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「日本の子供は親に愛されていないから自己肯定感が低い」のではなく、親の愛情が強くても、それが“不安からの過干渉”に変わると、子供の自立や自己肯定感を損なう可能性がある」という話です。

流れとしてはこうです。

① 日本の若者は自己肯定感が低い
「自分自身に満足している」→ 57.4%
他国より低い。

② しかし、親から愛されている実感は高い
「親から愛され、大切にされている」→ 80.8%

つまり、

自己肯定感の低さ=親の愛情不足

とは単純には言えない。

③ 日本は親子の距離がかなり近い
入学式についてきたり、受験や就職にも親が関わったり、悩み相談も母親に集中している。

④ そこで問題になるのが「過干渉」
子供を心配して手助けすること自体が悪いわけではない。

問題は、

「失敗させたくない」
「心配だから自分が管理しなければ」
「この子にはこうなってほしい」

という親自身の不安が、子供への干渉として表れること

⑤ 子供に必要なのは「愛情+自立を認めること」

つまり、

「あなたは大切な存在だ」

と伝えながら、

「あなたの人生はあなたが決めていい」

とも認める。

この両方が重要だ、ということです。

もっと簡単にすると

悪いのは「親子の距離が近いこと」ではない。

「愛情」と「支配」を混同することが問題。

たとえば、

「あなたが大切だから、困ったらいつでも助けるよ」

は愛情。

一方、

「あなたが心配だから、私の言う通りにしなさい」

になると、愛情が不安によるコントロールに変わってしまう。

そして、この文章の一番面白いところは、

子供の問題を解決するために、子供を治療するのではなく、親の不安を治療することで子供の状態が改善する場合がある

という点です。

つまり最終的なメッセージは、

子供をもっと愛せ、という話ではない。
すでに愛している親が、その愛情に自分自身の不安を混ぜすぎないことが大切だ、という話です。

ここでいう「親の不安」は、かなり広い意味ですが、中心にあるのは**「子供の将来や失敗に対する親自身の不安」**です。

そして、それが子供への投影・過干渉という形で現れる、という理解が近いです。

たとえば、

  • 「このままだと将来困るのではないか」
  • 「受験に失敗したらどうしよう」
  • 「就職できなかったらどうしよう」
  • 「周りの子より遅れていたらどうしよう」
  • 「この子は一人でやっていけるだろうか」
  • 「もっと勉強させなければ」
  • 「失敗しないように親が先回りしなければ」

といった不安です。

重要なのは「子供の不安」と「親の不安」は別だということ

たとえば子供が、

「大学はこの学校に行きたい」

と言ったとします。

親が、

「本当に大丈夫? もっと偏差値の高いところにしたほうがいいんじゃない?」

と心配する。

これは一見、子供のための助言です。

しかし、その根底に

「この子の将来が失敗したら、自分は耐えられない」

という親自身の不安がある場合があります。

すると親は、子供が自分で考えて決めるのを待てず、どんどん介入してしまう。

親の不安

子供の将来を心配する

先回りして助ける・口を出す

子供の選択を親が管理する

子供が自分で決める機会が減る

という流れです。

さらに「親自身の人生の後悔」も関係する

ここが、この文章で紹介されている研究の面白いところです。

親が自分の人生について、

「あのときもっと勉強しておけばよかった」
「もっと良い仕事に就けばよかった」
「自分は人生で失敗した」

などの後悔を抱えていると、それを子供には繰り返させたくないという気持ちが生まれることがあります。

すると、

「自分ができなかったことを、この子にはやらせたい」

となる。

これは必ずしも意識的なものではありません。

その結果、子供の人生に過剰に口を出してしまう。

したがって、「親の不安」とは単に

「子供が心配」

というだけではなく、

「子供の将来への不安」+「親自身の人生への不安・後悔」+「失敗させたくないという恐れ」

などが含まれる、と考えると分かりやすいです。

そして一番重要なのは、それが「愛情」と非常に似た形で現れることです。

「あなたが大切だから心配している」

というのは本当でも、その心配が強くなりすぎると、

「あなたが大切」→「だから私が管理しなければ」

に変わってしまう。

この境目が、この文章の核心です。

 

 

 

SDGsって流行っているよね。

日本だけでね。

日本は今、SDGs推進のために年間6.5兆円も予算つぎ込んでるし、

テレビでも連日SDGsを理由に、脱酸素からコオロギ食えまで、右ならえで賞賛している。

実はコレ、国連のSDGsメディアコンパクトという
「報道機関はみんなSDGsを推進しろ」というのに加盟させられているからなんだよね。

だから、2020年度からは新学習指導要領にも入っちゃったから、学校の授業でも必ずSDGsを絡めてきたり、徹底的に子どもから洗脳中。

17の項目に書いてあることはぱっと見いい感じなんだけど、

持続可能な農業の解決法が、多国籍企業の大規模農業で遺伝子組み換えの種と農薬をセット販売することだったり、

世界に医療を、の解決方法は製薬会社のワクチンやら医薬品を国家相手に売りつけることだったり、

聞こえのよい理由を付けてやっていることは、途上国の市場をグローバル企業が掌握する、善意で偽装した持続可能な金儲け、でしかない。

さらに、SDGsは2015年の国連のサミットの中で提言された、アジェンダ2030の中の目標で、それをもとにWEF(世界経済フォーラム)が具体的な方針を発表しているのだけど、

そのWEFの前進となったのが、マルサス主義。

「マルサス主義」とは、人口増加が持続可能な経済発展に悪影響を及ぼすとする考え方です。19世紀初頭にイギリスのトマス・マルサスによって提唱され、彼の名前にちなんでこのように呼ばれるようになりました。

マルサス主義は、人口が増加すると食糧やその他の資源の生産量が追いつかず、人口が飢餓や疾病などの問題に直面すると考えます。そのため、人口増加を抑制することが必要であるとされています。マルサス主義は、特に発展途上国において、人口爆発が環境破壊や資源枯渇、貧困などの問題を引き起こすことを危惧し、人口政策の必要性を訴えることがあります。

つまりマルサス主義のワンワールドを実現させるためにできたシンクタンク。ローマクラブ。人口を減らさなければ、環境破壊や食料危機であと100年で人類は滅亡するだろう。と記した著書「成長の限界」はベストセラーになった。

1974年の報告書「転換期における人類」の中では、全ての有限な資源の世界的分配と新しい世界経済システムに基づく持続可能な成長と発展のためのマスタープランを描くべきであり、そのために人類の価値観を根底から作り変える必要があると提言していて、

この概念がそのままアジェンダ21とか、SDGs、グレートリセットにまで繋がっているわけ。

アジェンダ21の立案者、モーリスストロングはデビット・ロックフェラーの弟子で、WEFのシュワ爺のメンターだったことでも有名。

ストロングは1992年のインタビューで、地球にとっての唯一の希望は、工業化された文明が崩壊することで、それを実現するのが我々の責任ではないか?と語っている。

日本の官邸のSDGsの資料にも、しっかりとおなじみの財団が名を連ねている。
ゲイツ財団=国際保護
オープンソサエティ財団=民主主義
ロックフェラー財団=UHC

もうわかったよね。
SDGsとは、グローバル企業のビジネスと全世界共産化を綺麗な言葉で言い換えた、プロパガンダだということ。

 

「諦めない」という気持ちを取り戻す

私は、今回の大阪での選挙戦にも大きな意味があると思っています。

大阪では維新が非常に強く、自民党でさえ候補者を出すことをためらうような状況です。そんな中で、あえてそこに挑戦する。それは「勝てるからやる」のではなく、「諦めない」という姿勢を示すためです。

そもそも、誰も簡単に勝てると思っているわけではありません。しかし、「勝てそうにないからやらない」と言っていたら、参政党そのものが生まれていなかったはずです。

今の日本は、このままでは立ち行かない。数字を見れば、それはわかります。

ところが、多くの人には「仕方がない」という空気がありました。この10年、20年、そういう雰囲気の中で過ごしてきたのではないでしょうか。

一番つらいのは、若者から希望が失われていることです。

若者から失われた希望

日本財団が18歳を対象に行っている意識調査には、「自分が努力すれば国や社会を変えられると思うか」という項目があります。

インドでは約8割、中国では約7割、アメリカや韓国では約6割が「変えられる」と答えています。イギリスでも約5割です。

ところが、日本は約25%です。

つまり、高校3年生くらいの年齢で、「自分が頑張ったところで社会や国は変えられない」と感じている若者が多い。

ほかの調査でも、「将来、家を持ちたいか」「結婚したいか」「車を買いたいか」「海外留学をしたいか」といったことに対する意欲が、以前より低くなっています。

私が学生たちを集めて勉強会のようなことをしていたとき、20人ほどの学生に「あなたたちのモチベーションは何か」と尋ねたことがあります。

私たちが10代だった頃なら、「女の子にモテたい」「いい仕事をしたい」「将来はこういうことをしたい」といった、もっと単純な欲望や夢があったと思います。

しかし、今の若者には、そうしたバイタリティそのものが弱くなっているように感じます。

昔の日本には「諦めない」という気概があった

私は45歳で、昭和52年生まれです。福井県の人口1万人ほどの海沿いの町で育ちました。

私が子どもの頃は、まだバブルの時代でした。テレビに映る大人たちは楽しそうで、社会全体が華やかに見えました。

「大人になったら都会に行ってみたい」「海外にも行ってみたい」と思い、早く大人になりたいと感じていました。

そこには、未来への希望がありました。

ところが、今の若者は「大人になってもいいことがない」「結婚もできない」「お金も稼げない」と考えている。

海外留学をしたいという人も、私たちの世代と比べて大きく減っています。

人口は減る。しかも意欲まで減る。

これで10年後、20年後の日本が良くなるのでしょうか。

もちろん、日本には苦しい時代が何度もありました。しかし、苦しいときでも、「諦めない」「俺たちが頑張る」という気持ちが日本人の中にはあったと思います。

坂本龍馬の時代もそうです。

当時の日本は非常に厳しい状況でした。外国の圧力も強く、戦っても勝てない可能性が高かった。それでも、彼らは諦めなかった。

相手の力を利用できるところは利用しながら、どうすれば日本の独立を守れるのかを考えた。

大切なのは、その気概です。

「大阪から日本を取り戻す」

大阪の選挙では、キャッチコピーを「大阪から日本を取り戻す」としました。

かつて維新の会は「大阪から日本を変える」と掲げました。確かに大阪は変わった。

ただ、私たちが言っている「取り戻す」は意味が違います。

取り戻したいのは、日本人の「諦めない」という強い気持ちです。

「次の世代に、今よりも良いものを残したい」という気持ちです。

それを、まず取り戻したい。

先人たちが残してくれたもの

日本の山や森林を見ても、今あるものは、私たちの世代が作ったものではありません。

先輩たちが、私たちの世代のために残してくれたものです。

かつて人間が少なかった時代には、世界中が森林に覆われていました。しかし、人間が増えれば木を切ります。燃料にもするし、家も作る。

そのまま木を切り続ければ、土地は荒れ、砂漠化していきます。

日本では、木を切るだけではなく、「切ったら植える」ということを繰り返してきました。

山を資源として管理し、次の世代も木を使えるようにする。

それを何世代にもわたって続けてきたからこそ、今の日本には豊かな森林と水があります。

私たちは、そうした先人たちの「次の世代に残す」という気持ちを、今の社会でも忘れてはいけないと思います。

日本の産業と食料を守る

もちろん、目の前の日本の状況は厳しい。

人口は減り、お金もない。外からの圧力も強くなっています。

半導体など、日本がかつて強かった産業も大きく衰退しました。

自動車産業も大きな転換を迫られています。日本の自動車産業には非常に多くの人が働いているのに、政治が電気自動車への転換などを一方的に進めれば、地方の産業まで大きな影響を受けます。

「外国から人を呼び、お金を使ってもらえばいい」というインバウンド頼みだけでは、日本経済は持ちません。

外国人のお金に頼りながら、日本人がその下働きをするような社会でいいのか。

私はそう思います。

食料についても同じです。

日本には、まだ利用されていない農地があります。

その一方で、日本の酪農家が作った牛乳が余って廃棄されることがある。その一方で、日本はアメリカなどから大量の乳製品を輸入している。

これは一体どういうことなのか。

日本の農家が本当に苦しんでいるのであれば、コオロギ食や培養肉、遺伝子組み換え食品などに投資する前に、まず日本の農業や酪農を守ることを考えるべきではないでしょうか。

アメリカやヨーロッパでは、農業に対して大きな政府支援を行っています。

それなのに日本では、「農家への補助金はよくない」「競争しろ」と言いながら、海外の農産物を輸入している。

日本の農家を守るためにも、もっと政策を考える必要があります。

「なぜ日本は戦争をしたのか」を考える

そして、こうした問題を考えるためには、歴史を避けて通れません。

私たちは、「日本が戦争を仕掛けたから、戦争になった」と教わってきました。

しかし、本当にそれだけなのか。

もっと長い時間軸で、日本と世界の関係を考える必要があります。

戦国時代にはキリスト教や西洋勢力が日本に入ってきました。その後、豊臣秀吉や徳川幕府はそれを警戒し、日本を閉じる方向へ進みました。

一方、その間に欧米では産業革命が起こり、19世紀になると再び欧米列強が日本に圧力をかけてきます。

ペリー来航もその流れの一つです。

当時、日本が軍事的に欧米列強と正面から戦えば、勝つことは難しかった。

それでも日本人は諦めなかった。

だからこそ、正面から戦うのではなく、外国の力や制度を学び、自分たちも近代化するという道を選んだ。

坂本龍馬と「戦わない」という選択

ここで坂本龍馬について考える必要があります。

私は、坂本龍馬が「薩長と戦ってはいけない」と考えていた可能性があると思っています。

大政奉還も、その延長線上にあったのではないか。

「このまま薩長と戦えば、日本人同士が殺し合うことになる。それなら戦わずに済ませよう」

そう考えたのではないか、と私は考えています。

ただし、これは確定した史実ではありません。坂本龍馬の死の経緯についても、現在も諸説あります。

一方、龍馬と交流のあった勝海舟は、実際に西郷隆盛と話し合い、江戸を戦火に巻き込まずに明け渡しました。

その結果、大規模な市街戦を避けることができた。

これは非常に重要なことです。

明治日本がやったこと

明治以降の日本は、欧米の学問や制度を積極的に学びました。

単純に西洋を崇拝したのではありません。

「相手がなぜ強いのかを知らなければ、対抗することもできない」

だから、まず相手を知る。

経済をどう回しているのか。政治制度はどうなっているのか。軍事力はなぜ強いのか。

そして、相手が自由主義や選挙を使うなら、日本もそれ以上のものを身につければいい。

その精神が、自由民権運動にもつながっていきました。

つまり、当時の日本人は諦めていなかったのです。

日本が世界の中で対等になろうとした時代

明治以降、日本は国力を積み上げていきました。

そして1919年、第一次世界大戦後の国際社会で、日本は国際連盟の常任理事国となりました。

当時の世界には植民地支配が広く存在していました。

その中で、日本は独立を維持し、「対等に扱ってほしい」と主張しました。

しかし、そのことを快く思わない国々もありました。

その後、日本は日英同盟を失い、経済的な包囲が強まっていきます。

日本は満州に進出し、満州国を成立させました。

その後、日中間の衝突が拡大していきます。

戦争に至った背景を単純化しない

ここは、非常に複雑な問題です。

日本側に問題がなかったと言いたいわけではありません。

当時の日本が行ったことの中には、明らかに批判されるべきものもあります。

しかし、「日本がすべて一方的に戦争を始めた」という一つの説明だけですべてを理解することもできません。

満州事変、日中戦争、対米戦争に至るまでには、外交、経済制裁、資源問題、軍事的判断、国内政治、世論など、多くの要素が絡んでいました。

また、昭和天皇が戦争拡大をどのように考えていたのかについても、史料をもとに慎重に検証する必要があります。

だからこそ、「日本が悪かった」「いや日本は悪くなかった」という二択ではなく、何が起こったのかを一つ一つ検証することが重要です。

アジアの独立運動と日本

日本がアジアで戦争を行ったことによって、結果的に欧米列強の植民地支配が揺らぎ、独立運動を後押しした側面もありました。

インドネシア、ベトナム、インドなどでは、独立を目指して活動した人々がいました。

日本人が彼らに協力したケースもあります。

日本語を教えたり、日本に招いて訓練したり、現地で組織を作ったりした人々もいました。

もちろん、それを「日本の戦争は正しかった」と単純化することはできません。

日本には日本の目的があり、アジアの独立運動側にもそれぞれの目的がありました。

しかし、戦後の私たちがそうした歴史をほとんど知らないのも問題ではないでしょうか。

私はインドネシアやインドなどを実際に訪れ、資料館などを回りました。

そこで、当時を知る人や、その子どもたちに話を聞いたこともあります。

そこで感じたのは、むしろ外国の人たちのほうが日本人より日本の歴史をよく知っているということでした。

歴史を断絶させてはいけない

私は、日本の過去をすべて賛美しようと言っているわけではありません。

悪いことは悪い。

しかし、すべてが悪だったわけでもない。

良かった部分もあり、悪かった部分もある。

それを両方認識することが重要です。

自分たちの先祖がすべて悪い人だったと思い込んでしまえば、自分の国に誇りを持つことも、先人から何かを受け継ぐことも難しくなります。

縄文時代から続いてきた日本人の営みを、そこで断絶させてはいけない。

私が政治をやりながら、なぜこれほど歴史の話をするのか。

それは、歴史がなければ次の世代につながらないからです。

戦後78年間、日本は経済成長を最優先にしてきました。

経済さえ回っていればいい。

その間、政治や教育について深く考えなくても何とかなる。

そういう時代が続きました。

しかし、今は経済まで厳しくなり、人口も減り、外からの圧力にも抗えない状況になっている。

だからこそ、もう一度考え直す必要があります。

日本を強い国にする

私は「戦え」と言っているわけではありません。

日本をきちんとした国に作り直し、独立した強い国家にする。

それでいいのです。

日本が強くなれば、相手の態度も変わります。

「日本もきちんとした国になった」と思わせることができれば、外交関係も変わってくる。

ところが、日本が何でも言われるままに従っていれば、どんどん軽く見られ、日本の富が海外へ流れていくだけです。

それを「仕方がない」と受け入れるのか。

それとも、「それは嫌だ」と思うのか。

今、私たちはその分岐点に立っていると思っています。

まず、日本の現状を俯瞰する

だから、選挙で勝つことが一番大事なのではありません。

まず、今の日本の状況をどう位置づけるのか。

なぜ日本はこの状況になったのか。

世界は今、どの方向へ進んでいるのか。

それを自分自身で分析し、このままでいいのか、それとも変えるべきなのかを決めることが大切です。

高知には、幕末から明治にかけて日本を動かした多くの人々がいました。

坂本龍馬だけではありません。

そうした先人たちのことを、もう一度俯瞰して見てほしい。

そして、今の世界の流れを見てほしい。

政治は地方からでも変えられる

中央政府が強いのは事実です。

しかし、中央政府が間違ったことをしているのであれば、地方政治からでも変えていかなければいけません。

知事にきちんと思いを伝える。

政府の言いなりになるのではなく、地方の立場から政府に「おかしいものはおかしい」と言う。

仮に政府から補助金を削られたとしても、それでも「ダメなものはダメ」と言える地方自治体を作る。

そうしなければ、国際機関が決め、日本政府が決め、地方が従い、住民の声だけが届かないという構造になってしまいます。

だからこそ、おかしいと思ったら抗う。

ただし、汚い言葉で攻撃するのではありません。

道理を説く。

歴史を学ぶ。

国際情勢を知る。

そして、多くの人に理解してもらい、仲間を増やしていく。

ルールに従って、民主的な方法で変えていく。

日本には、まだルールを守ろうとする人たちがいます。

だからこそ、ルールが機能しているうちに動くべきです。

一人から始まる

高知でも、自民党が非常に強い中で立候補している人たちがいます。

「そんなところで自民党に勝てるわけがない」「無駄だ」と思う人もいるでしょう。

しかし、勝ち負けだけがすべてではありません。

大きな世界観と歴史観の中で政治を考え、行動することに意味があります。

幕末だって、最初から大勢が動いていたわけではありません。

坂本龍馬も最初は一人でした。

一人の思いから始まったものが、やがて大きな流れになります。

私自身も、最初は一人でした。

それでも活動を続け、多くの人と一緒に国政政党を作るところまで来ました。

だから、今は無理だと思っていたとしても、諦めてはいけません。

大きなゴールが見えているなら、一人からでも始められます。

子どもたちに何を見せるのか

大人が「ダメだ」「どうせ無理だ」と言いながら、テレビを見て政治家や芸能人の悪口ばかり言っている。

そんな姿を見て、子どもたちが「自分が頑張れば社会を変えられる」と思えるでしょうか。

思えないでしょう。

だから、ダメだと思うなら自分が行動する。

「私もやる」と言う。

そして、一緒にやる人を増やす。

それを子どもたちに見せていく。

そうすれば、「頑張れば変わるかもしれない」と思える18歳が増えていくはずです。

これが、令和の自由民権運動です。

一人でも多くの人が、この運動に加わり、日本を諦めない気持ちを取り戻してほしい。

すべては、一人から始まります。

一人の思いを、決して軽く見てはいけません。

 

小麦・食文化・病気をめぐる主張

1. 「小麦を食べるな」という話ではない

「小麦を食べるなと言って、関西の粉もの文化を破壊しようとしている」という批判があるが、そういうことを言っているのではない。

問題にしているのは、小麦そのものではなく、小麦に含まれるグルテンだという。

お好み焼きやたこ焼きなどの粉もの文化についても、米粉などを使えば代替できる。米粉のお好み焼きやラーメンなども十分おいしい、という考え方である。


2. 患者に「一生治らない」と伝えることへの疑問

医療現場では、自己免疫疾患や精神疾患、皮膚疾患などの患者に対して、

「この病気は治らない。一生付き合っていく病気だから、薬で管理しましょう」

と説明することがある。

しかし、それを幼い子どもやその親に伝えたときの絶望感は非常に大きい。

発言者は、こうした病気についても、食生活を含めた別の要因を考える必要があると主張している。


3. 小麦とグルテンについての歴史的な説明

小麦の起源について、現在のトルコやイラン周辺にある「肥沃な三日月地帯」が重要だったと説明する。

当初の野生小麦には現在ほどグルテンが多くなく、人類が品種改良を進めることで、粘り気のある小麦が作られるようになったという。

その結果、パンやパスタなど、グルテンを多く含む食品が発達した。

発言では、この食生活への適応には個人差があり、特定の食物を長期間食べ続けることで、それに関連した病気が生じる可能性があると主張している。


4. 食文化と遺伝的な適応

人類は、地域によって異なる食環境の中で生活してきた。

たとえば、極寒地域でアザラシを生で食べてきた人々や、マラリアが多い地域で暮らしてきた人々には、それぞれの環境に適応した遺伝的特徴があるという。

酒についても同じように、地域によってアルコールを分解する能力に違いがあると説明する。

つまり、人類全体に共通する「誰にでも健康な食事」が存在するわけではなく、その土地の環境や歴史、遺伝的背景によって食生活への適応が違うというのが、この話の基本的な考え方である。


5. 日本人の食文化

日本は水資源が豊富で、米を中心とした食文化が形成されてきた。

一方、日本人にはアルコールを分解する能力が低い人も多い。発言では、これは日本の歴史的な飲酒文化と関係していると説明している。

同じように、日本人の食生活に小麦が大量に入ってきたのは比較的新しい時代だという。

特に戦後、アメリカから小麦粉やトウモロコシなどが大量に入ってきたことで、日本人の食生活は大きく変化したと主張している。


6. 戦後の大阪と粉もの文化

戦後の大阪では、食料が不足する一方で、小麦粉や油、鉄板などが存在した。

そこで、小麦粉に野菜や肉などを組み合わせて焼く料理が発達した。

これが、お好み焼きやたこ焼き、ホルモン焼きなど、現在の大阪の粉もの文化につながったという説明である。

つまり、粉もの文化は古代から変わらず存在していたものではなく、戦後の物資や大阪のものづくり文化、食料事情などが組み合わさって発達した文化だという見方である。


7. 小麦と病気についての主張

発言では、小麦を長期間食べ続けることで、さまざまな症状や病気が現れるという主張がされている。

特に、

  • 花粉症
  • 自己免疫疾患
  • パーキンソン病
  • リウマチ
  • 線維筋痛症
  • その他の慢性的な疾患

などとの関連が語られている。

また、患者に小麦を避け、米粉などに置き換えるよう勧めたところ、症状が改善したという臨床経験も紹介されている。


8. 生理痛と食生活

強い生理痛に悩んでいた女性の例も紹介されている。

その女性は、生理のたびに鎮痛剤を飲み、仕事を休むほどの痛みがあった。

そこで、

  • パン
  • ケーキ
  • チョコレート
  • その他の小麦を使った食品

などをやめたところ、生理痛がなくなったという。

発言者は、この経験から、生理痛も「女性なら当然、一生付き合うもの」と決めつけるべきではなく、食生活などの要因を考える必要があると主張している。


9. 砂糖・コーヒー・小麦の歴史

発言では、砂糖、コーヒー、小麦が単なる食品ではなく、歴史的に人間の労働や社会構造と結びついてきたと説明する。

産業革命の時代になると、工場で長時間働く労働者が必要になった。

そこで、砂糖による強い嗜好性と、コーヒーに含まれるカフェインを組み合わせることで、人々を長時間働かせることができるようになった、という説明がされている。

その後、小麦を使ったパンや麺なども庶民の食生活に広がっていったという。


10. 江戸時代と小麦・砂糖・コーヒー

発言では、江戸幕府や徳川幕府が小麦、砂糖、コーヒーなどの輸入を制限していたとも説明している。

日本人が伝統的に食べてきたものは米を中心とした食事であり、戦後になって小麦や食用油などが大量に入ってきたことで、食生活が大きく変化したという主張である。


11. 食用油と「依存」の問題

発言では、小麦だけでなく食用油も強い依存性を持つ食品として問題視している。

揚げ物、炒め物、ポテトチップスなど、油と糖分などを組み合わせた食品は、強い嗜好性を持つという。

さらに、第二次世界大戦後から現在までに、世界人口の増加以上に食用油の使用量が増えているとして、現代人は油を過剰に摂取していると主張している。


12. 「食によるコントロール」という考え方

ここまでの話をまとめると、発言者の主張は、

人間の食文化は、単純に「おいしいものを自然に食べてきた」というだけではなく、歴史・産業・労働・経済などによって形作られてきた

というものである。

砂糖、コーヒー、小麦、食用油などが大量に普及することで、人々の嗜好や生活習慣が変化し、それが健康にも影響しているという。

そのため、

「なぜ自分は揚げ物が好きなのか」
「なぜ麺類が好きなのか」
「なぜチョコレートや甘いものが欲しくなるのか」

といったことも、単なる個人の好みではなく、食文化の歴史から考えるべきだという結論になる。


13. 大阪の文化とカジノ

最後に、大阪のものづくり文化とカジノの問題が結びつけて語られている。

大阪は、鉄の鋳造や鍛造など、実際に物を作る産業が発達してきた地域だという。

そのため、大阪の人々にとってお金とは、単に金融市場で動かすものではなく、自分たちが働いて汗を流し、物を作って得るものという感覚が強いとする。

一方、カジノは、誰かがギャンブルで失ったお金を別の誰かが得る仕組みであり、大阪のこうした価値観とは相容れないのではないか、という問題提起をしている。


全体の主張

この発言全体を一本の流れにすると、

「食文化は歴史や社会によって作られてきた。そして、現代人が当たり前だと思っている食生活の中には、健康に影響するものが含まれている。それを歴史・文化・医学・産業を横断して考える必要がある」

というのが中心的な主張である。

そのうえで発言者は、特に小麦・グルテン、砂糖、食用油などの摂取を見直し、日本人が伝統的に食べてきた米などを利用した食生活に戻すことを提案している。

 

 

グルカゴンとかコルチゾールは緊急事態に内臓を壊してそこからブドウ糖を作る。これは緊急避難のホルモン。これが高いと太らない。ブドウ糖が足りないと出る。

だから断食すれば痩せる。

 

炭水化物を抜くと痩せる。

 

グルカゴンとかコルチゾールを使うのを糖新生というが、

 

たんぱく質を分解するとアンモニアができてしまう。アンモニアは肝臓で尿素に転換して、おしっことして捨てる。アンモニアには発がん性がある。肝臓にとっては毒。

脂肪を分解するとケトンができてしまう。

ガリガリの人がプロテインを飲んでも太らない。

 

この原稿は、「努力量ではなく努力の質が成長を決める」というテーマを、「ランニングマシン」という比喩を軸に展開する自己啓発・教育系の動画台本です。ストーリー性が高く、視聴維持を意識した構成になっています。

一方で、**科学的な部分には事実と誇張が混ざっています。**以下のように整理できます。

科学的に概ね支持されている点

  • 意図的な練習(Deliberate Practice)
    • 心理学者 K. Anders Ericsson の研究に基づく概念です。
    • 「少し難しい課題」「フィードバック」「弱点の反復改善」が上達に重要という考えは、多くの研究で支持されています。
  • オートメーション(自動化)
    • スキルが身につくと意識しなくても実行できるようになるのは認知心理学でよく知られています。
    • ただし、自動化そのものが悪いわけではありません。日常生活では非常に重要な能力です。
  • 想起練習(Retrieval Practice)
    • 教科書を読むだけでなく、自分で思い出す学習法が効果的という研究は非常に強いエビデンスがあります。
  • フィードバックの重要性
    • すぐに結果が分かる環境のほうが上達しやすいというのも、多くの分野で支持されています。
  • メタ認知
    • 「自分の理解度を客観視する力」が学習効率を高めることも教育心理学ではよく知られています。

誇張・不正確な点

「努力すればするほど下手になる」

これは科学的には誤りです。

正しくは

同じことを漫然と繰り返すだけでは成長が止まりやすい

ということです。

努力そのもので下手になるわけではありません。


「脳がオートモードになると成長が止まる」

これも言い過ぎです。

実際には

  • 自動化された技能は維持される
  • さらに伸ばしたいなら意識的な練習が必要

というのが研究の結論です。


「毎日10時間やる人が1時間の人に負ける」

これはキャッチコピーです。

場合によります。

例えば

  • 世界トップのスポーツ選手
  • プロ音楽家

は質の高い練習を何時間も積み重ねています。

「量は不要」ではなく

質の高い練習を十分な量行う

が正しい理解です。


「12倍成長する」

科学的根拠はありません。

動画では

  • 意図的な練習
  • フロー状態
  • 生産性研究

を掛け合わせていますが、

実際の研究では

「12倍成長する」

とは結論づけられていません。


「ハーバード大学のチェス研究」

この説明はかなり怪しいです。

初心者・中級者・グランドマスターの脳活動をこのような形で比較して

初心者→前頭前野高い
中級→低い
達人→また高い

という有名な研究は確認できません。


「2015年ロンドン大学」

「2016年ハーバード医科大学」

「2017年ハーバード大学」

など

具体的な年・大学名が出ていますが、

対応する内容の有名論文とは一致しません。

動画では権威付けとして引用されている可能性があります。

 

 

1.なぜ「話すだけで疲れる人」がいるのか

年齢は50代でも、会話をするとまるで子どもと話しているように感じる人がいる。
そうした人との関係では、相手の感情や欲求ばかりが優先され、こちらが一方的に理解・配慮することになるため、強い精神的疲労を感じることがある。

これは単に「自分が繊細だから」という問題ではなく、相手との関係性そのものがこちらの感情的エネルギーを消耗させている可能性がある

リンジー・ギブソンは、こうした人を「情緒的に未熟な人(Emotional Immature)」として説明している。

2.年齢と精神的成熟は別

人間は年齢を重ねれば自動的に精神的に成熟するわけではない。

身体的には大人でも、感情・共感・対人関係の面では、子どもの頃から十分に成長していない場合がある。

普段は社会人として普通に生活していても、自分の欲求が通らない、ストレスを感じる、批判されるといった状況になると、幼い対応が表面化する。

たとえば、

  • 意地を張る
  • 相手を責める
  • 問題から逃げる
  • 妥協を拒否する
  • 自分の感情を相手のせいにする

などである。

さらに、自分の言動が周囲にどんな影響を与えているかを振り返る「自己洞察」も弱い。そのため、周囲を疲れさせていることに本人が気づかないことも多い。

むしろ「自分は何も悪くない。周りが自分を困らせている」と被害者側に立つことさえある。


3.特徴①――極端な自己中心性

第一の特徴は、会話や人間関係の中心が常に自分になってしまうこと

こちらが悩みを相談しても、最初だけ「大変だったね」と言った後、

  • 「私のときはもっと大変だった」
  • 「うちの子はこんなことをした」
  • 「私はこんな経験をした」

など、自分の話にすり替えてしまう。

つまり、相手の話を理解することよりも、自分の存在や経験を認めてもらうことが優先される

そのため、こうした人と長時間話した後、

「結局、自分は何を話したかったんだろう」

という虚しさが残ることがある。


4.特徴②――共感能力の不足

第二の特徴は、相手の感情を受け止めることが苦手なこと

表面的には優しく、社会的には礼儀正しく見える人でも、深い関係になると共感できない場合がある。

こちらが苦しみや悩みを打ち明けても、

  • 「みんなそんなもの」
  • 「昔はもっと大変だった」
  • 「だから言ったでしょう」

などと評価・説教・比較をしてしまう。

つまり、相手の感情を「そう感じているんだね」と受け止めるのではなく、自分の基準で判断してしまう

ギブソンはこうした状態を「情緒的な不在」と捉える。

身体的にはそこにいても、相手の感情に寄り添うことができない。

この特徴は「毒親」にも見られ、子どもを独立した人格としてではなく、自分の所有物のように扱い、子どもの感情を「反抗」「異常」などと否定することにつながる。


5.特徴③――責任を外部に押しつける

第三の特徴は、自分の問題や失敗の原因を自分ではなく他人に求めること

自分の非を認めることが、自分自身の価値を否定されるような恐怖につながるため、問題が起きると責任を他人に転嫁する。

その結果、

  • 良い結果 → 自分の手柄
  • 悪い結果 → 他人のせい

という構造になりやすい。

「あなたのせいで私は怒っている」というように、自分の感情まで相手の責任にすることもある。

家庭なら配偶者や子ども、職場なら部下など、反論しにくい立場の人がその感情の受け皿にされる。


6.こうした未熟さは家庭や職場にも現れる

この問題は個人間だけではなく、社会的な問題にもつながる。

動画では、8050問題をその一例として挙げている。

高齢になった親が、50代になっても自立できない子どもを支え続け、親子ともに社会から孤立してしまう。

また職場のパワーハラスメントについても、自分の不安や怒りを成熟した形で処理できない人が、権力を利用して他人にぶつけるという側面があると説明している。

つまり、年齢を重ねるだけでは精神的成熟は保証されない。


7.「我慢すればいつか変わる」は逆効果になることがある

ここで動画が強調するのが、イネイブリング(相手が問題行動を続けられるよう、周囲が無意識に支えてしまうこと)

責任感が強く、相手に配慮する人ほど、

  • 自分が謝る
  • 自分が我慢する
  • 自分が問題を処理する
  • 相手の怒りを受け止める
  • 関係を壊さないように自分が譲歩する

ということを繰り返してしまう。

すると相手は、

「自分勝手に振る舞っても、周囲が何とかしてくれる」

と学習してしまう。

つまり、こちらの優しさや忍耐が、結果として相手が自分の行動に責任を持つ機会を奪ってしまう場合がある。


8.相手を変えようとしない

では、どうすればよいのか。

動画では、精神医学者マレー・ボーエンの考え方を踏まえ、相手と感情的に融合せず、自分自身の考えや感情を維持することが重要だとする。

相手が怒ったり、わがままを言ったりしても、

「相手が怒っている」

「自分が怒らせた」

とは考えない。

また、

「自分がもっと説明すれば、この人は理解してくれる」
「自分が我慢すれば、この人は変わる」

という期待も手放す。


9.実践方法――「優雅なスルー」

具体的な方法として提示されるのが、「優雅なスルー」

相手の無理な言動に対して、いちいち反論したり説得したりしない。

例えば、

「そうなんですね」
「そういう考え方もあるかもしれませんね」

程度にとどめ、感情的に巻き込まれない。

重要なのは、相手を変えようとすることをやめ、自分の感情と判断の軸を守ること

相手の問題を自分の問題として背負わなければ、精神的な束縛から距離を取ることができる。


10.結論――自分の心を自分のために使う

この動画の結論は、

「他人の未熟さを、自分の我慢や優しさで支え続ける必要はない」

ということ。

相手の未熟さを変える責任まで自分が負う必要はない。

これまで相手のために使ってきた忍耐や思いやりを、これからは自分自身を守るためにも使う。

つまり、

「私はもう、他人の未熟さを支える柱にはならない。自分の心の中心は自分自身のものである」

という姿勢を持つことが、この動画が最終的に伝えたいことです。