告知もなしです。
こんなことがあって最近ますます思うんです。
もし自分がそういう状態になったら、どうして欲しいんだろうって。
もちろん自分の年齢や積み重ねてきた人生などにも寄るんだろうけど、
今もし自分がそうなったら、当然私は余命告知して欲しいなって。
遣り残したことがあれば、もしかしたら出来るかも知れない。
でも多分それは、私がまだ若いからなのかも知れない。
決して、余命告知をしないと決めた母と叔父を責めてるわけではなくて、
むしろそんな気持ちは全く無くて、
でももし自分がそうなったら、とか、
もし自分の両親がそうなったらどうして欲しいんだろうか、とか、
色々考えるわけです。
すい臓がんで余命3ヶ月と言われた大切な友人が、
結局4年近く生きた例もあったりするわけで、
気持ちの持ち方ひとつだったり、周りの助けひとつだったりで、
その後の生き方ってかなり違うような気がしてるんです。
両親にも聞いておかないとね。
どうして欲しいのか、って。
久しぶりに書くと長くなるねー。
読むのお疲れ様でした!