~2分法のススメ~


と言っても、アルゴリズムの難しい話ではない。


「行動を“良い”か“悪い”か2つに分ける」ことである。

中間はない。
必ずどちらかを選択するのだ。


ここで重要なのは、「物事の善悪は関係ない」ことである。
「自分がとった“行動”が良いか悪いか」を判断するのである。


以前、無断で塾の電源を使い、iPhoneを充電する子どものことを書いた。
1円なら他人のお金を失敬してもいいのか?100円なら?10000円なら?とラインを変えていき、どこかにYESとNOの分岐点があったとするならば、それは個人の曖昧な価値観でしかない。
良いのか悪いのか、金額の多少とは関係なく判断すべきだということだ。


最近、私の塾で酷い落書きが発見された。
書いた子らは、ほんの遊び心だったに違いない。
でも、内容によって「これは許せる落書き」「これは許せない落書き」なんてあるのだろうか?
本人が失笑したら?傷ついたら?悩んで立ち直れなくなったら?自殺まで考えさせてしまったら?
ラインなんて引けるわけがない。
道路標識への落書きは?世界遺産への落書きは?ネットにおいて集団が匿名で個人を誹謗中傷することは?
だから私は残念だった。重い気持で塾生保護者にメールを打った。「家庭でも話題にしてほしい」と。


あるfacebook友達が以下のような内容の記事をアップしていた(加工し抜粋)。
『イルカやクジラはダメで、牛や豚はOKだなんて言っている偽善者は、よくよく考えてみるべきだろう。
いや、私は菜食主義者です。植物にだって命があり心があるって知らないのかい?
犠牲にしては良い命と奪ってはならない命なんて、勝手に線引きしている傲慢さに気付かず…』
今回私がお題にしていることのいい例である。


数日前に自分が書いた記事もいい例。
電車内で迷惑行為をする人間に対し苛立つ記事をアップしたが、結局自分は相手に対して注意をすることをしなかった。
それは、もし相手が怖~い人の集団だったら絶対言えない自分がいたから。相手によって自分の態度を変えるのが嫌だったから。


さて、話が長くなった。
実はここまでが前置きである。
いつもは結論を先に言うタイプの自分が、あえて逆の順序で話を進めた。
考えてほしかったからである。


ここまでの前置きで見えてきたことがあると思う。
それは、人間はそれぞれの価値観で善悪を判断し、言動を選んでいるということ。
そして、その価値観はもろく、時には(いや何度も)自己の行動を反省し、後悔する動物であるということ。


大人だってそうなのだから、子ども達はなおさらである。
「自分の取った行動が間違っていた」ことは人に厳しく注意されなくてもわかっている。
考えが甘いとか意識が低いとかそういうこととは関係なく、その時そういう行動を取ってしまったことは自分が一番知っていて、マズイと思っている。

だから、そこを厳しく指摘してもあまり意味がない。


「次に同じ過ちをしないために一緒に考える」姿勢が我々大人に必要なのだ。

しかし、現実には何度も同じような過ちを繰り返してしまう子がいる。
我々大人からしてみれば、何度も同じことを言わせるな!と腹が立つこともあるが、子ども達はその時の価値観でそう行動してしまったのである。
だから、「二分法」なのである。


私は子ども達を諭すときは次のように話すことにしている。
「キミの取った行動は良いことなの?悪いことなの?」
「どうしてそう思うの?」
「じゃあ、次からはどうしたいと思うの?」


すると叱ってもいないのに子ども達は目に涙をためて答える。
そう、子ども達は他者から指摘されなくても悔しいのだ。
でも、指摘するなと言っているのではない。
考えてもらうのである。


怒ると叱るは違うという話は有名だ。
様々な方が取り上げているので、ここでは割愛するが、大きな違いは「怒るは自分のため、叱るは相手のため」であろう。

でも、実は共通点があることはあまり話題になっていない。

それは目上の者(親・指導者・教師・コーチなど)が目下の者に対して自分の“価値観”を押しつけているということだ。
これでは本当の“理解”や“共感”は得られないと考える。
よって同じ行動を取ってしまうのである。
だから、私は「二分法」を勧める。


「キミの取った行動は良いことなの?悪いことなの?」
「どうしてそう思うの?」
「じゃあ、次からはどうしたいと思うの?」

もし、その価値観がズレていたら、同じ方向に進めるわけがない。

子ども達とじっくりと話し合い、子ども達を理解してあげ、こちらの価値観もぶつけてみて、すり合わせをしていくことから全ては始まるのだと思っている。


【追記】

子ども達によく話すことを書き忘れた。

夜眠くなった時、こう考えろ。
合格発表の日の未来の自分が、今日のキミに対して、「今日はよく頑張ったな!今日のキミがいたから、自分は合格できたんだよ!」と言ってたら安心して寝ろ。
そうでなければ、もうひと頑張りしてから寝ろ。
勉強は時間ではなく、質なのだから。

これぞ、別の意味で大切な二分法である。



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