(2023年度-No.12)

出かけた日  :2023.2.9(木)

ブログ作成日 :2023.2.23(木)

 

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ちょっと前のお出かけを 二回に分けて 書いてみます

 

今回のお出かけのメインは 川内倫子さんの写真展を見に行くことですが

折角なので 近くにある明治時代の 近代化遺産を訪ねることにしました

 

 

上の写真は 私がMEMO書きした地図です

 

中央にある天神川は 複雑な政治的理由で ダムの建設を巡って

もめにもめた 大戸(だいど)川に繋がっています

 

 

この それほど大きくない天神川を跨ぐように

いま新名神の架橋工事が行われています

 

 

何気なく見ている高速道路の 建築現場に これほど近づくのは初めて

 

 

そのスケールの大きさに しばし呆然としました

2024年に開通予定なので 完成後また来てみたいものです

 

 

ここから 川沿いのハイキングコースにもなっている道を

慎重に上がっていくと 少し広いところで 迎不動の小屋がありました

 

 

こんな山中なのに 結構参拝者が耐えません

 

石造不動明王の目が 何か気になります(書き加え?)

 

 

ここから川原を渡り 一気に湖南アルプスに踏み込んでいきます

 

すぐにあるのが 「新オランダ堰堤」↓

 

 

明治8年に来日し 我が国の治水・砂防事業に大いに貢献した

オランダ人技術者=デ・レイケが指導して 造ったものです

 

 

ダムの上には こうして多量の土砂が堆積しています

 

 

こんな山奥に なぜこんなに立派な砂防ダムを造ったのか

また 造らなければならなかったのか

 

そこに 古代日本の都造りを進めた弊害が 見えてくるのです

 

 

ダムからすぐの所に アミダ岩とモアイ岩

 

 

どちらがどっちだか分かりませんが こんな巨石を

湖南アルプスの至る所で 見ることができます

 

 

「鎧堰堤」を目指して 急坂を上って行きます

 

 

岩場のような登山道を ひるまず上ぼり

 

 

時には沢に下り 横断したり

 

 

 

分岐がはっきりせず リボンを頼りに進んだり

 

 

残雪を喜んだり

 

 

急な石段にうんざりしたり

 

 

一喜一憂しながら 30分程度の山道を歩いて行くと

鎧堰堤の案内板が 出てきました

 

 

 

これが ↑ 新鎧堰堤で 下部に水抜き穴が見えます

 

 

そして こちらが 目指す明治時代の「鎧堰堤」

 

 

一体なぜこんなに堰堤を造ったのか・・・

 

それは 平城京・恭仁京・紫香楽宮・保良宮と

連続して造営された都や寺院建立の影響です

 

 

初代の東大寺別当良弁僧正は この向こうにある

金勝山の麓に生まれたとの説があります

 

ならば ここに 良質の木があることは承知で

都の造営や寺院の建設に必要な 大量の材木を切り出したことは

地理的な位置から考えても なんの不思議もありません

 

 

そうして 大量に木を切り出した金勝山は 完全にはげ山と化し

大量の土砂が流出する危険な川となったのです

 

 

「鎧堰堤」の上は 広大な砂地が広がっています

この木は 昭和35年からの植林によって やっと緑を取り戻したものです

 

 

この土砂が下流に流れ込み 多くの人々を苦しみ続けたことを思うと

「開発」という言葉の重さを ひしひしと感じさせられました

 

 

滋賀県立美術館に行く前に ここに立ち寄ったのは

「オランダ堰堤」を見たかったからなのですが

最初の看板では「新オランダ堰堤」となっていました

 

どうやら場所をまちがっていた様ですが その結果 こうして

すごい近代化遺産の一つを見ることができました

 

次回は いよいよ美術館の巻です