(※感情を書きとめただけの日記なので、LIVEレポが読みたい方は回れ右してもらえると嬉しいです)


櫻坂の2度目のドーム公演を観ました。

まずは、あの激しくも暖かい空間に足を運べたことを、とても嬉しく思います。


実は、もう数ヶ月も本当に櫻坂のことを思い出さない日常でした。

個人的なことを少し明るみに出すならば、今まで心躍らせていた音楽、心通わせていたSNS空間、そういうものの全てに何の味も色も感じない時間が多くなっていました。


何歳の頃に戻りたいのか?のアルバムも数度聴いただけで、最新曲に至っては、ミュージックビデオを検索することさえ自分を動かすことが出来ませんでした。

そんな中でチケットを取る指だけは動いたことが、今となってはかけがえのない奇跡のようです。


一方で、LIVEが近づくにつれ、葛藤が大きくなっている自分もいました。

それは単純に櫻坂へ興味を注がなくなっていることへの後ろめたさでもあり、それ以上に自分が櫻坂のファンであるべき役目を終えたような予感からのことでもありました。


今の櫻坂を見て、純粋にそれを好きになったファンが増えていることは、遠目でも分かる熱気として伝わっていましたし、

それはまさに、愛するグループが形を変えると知ったあの日に自分に誓った期限のうちで、最も理想的なエンディングだったからです。


東京ドームに向かう足取りが、一番重たい日でした。


LIVEが始まると、ほとんど初めてのように聞こえる曲、しばらくしてやっと思い出す曲、そういう時間も決して少なくはなかったように思います。


しかしながら、その中で、もう何ヶ月も聴いていないのに、確かに身体が覚えている音楽、

そしてその時の気持ち、景色、

そういえばデビューカウントダウンを観に行った映画館は席があまりにも前で酔いそうだったな、

そんな何でもない記憶が次々に浮かぶたび、

半分以上は義務感だと思っていた櫻坂への気持ちが、実はもう抜けない記憶の道標として自分の中にあることに気付かされました。


とても暖かい空間でした。

色んな日常のなかで、櫻坂はずっと味方だという言葉が(かなり意訳)、優しい響きで私の心に残っています。

見返りを求めるような応援の仕方をしてきたことは一度もないと強く思ってきましたが、今日ばかりは、そしてこの言葉を聞いたとき、

ここまでの歩みを見つめ続けてきたことの全てが返ってきたような気がしました。


LIVEの熱狂は幻のように朧げで、

今はただ少しひりつく喉と、手掴みのしわが残るタオルと、そして手にいっぱいのお土産(本当にありがとうございました)だけが、

あの場にいたことを確かに感じさせるようです。


けれどきっと、今日の日に感じたあの空間の心地よさは、いつかまた心が冷えるときにも、暖かい布団のように私を包み込んでくれるような、そんな気がしました。


p.s. お会いしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。今日のお返しは、また出会える口実にさせてください。