こんばんは〜最近バレンタインのチョコの作る量を間違えた友達の残飯処理班になっているなつらむです。ついこの前に年明けたと思ったのにもうバレンタインか、、、早いなあ、、、
さて今回は、もうすぐひきライということで、今回から20回に渡ってまふまふさんの新アルバム(といってももう半年経つけど)『神楽色アーティファクト』の収録曲の解釈をしていこうと思います。最初は『忍びのすゝめ』です。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

この曲は忍者を主人公として描かれている。そもそも忍者とはなんなのか。
忍者の主な仕事は情報収集。雇い主である大名のために敵陣に忍び込み、情報を収集したら生きて帰って来なくてはいけなかった。(映画忍びの国 公式パンフレットより要約)
自分を求めている人の為に命懸けで危険を侵さなくてはいけない。そこには私情は一切関係ない。それでもこの曲の主人公はタブーである『恋』をしてしまった。忍者というのは思っている以上に壮絶なものなのかもしれない。

また、まふまふさんのツイートより

新曲大変好評みたいで本当にありがとうございます... 奇抜なテーマでぼかしているけどメッセージを込めた曲で、映像も曲もとても気に入っていたので嬉しいです。 ずっと大事にしてきた、活動に対する覚悟みたいなものが伝わると嬉しいです。末永くこの作品を愛してくださいね。

午後9:15 · 2019年6月8日

忍者=まふまふさん自身ととって、好きでこの活動をしているのだからそれ相応の代償は受け入れなくてはいけないという曲ともとれる。
禁忌を犯してしまった忍者と思い悩んでいる活動者、2つの視点で見ていこうと思う。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

そういえば前回の喰病しのイデアも大体そうなんですが、
【歌詞】
(・言葉など解釈の基盤となることの説明)
物語調の解釈(限界迎えたらなくなるかも)
⇛もっと一般的な視点での解釈
という書き方になってます。見にくいのは知ってる。でもこの書き方が多分文字数1番少ないんだ!許してくれ!

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

【どれだけ歩めども 道はなく
彷徨うは千里先
それが人の世だと 笑う君だったんだ
然れど散りゆく定め】

・彷徨う→「本来の自分」を見失うことをさしている。多分。
忍者という仕事に終わりはない。ただ与えられた任務を延々とこなしていくにすぎない。たとえ本当の自分を見失い、そのまま見つからなくても死んでしまうばかりだ。
⇛活動者として、たとえ有名になれなかったり自分のスタイルを確立出来なかったとしても、いつかは引退し終わりを迎えなくてはいけない

【この一世を例えるなら
止まず 頻る 遣らずの雨】

・遣らずの雨→帰るのを遮るように降り出す雨のこと。
この仕事についてしまった以上、もう後には戻れない。
⇛この活動を始めてしまったら辞めることは難しい。また、その時その時の選択選択が今に繋がっていて、戻ることは出来ない。例えば、何か少し失言してしまえば、その言葉は一生残り続け叩くネタになり続ける。

【消える夜鳥に夢花火】
・夜鳥、夢花火ともに儚いものの例え。
辛い別れもあるだろう。
⇛上手く行ったことがあっても活動者故に別れなくてはいけないこともある。

【水面に映る月を求めて
悔やむことは もうやめた】

・水面に映る月→目に見えていながら手に取るものが出来ないものの例え。
手に入らない理想を追って手に入れられず悔やむことは辞めた。主人公は心を閉ざしてしまった。
⇛何もせずただただ有名になれるなんてことはない。その為にはそれなりの代償があることを受け入れて活動していく。

ひとりごと
ここのMVで黒髪の男の子が白髪になって、バーコードをつけてるシーンがあるが、この黒髪がまふまふさん自身、白髪が活動者としてのまふまふさんだとしたら凄いおおおってなりますよね(安定の語彙力皆無)。心を捨ててる感があるな〜

【忍び偲べ 心隠して 踊り踊る世界を回せ
鏡越しに隠していた 
ボクが泣きじゃくっている間に
先見えぬ夜に紛れましょう 
悟られぬよう口を噤みましょう
最愛も 恋情も 朋友も 友情も 
手に掛ける覚悟はあるか?
暗がりの向こうに潜む忍者になって
あの日の夢まで 切り捨ての免罪符】

・忍ぶ→隠れる。
・偲ぶ→心引かれて、思いをめぐらす。
・夜、暗がり→この曲を通して活動者の画面を通した距離感を「夜」という時間帯で表している。
・あの日の夢→自分が昔夢見た姿
・切り捨ての免罪符→免罪符とは罪を特別に免除するよーみたいなあれ。そこに「切り捨て」という言葉をつけることで情けなどいらぬ!という感情を表している。
何か感じてもそれを隠して仕事をしなくてはいけない。そこには恋心、友情といった自分勝手な心はあってはならないのだから。だから情けなんていらないよ。
⇛ネットを通してる以上、隠しておく必要のある自分の本心だってある。たとえ悲しく思っていたとしてもそれを表にあまりだせない。自分の言動やプライバシーだった侵されるかもしれない。そういったことを覚悟のうえでこの活動していますか?自分が昔夢見たことをしているのだから、誰かの情けをかけられず本心から挑んで行く。かっけえ。


ここまでは忍者視点、活動者視点共に「この仕事に着いたのだから、それなりの覚悟を持ってやっていく」という固い意思が見えますね。しかし2番以降少し様子が変わってきます。


【誰そ彼時までは身を隠して
その陰に今日を置く】

・誰そ彼時→夕方
忍者は夜に働く。だから昼間は隠れて過ごさなくてはいけない。
⇛活動者としていない時だって、街中で変装しなくては行けなかったり、この前のまふまふさんみたいに押し掛けされたりと(まあ出前だったけど)活動外でも活動者として見られ、プライバシーが侵されることもある。

【二世も契れぬまま 彷徨えるボクは
ひどく醜い『手の目』】

・二世→親の跡を継ぐ子供
・契る→約束する。確約。
・手の目→手目。酷く身勝手な様のこと。
恋が出来ない→彼女が出来ない→子供が出来ない→「子孫繁栄」が重要視されていた時代の話なのにそれが出来ない。それなのに自分の心を閉ざしてまで黙々と任務をこなしているだけの自分はこの世から見て酷く身勝手なのではないか?
⇛二世も契れぬが転じて後先考えないという意味になっている。自分自身に置いてもまふまふさんのような「歌い手発アーティスト」というこの職業においても、あまり将来を想像出来ない状態で突っ切っている状態は、自分にとって身勝手じゃないか?

【徒花のその姿に 心惹かれても
現世だって朧月
何もかもを閉ざした矢先に
君に恋するという報い】

・徒花→見せかけだけで実質を伴わないもの。見た目だけで結果を残さないものの例え。また、儚い恋の例えとしても使われる。
・朧月→朧には「はっきりとしない」「不確かな様子」という意味があり、この曲において月は「理想」を象徴している。なので、朧月という言葉は不確かな理想、転じて揺らいでいる心という意味がある。
理想(愛し、愛されること?)を追うのをやめようと自分の心を閉ざしたはずなのに、成就しないと分かっているのに、君に恋をしてしまった。
⇛いざ活動していると、自分の描いていた姿(理想)とははっきりしなくなっていくものだ。中身なんてないと分かっているのにより見せかけがよいもの(もっと華々しく活動している人とかのこと?)を追ってしまっている。

【片恋の行く先を知りたい 
その手負いの心を救いたい
返り血の装束じゃ 何を望もうと値打ちない】

・片恋→片思い。
・手負い→攻撃を受けて傷を負うこと。
君に片思いした結果を知りたい。傷ついた君を救いたい。でも自分が忍者である以上、そういうことを望んでもどうせ叶わないんだろうなあ
⇛もっと違う形で活動したい!より大きなことをしたい!と思ってももう活動をしている以上、後には引けないし、違う形ですることはやっぱり出来ないのかな、、、と心が揺らいでいる。

【書き違えた「辛せ」の行方 
読み違えた為体が所以
生涯は滑稽な 憂愁の証明か
未だ十字架を背負いこんで】 

・書き違えた「辛せ」→幸せだと思ってやったことなのに、結果として辛いことになっていた。
・為体→好ましくない状態やほめられない状態。
・十字架を背負う→耐えがたい苦難、重い負担などをいつまでも身に持ち続ける。
昔は憧れとしてこの仕事に着いたのに、結果として今思い悩んでいる。このまま苦痛を持ち続けるのだろうか。
⇛活動を始める前は自分を出せる憧れの場所としてこの仕事に着いたのに、結果として未だ様々な苦悩を抱えている。人生は結局辛いものなのか。

【鵜の真似をしていちゃ それが千慮の一失
覚悟もないなら 御帰りになって頂戴】

・鵜の真似をする→自分の能力をよく考えず、みだりに人まねをすると、必ず失敗する。
・千慮の一失→どんな知者でも、多くの考えのうちには一つぐらいは誤りもあるということ。
何も考えず小さいころの憧れをそのまま叶えても、表はキラキラしてるけど裏はとても辛いかもしれない。間違えた選択肢かもしれない。その覚悟がないならこの仕事についてはいけない。
⇛ほぼ上と同。ただし、こちらの解釈だと2個前の【片恋の〜】の歌詞に対する自分への言い聞かせという解釈も出来る。

【いつか物心で捨てた心根
わかり合えるなんて夢のまた夢
破れ果てた友の骸に
今日も立っている
――――お別れです。】

・物心→世の中の物事や人間の感情などについて理解できる心。分別。
自分は忍者だから、周りの状況に合わせて自分の感情を捨て、ただひたすらに戦ってきた。いっぱい他人も殺めてしまった。だから自分に君に恋心を伝える資格はないし、愛される資格もない。さようなら。
⇛活動者として自分の心を隠してきた。それを活動していない人に分かってもらうのはほぼ不可能なことだ。実際自分がそうだったのだから。周りにも活動を始める前に描いていた活動者の姿と違いすぎて活動を辞めていった人がたくさんいる。だから、大きすぎることを求めるのはやめよう。お別れです。

【忍び偲べ 心隠して 踊り踊る世界を回せ
鏡越しに涙した君は誰だっけ ボクは誰?】

・君は誰だっけ→「君」とは本心のこと。本心を完全に捨てた様子。
心を隠して仕事をしよう。本心はもう捨てよう。それでも本心を完全に捨てることには人であるからやはり抵抗はある。
⇛同。

【空になった心なら捨てたんだ 
優しくしないでよ
この小さな覆面も 塗り固めた強がりも
剥がれ落ちて泣いてしまう】

もう心は捨てた、と主人公は思っている。でも実際は捨てきれてない部分がある。だから誰かに優しくされ、1度愛を感じてしまったら溜めていた思いが零れ落ちて泣いてしまうよ。優しくしないで。
⇛でもこの活動を通していいことや仲良くなった友達もたくさんいる。だからそういったことたちが連なると今まで隠してきた本心が溢れ出てしまうかもしれない。どうしようもないから少しだけ前向きになってる?(本当はもっといい解釈があったはずなんですけど、寝たら忘れました!もし思い出したら追記します)

【暗がりの向こうに潜む忍者になって
あの日の夢まで 切り捨ての免罪符 】

最終的には覚悟を決めるしかない。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

忍者視点はただひたすらに切ない、、、昔だとこれ以外にも身分格差による恋愛禁止みたいなのもあったからこういった切ない物語が似合うし儚くも美しいのかもしれないですね、、、
そして活動者視点。始める前は憧れで楽しそうに見えていても、いざやって見るとやっぱり辛くて何やってんだってなるんですかね、、、こういう活動をしている人の宿命と言えば宿命なんですけど、それでも日頃の日常が侵されたり過度に発言が制限されたりするのは違うのでは?ともなりますけどね。難しい問題ですね。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

「自分を否定した 生きるために」
次回!自壊プログラム解釈!シャレじゃないよ!