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私が航空自衛隊の飛行機の写真を撮り始めたのは高校生の1982年頃からで、航空祭デビューは同年の岐阜基地航空祭でした(ですので、F86Fブルーは見ていません)。この年はT2ブルーインパルスのデビューイヤーで当然岐阜基地にもブルーはやって来ましたが、名古屋空港との空域の関係・悪天候の影響もあって、ブルーは航過飛行をしたのみでした。

「フルアクロをするブルーを見たい!」っていう思いは強くなる一方。
折しも大学受験の年。遠征は不可能・・・。でも、11月13日・14日に両親が高山に出掛けるという事を知り、「よっしゃ~!内緒で浜松行くぞ!」と決心。

当日は快晴!フルアクロには全く問題ありません。
未だに理由がわかりませんが、岐阜基地では装備されていなかったダミーのサイドワインダーが浜松ではT2ブルーに装備されていました。
(編隊を組む目標物にしたらしいですが、あの事故後は一度も装備されていません)

アクロ演技は素晴らしかったです。感動しました(今より高度も低かったですし)。

そして、あの悲劇が・・・。演技科目は「下向き空中開花」。6機でデルタ隊形を組みスモークを引きながらループを打つ。ループの頂点で編隊長の「Break Ready」のコールがあり、編隊が地面に対し垂直になった状態の時「Now!」のコールと同時に編隊は6方向に解散するという科目です。こ科目の場合、4番機は「Now!」のコールと同時に180度ロールを打って更に機体を引き起こすという操作が求められます。

事故調査によると、ループの頂点そのものが通常より低かった・編隊長の「Now!」のコールが3秒遅れた・遅れたため編隊は地面に対し、やや引き起こされた状態になっており、反対向きに飛ぶ4番機の引き起こしには更なる負担になった、そうです。

結果、高嶋一尉が乗務する4番機はあと0.7秒早かったら間に合ったであろうという状態までは引き起こされたものの、地面に衝突。殉職されました。また、飛び散った部品で多くの方がケガを負われました。

私はブレイクの瞬間を撮影後、自分の頭上を飛ぶ1番機を追って、後ろを振り向いていました。しかし、前方の撮影者から「落ちた~~!!」という叫び声を聞いて前を見ると、赤い炎と真っ黒な煙・・・。
何が起こったのか判りませんでした。ただ、足がガタガタと震えていたのはよく覚えています。
そして、近くに展示していた救難隊のV107ヘリに隊員が「どいて~~!」と叫び声を上げながら走ってきて、あっという間に離陸していきました・・・。

事故発生と同時に航空祭は中止に・・・。
帰ることとなりました。

【写真】
1枚目:離陸準備中のT2ブルー。右側が殉職された高嶋一尉が乗務した#174番機。
2枚目:ダイヤモンド隊形。後ろで白いスモークを引いているのが4番機#174。
3枚目:下向き空中開花に向かうデルタ隊形。
4枚目:下向き空中開花のブレイクの瞬間。下にやや下がっているのが4番機。

飛行機の記事の最初にしては少々重いですが、こういった写真は人の画像板には貼れませんので・・・。