「諦めない」という気持ちを取り戻す
私は、今回の大阪での選挙戦にも大きな意味があると思っています。
大阪では維新が非常に強く、自民党でさえ候補者を出すことをためらうような状況です。そんな中で、あえてそこに挑戦する。それは「勝てるからやる」のではなく、「諦めない」という姿勢を示すためです。
そもそも、誰も簡単に勝てると思っているわけではありません。しかし、「勝てそうにないからやらない」と言っていたら、参政党そのものが生まれていなかったはずです。
今の日本は、このままでは立ち行かない。数字を見れば、それはわかります。
ところが、多くの人には「仕方がない」という空気がありました。この10年、20年、そういう雰囲気の中で過ごしてきたのではないでしょうか。
一番つらいのは、若者から希望が失われていることです。
若者から失われた希望
日本財団が18歳を対象に行っている意識調査には、「自分が努力すれば国や社会を変えられると思うか」という項目があります。
インドでは約8割、中国では約7割、アメリカや韓国では約6割が「変えられる」と答えています。イギリスでも約5割です。
ところが、日本は約25%です。
つまり、高校3年生くらいの年齢で、「自分が頑張ったところで社会や国は変えられない」と感じている若者が多い。
ほかの調査でも、「将来、家を持ちたいか」「結婚したいか」「車を買いたいか」「海外留学をしたいか」といったことに対する意欲が、以前より低くなっています。
私が学生たちを集めて勉強会のようなことをしていたとき、20人ほどの学生に「あなたたちのモチベーションは何か」と尋ねたことがあります。
私たちが10代だった頃なら、「女の子にモテたい」「いい仕事をしたい」「将来はこういうことをしたい」といった、もっと単純な欲望や夢があったと思います。
しかし、今の若者には、そうしたバイタリティそのものが弱くなっているように感じます。
昔の日本には「諦めない」という気概があった
私は45歳で、昭和52年生まれです。福井県の人口1万人ほどの海沿いの町で育ちました。
私が子どもの頃は、まだバブルの時代でした。テレビに映る大人たちは楽しそうで、社会全体が華やかに見えました。
「大人になったら都会に行ってみたい」「海外にも行ってみたい」と思い、早く大人になりたいと感じていました。
そこには、未来への希望がありました。
ところが、今の若者は「大人になってもいいことがない」「結婚もできない」「お金も稼げない」と考えている。
海外留学をしたいという人も、私たちの世代と比べて大きく減っています。
人口は減る。しかも意欲まで減る。
これで10年後、20年後の日本が良くなるのでしょうか。
もちろん、日本には苦しい時代が何度もありました。しかし、苦しいときでも、「諦めない」「俺たちが頑張る」という気持ちが日本人の中にはあったと思います。
坂本龍馬の時代もそうです。
当時の日本は非常に厳しい状況でした。外国の圧力も強く、戦っても勝てない可能性が高かった。それでも、彼らは諦めなかった。
相手の力を利用できるところは利用しながら、どうすれば日本の独立を守れるのかを考えた。
大切なのは、その気概です。
「大阪から日本を取り戻す」
大阪の選挙では、キャッチコピーを「大阪から日本を取り戻す」としました。
かつて維新の会は「大阪から日本を変える」と掲げました。確かに大阪は変わった。
ただ、私たちが言っている「取り戻す」は意味が違います。
取り戻したいのは、日本人の「諦めない」という強い気持ちです。
「次の世代に、今よりも良いものを残したい」という気持ちです。
それを、まず取り戻したい。
先人たちが残してくれたもの
日本の山や森林を見ても、今あるものは、私たちの世代が作ったものではありません。
先輩たちが、私たちの世代のために残してくれたものです。
かつて人間が少なかった時代には、世界中が森林に覆われていました。しかし、人間が増えれば木を切ります。燃料にもするし、家も作る。
そのまま木を切り続ければ、土地は荒れ、砂漠化していきます。
日本では、木を切るだけではなく、「切ったら植える」ということを繰り返してきました。
山を資源として管理し、次の世代も木を使えるようにする。
それを何世代にもわたって続けてきたからこそ、今の日本には豊かな森林と水があります。
私たちは、そうした先人たちの「次の世代に残す」という気持ちを、今の社会でも忘れてはいけないと思います。
日本の産業と食料を守る
もちろん、目の前の日本の状況は厳しい。
人口は減り、お金もない。外からの圧力も強くなっています。
半導体など、日本がかつて強かった産業も大きく衰退しました。
自動車産業も大きな転換を迫られています。日本の自動車産業には非常に多くの人が働いているのに、政治が電気自動車への転換などを一方的に進めれば、地方の産業まで大きな影響を受けます。
「外国から人を呼び、お金を使ってもらえばいい」というインバウンド頼みだけでは、日本経済は持ちません。
外国人のお金に頼りながら、日本人がその下働きをするような社会でいいのか。
私はそう思います。
食料についても同じです。
日本には、まだ利用されていない農地があります。
その一方で、日本の酪農家が作った牛乳が余って廃棄されることがある。その一方で、日本はアメリカなどから大量の乳製品を輸入している。
これは一体どういうことなのか。
日本の農家が本当に苦しんでいるのであれば、コオロギ食や培養肉、遺伝子組み換え食品などに投資する前に、まず日本の農業や酪農を守ることを考えるべきではないでしょうか。
アメリカやヨーロッパでは、農業に対して大きな政府支援を行っています。
それなのに日本では、「農家への補助金はよくない」「競争しろ」と言いながら、海外の農産物を輸入している。
日本の農家を守るためにも、もっと政策を考える必要があります。
「なぜ日本は戦争をしたのか」を考える
そして、こうした問題を考えるためには、歴史を避けて通れません。
私たちは、「日本が戦争を仕掛けたから、戦争になった」と教わってきました。
しかし、本当にそれだけなのか。
もっと長い時間軸で、日本と世界の関係を考える必要があります。
戦国時代にはキリスト教や西洋勢力が日本に入ってきました。その後、豊臣秀吉や徳川幕府はそれを警戒し、日本を閉じる方向へ進みました。
一方、その間に欧米では産業革命が起こり、19世紀になると再び欧米列強が日本に圧力をかけてきます。
ペリー来航もその流れの一つです。
当時、日本が軍事的に欧米列強と正面から戦えば、勝つことは難しかった。
それでも日本人は諦めなかった。
だからこそ、正面から戦うのではなく、外国の力や制度を学び、自分たちも近代化するという道を選んだ。
坂本龍馬と「戦わない」という選択
ここで坂本龍馬について考える必要があります。
私は、坂本龍馬が「薩長と戦ってはいけない」と考えていた可能性があると思っています。
大政奉還も、その延長線上にあったのではないか。
「このまま薩長と戦えば、日本人同士が殺し合うことになる。それなら戦わずに済ませよう」
そう考えたのではないか、と私は考えています。
ただし、これは確定した史実ではありません。坂本龍馬の死の経緯についても、現在も諸説あります。
一方、龍馬と交流のあった勝海舟は、実際に西郷隆盛と話し合い、江戸を戦火に巻き込まずに明け渡しました。
その結果、大規模な市街戦を避けることができた。
これは非常に重要なことです。
明治日本がやったこと
明治以降の日本は、欧米の学問や制度を積極的に学びました。
単純に西洋を崇拝したのではありません。
「相手がなぜ強いのかを知らなければ、対抗することもできない」
だから、まず相手を知る。
経済をどう回しているのか。政治制度はどうなっているのか。軍事力はなぜ強いのか。
そして、相手が自由主義や選挙を使うなら、日本もそれ以上のものを身につければいい。
その精神が、自由民権運動にもつながっていきました。
つまり、当時の日本人は諦めていなかったのです。
日本が世界の中で対等になろうとした時代
明治以降、日本は国力を積み上げていきました。
そして1919年、第一次世界大戦後の国際社会で、日本は国際連盟の常任理事国となりました。
当時の世界には植民地支配が広く存在していました。
その中で、日本は独立を維持し、「対等に扱ってほしい」と主張しました。
しかし、そのことを快く思わない国々もありました。
その後、日本は日英同盟を失い、経済的な包囲が強まっていきます。
日本は満州に進出し、満州国を成立させました。
その後、日中間の衝突が拡大していきます。
戦争に至った背景を単純化しない
ここは、非常に複雑な問題です。
日本側に問題がなかったと言いたいわけではありません。
当時の日本が行ったことの中には、明らかに批判されるべきものもあります。
しかし、「日本がすべて一方的に戦争を始めた」という一つの説明だけですべてを理解することもできません。
満州事変、日中戦争、対米戦争に至るまでには、外交、経済制裁、資源問題、軍事的判断、国内政治、世論など、多くの要素が絡んでいました。
また、昭和天皇が戦争拡大をどのように考えていたのかについても、史料をもとに慎重に検証する必要があります。
だからこそ、「日本が悪かった」「いや日本は悪くなかった」という二択ではなく、何が起こったのかを一つ一つ検証することが重要です。
アジアの独立運動と日本
日本がアジアで戦争を行ったことによって、結果的に欧米列強の植民地支配が揺らぎ、独立運動を後押しした側面もありました。
インドネシア、ベトナム、インドなどでは、独立を目指して活動した人々がいました。
日本人が彼らに協力したケースもあります。
日本語を教えたり、日本に招いて訓練したり、現地で組織を作ったりした人々もいました。
もちろん、それを「日本の戦争は正しかった」と単純化することはできません。
日本には日本の目的があり、アジアの独立運動側にもそれぞれの目的がありました。
しかし、戦後の私たちがそうした歴史をほとんど知らないのも問題ではないでしょうか。
私はインドネシアやインドなどを実際に訪れ、資料館などを回りました。
そこで、当時を知る人や、その子どもたちに話を聞いたこともあります。
そこで感じたのは、むしろ外国の人たちのほうが日本人より日本の歴史をよく知っているということでした。
歴史を断絶させてはいけない
私は、日本の過去をすべて賛美しようと言っているわけではありません。
悪いことは悪い。
しかし、すべてが悪だったわけでもない。
良かった部分もあり、悪かった部分もある。
それを両方認識することが重要です。
自分たちの先祖がすべて悪い人だったと思い込んでしまえば、自分の国に誇りを持つことも、先人から何かを受け継ぐことも難しくなります。
縄文時代から続いてきた日本人の営みを、そこで断絶させてはいけない。
私が政治をやりながら、なぜこれほど歴史の話をするのか。
それは、歴史がなければ次の世代につながらないからです。
戦後78年間、日本は経済成長を最優先にしてきました。
経済さえ回っていればいい。
その間、政治や教育について深く考えなくても何とかなる。
そういう時代が続きました。
しかし、今は経済まで厳しくなり、人口も減り、外からの圧力にも抗えない状況になっている。
だからこそ、もう一度考え直す必要があります。
日本を強い国にする
私は「戦え」と言っているわけではありません。
日本をきちんとした国に作り直し、独立した強い国家にする。
それでいいのです。
日本が強くなれば、相手の態度も変わります。
「日本もきちんとした国になった」と思わせることができれば、外交関係も変わってくる。
ところが、日本が何でも言われるままに従っていれば、どんどん軽く見られ、日本の富が海外へ流れていくだけです。
それを「仕方がない」と受け入れるのか。
それとも、「それは嫌だ」と思うのか。
今、私たちはその分岐点に立っていると思っています。
まず、日本の現状を俯瞰する
だから、選挙で勝つことが一番大事なのではありません。
まず、今の日本の状況をどう位置づけるのか。
なぜ日本はこの状況になったのか。
世界は今、どの方向へ進んでいるのか。
それを自分自身で分析し、このままでいいのか、それとも変えるべきなのかを決めることが大切です。
高知には、幕末から明治にかけて日本を動かした多くの人々がいました。
坂本龍馬だけではありません。
そうした先人たちのことを、もう一度俯瞰して見てほしい。
そして、今の世界の流れを見てほしい。
政治は地方からでも変えられる
中央政府が強いのは事実です。
しかし、中央政府が間違ったことをしているのであれば、地方政治からでも変えていかなければいけません。
知事にきちんと思いを伝える。
政府の言いなりになるのではなく、地方の立場から政府に「おかしいものはおかしい」と言う。
仮に政府から補助金を削られたとしても、それでも「ダメなものはダメ」と言える地方自治体を作る。
そうしなければ、国際機関が決め、日本政府が決め、地方が従い、住民の声だけが届かないという構造になってしまいます。
だからこそ、おかしいと思ったら抗う。
ただし、汚い言葉で攻撃するのではありません。
道理を説く。
歴史を学ぶ。
国際情勢を知る。
そして、多くの人に理解してもらい、仲間を増やしていく。
ルールに従って、民主的な方法で変えていく。
日本には、まだルールを守ろうとする人たちがいます。
だからこそ、ルールが機能しているうちに動くべきです。
一人から始まる
高知でも、自民党が非常に強い中で立候補している人たちがいます。
「そんなところで自民党に勝てるわけがない」「無駄だ」と思う人もいるでしょう。
しかし、勝ち負けだけがすべてではありません。
大きな世界観と歴史観の中で政治を考え、行動することに意味があります。
幕末だって、最初から大勢が動いていたわけではありません。
坂本龍馬も最初は一人でした。
一人の思いから始まったものが、やがて大きな流れになります。
私自身も、最初は一人でした。
それでも活動を続け、多くの人と一緒に国政政党を作るところまで来ました。
だから、今は無理だと思っていたとしても、諦めてはいけません。
大きなゴールが見えているなら、一人からでも始められます。
子どもたちに何を見せるのか
大人が「ダメだ」「どうせ無理だ」と言いながら、テレビを見て政治家や芸能人の悪口ばかり言っている。
そんな姿を見て、子どもたちが「自分が頑張れば社会を変えられる」と思えるでしょうか。
思えないでしょう。
だから、ダメだと思うなら自分が行動する。
「私もやる」と言う。
そして、一緒にやる人を増やす。
それを子どもたちに見せていく。
そうすれば、「頑張れば変わるかもしれない」と思える18歳が増えていくはずです。
これが、令和の自由民権運動です。
一人でも多くの人が、この運動に加わり、日本を諦めない気持ちを取り戻してほしい。
すべては、一人から始まります。
一人の思いを、決して軽く見てはいけません。