自分と付き合い、向き合っていくのってなかなか難しい。
戦うって言葉は私はどのような状況においても大嫌いで、戦うことに意味なんて全くないというのが自論です。
もちろん経験に基づいたことです。
私の過去、色々とあります。
例えば2度流産(未婚)したこと。
命を守ってあげられず、しかも戸籍にも残せないばかりか、お墓すら立ててもあげられず、私の手元に残ったのは、初診から数週間の間に撮られたエコーの写真のみ。
小さな心臓が鼓動を打つのを見たのがただ1度だけ。
私はこれを「業」とも呼ぶし、「罪」とも呼びます。
この辛さから私の病気に拍車がかかり、そして私は戦いました。
母となった経験がある以上、守ってあげられなかった小さな命を今度こそ守るため、侮辱を受けているその命のために私に出来得る限りの方法で戦いました。
でも結局何も変わらなかったし、私のことも相手のことも裁いてはもらえなかった。
2年間自分を責め続け、そのたびにその心と戦い、相手とも戦い、そうやって過ごしてきた。
時に信じてもいない、いるかも信じてすらいない神にも祈った。
どうか私と天国にいる赤ちゃんを守ってくださいと。
でも叶う事はなかった。
だから私はあるときからもう戦うことをやめた。
自分を受け入れ、見つめ直し、とりあえずは病気と仲良く付き合っていこうと決めた。
そのきっかけをくれたのは、3年前に亡くなった私の大切な人の最後に残した言葉だった。
「病気なんていうのはね、自分の中にあるワガママな子供みたいなものでね、戦っちゃ駄目なのよ。
仲良く付き合っていけばいつか大丈夫だから。」
余命3ヶ月と告げられてから、彼女は闘病するのではなく、その体を蝕むガンと付き合い続け、3年も生きた。
2年戦って苦しくてもがいて、何度も自殺未遂を繰り返した私は、今それでも生きていることに理由があるのかもしれないと気付いた。
そして彼女の言葉を思い出した。
そうだ、仲良くすればいいんだ。
私が守ってあげられなかった赤ちゃんがきっと、本来この腕に抱いてあげながら聴いてあげるべきだったそのワガママを、今私の心の中で生き続けながら成長している証拠だって。
生きていれば1歳になる双子か、あるいは8ヶ月位の赤ちゃんがこの腕にいたはずだから。
言葉になかなかならない泣き声や笑い声できっと私にそのワガママを伝えようとしてる、伝えようとしていた、って。
私が今生きている意味をくれているのは、友人であり、家族だったり、親戚だったり、おばちゃんの残した言葉や彼女の子供だったり、目に見えないものでもあったり、そう例えば音楽だったり本だったり。
私はもう何とも戦わない。
誰とも戦いたくない。
実際人とは戦ってしまうけれど。
尊重しあって生きて生きたい。
だって私にとって友達は、宝物だから。
何よりも信じている大切な大切な真情だから。
戦うって言葉は私はどのような状況においても大嫌いで、戦うことに意味なんて全くないというのが自論です。
もちろん経験に基づいたことです。
私の過去、色々とあります。
例えば2度流産(未婚)したこと。
命を守ってあげられず、しかも戸籍にも残せないばかりか、お墓すら立ててもあげられず、私の手元に残ったのは、初診から数週間の間に撮られたエコーの写真のみ。
小さな心臓が鼓動を打つのを見たのがただ1度だけ。
私はこれを「業」とも呼ぶし、「罪」とも呼びます。
この辛さから私の病気に拍車がかかり、そして私は戦いました。
母となった経験がある以上、守ってあげられなかった小さな命を今度こそ守るため、侮辱を受けているその命のために私に出来得る限りの方法で戦いました。
でも結局何も変わらなかったし、私のことも相手のことも裁いてはもらえなかった。
2年間自分を責め続け、そのたびにその心と戦い、相手とも戦い、そうやって過ごしてきた。
時に信じてもいない、いるかも信じてすらいない神にも祈った。
どうか私と天国にいる赤ちゃんを守ってくださいと。
でも叶う事はなかった。
だから私はあるときからもう戦うことをやめた。
自分を受け入れ、見つめ直し、とりあえずは病気と仲良く付き合っていこうと決めた。
そのきっかけをくれたのは、3年前に亡くなった私の大切な人の最後に残した言葉だった。
「病気なんていうのはね、自分の中にあるワガママな子供みたいなものでね、戦っちゃ駄目なのよ。
仲良く付き合っていけばいつか大丈夫だから。」
余命3ヶ月と告げられてから、彼女は闘病するのではなく、その体を蝕むガンと付き合い続け、3年も生きた。
2年戦って苦しくてもがいて、何度も自殺未遂を繰り返した私は、今それでも生きていることに理由があるのかもしれないと気付いた。
そして彼女の言葉を思い出した。
そうだ、仲良くすればいいんだ。
私が守ってあげられなかった赤ちゃんがきっと、本来この腕に抱いてあげながら聴いてあげるべきだったそのワガママを、今私の心の中で生き続けながら成長している証拠だって。
生きていれば1歳になる双子か、あるいは8ヶ月位の赤ちゃんがこの腕にいたはずだから。
言葉になかなかならない泣き声や笑い声できっと私にそのワガママを伝えようとしてる、伝えようとしていた、って。
私が今生きている意味をくれているのは、友人であり、家族だったり、親戚だったり、おばちゃんの残した言葉や彼女の子供だったり、目に見えないものでもあったり、そう例えば音楽だったり本だったり。
私はもう何とも戦わない。
誰とも戦いたくない。
実際人とは戦ってしまうけれど。
尊重しあって生きて生きたい。
だって私にとって友達は、宝物だから。
何よりも信じている大切な大切な真情だから。