前回からの続きです。
まだ①を読んでいない方はこちから。↓
http://ameblo.jp/ozawa-atsushi/entry-10375733761.html


■呆然の結末

 激励のために私がK学院で待っていたところ、S君が真っ先にやって来た。試験開始まで1時間もある。入試の時期というのはかなり寒い頃だから、そんなに早く来ても寒いだけでロクなことはない。「こんなに早く来てアホやな」と言いながら、見ると体が震えている。それもそのはず、学生服の下は夏のTシャツ1枚だけである。
 これでは寒い。塾で用意した使い捨てのカイロを、1人1個の割り当てなのだが、8個ほどをポケット全部に押し込み、彼の右手をさすりながらこう申し付けた。「今日の試験を受けるお前にとって右手は神の手や。絶対に右手だけはおかしくしたらアカン。かじかんだら答えも書けへんで。風のないところでジッとしとけ」。

 K学院の試験は2日間にわたって行われる。S君は翌日もいちばんに現れて試験は無事終了した。できはどうだったかと聞くと「わからない」と言う。

 さて合否の発表は試験翌日の夕方である。定刻より早めにK学院に行くと、掲示板には何も貼られておらず、生徒たちもまだ来ていない。

 ジリジリ待っていると時間ピッタリに、合格者の名前を書いた紙が張り出された。

 K学院では番号ではなく名前を表示する。真っ先に私はS君の名前を探した。あった。S君の名前があった。

 ほかに塾から受けた生徒の名前もたくさん載っていた。だがそのときの私にはS君の名前だけで十分だった。スタッフに生徒の名前をチェックさせているうち、何だかジーンときて涙が出た。

 そのうち塾の生徒たちが集まりはじめ、合格に喜んだり落ちて泣いたり、悲喜こもごもの光景が展開されている。私はS君におめでとうを言うつもりで待ったが、なかなか来ない。冬の夕方はすぐに日が落ちる。真っ暗になってほとんど人がいなくなっても来ないのである。

 たとえ試験シーズンでも塾ではその日も授業がある。私はスタッフに自分の授業の代講を頼んでさらに待った。やっと来たのは7時過ぎである。暗い照明にポツンと1人彼の姿が見えて、次にお母さんの姿が浮かんで見えた。あとで聞いたらお母さんの仕事が終わるのを待って来たという。

 まさか私がそんな時刻まで待っているとは思わなかったらしく、S君はビックリしている。「遅いやないか」と声をかけたら「先生、どうでした?」と言う。

「何を言ってる、お前がやった結果や。自分で確認してこい。掲示板はあっちや」

 すぐに走って行ったが、私が厳しい顔をしていたので落ちたと思ったらしい。お母さんもそう思ったらしいのだが、「おめでとうございます。受かってますよ」と言うと、「先生、ありがとうございました」と言うなり泣き出した。

 すぐにS君を追いかけていくと、彼は掲示板の前でうずくまり泣いていた。「やったな、良かったな。これでお前は4月からK学院の生徒やな」。

 するとS君が立ち上がり、私に言った。「先生、僕はK学院には行きません」。公立のT高校へ行って頑張ると言うのである。T高校は公立の高校としては当時も今もトップの座にある。学校としては素晴らしいが私は驚いた。



■感動も巡り巡って自分のため 



 結局そのあと私に重ねて礼を言いながら、S君たちは発表会場から帰って行った。
 後ろ姿を見送る間、私は喉の先まで「K学院の学費、出したろやないか」というセリフが出かかっていた。しかし言わなかった。一生懸命に生きているお母さんを見ては到底言えるものではなかった。失礼とか何とかいうのではない。彼ら家族のすべてが尊いと思え、そんな人たちには必要がないと思ったのだ。

 S君は最初からK学院に行けないことがわかっていた。それでもすざましい頑張りで勉強し、そして合格してみせた。この上なく尊いと思う。その彼にできる範囲で好きなようにさせてやったお母さんも同じである。

私の塾講師生活のなかで、さすがに後にも先にも、K学院高校を滑り止めにして公立高校へ行った生徒はほかに一人もいない。難易度で言えば灘に匹敵する。東京なら開成クラスである。東京の人には、開成を滑り止めにして都立のトップ進学校に入るといえば感じが伝わるだろうか。すごい生徒だった。



 3年後、嬉しい記事を見つけた。東大と京大の合格者一覧を週刊誌が掲載し、そのなかにS君の名前を発見したのである。K学院の合格発表のとき以来連絡を取り合うことはなかったが、「やったな」と思った。先生冥利に尽きると思った。


(終わり)

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いかがでしたか?


実はこの話は私が早稲アカのある教室の校長を務めていた時代に講師ミーティングで紹介したのですが、当時「感動しました!」と私にメッセージをくれた先生は3人のみ。


彼は掲示板の前でうずくまり泣いていた。」

この文章だけで私は何分も涙が止まらず、それで紹介したんですが…。

情けなく思いました。あぁ、自分はこんな所で働いているんだと。

S君に感動できない人は“先生”を辞めてほしいと思っています。



え、そんなのは小澤の個人的感想にすぎないって?
他の講師たちも心では様々な思いがあるけど口には出さなかっただけだろうって?


もう一度言いますね。

何を感じていても、どんな能力があっても、それを行動に移せない者はダメであると。

いや、正しくは“考”動とした方がこの場合はいいかも知れません。


心で感じていても、実行しなければ相手には伝わらないのです。

前に言いましたよね。

「例えば外国の飢えた子どもたちに同情したとしても、具体的行動を起こさなければ何もしていないのと同じである」と。


日本全国の“先生”と呼ばれる方々へ。

行動しない者は、子どもたちや保護者を牽引することは絶対にできません。


小・中・高どんな対象であれ、学校・塾を問わず同じはず。

ぜひ子どもたちのために考動しようではありませんか!!



木下先生の著書はこちら ココ!http://abitry.cart.fc2.com/

何人かのお母さんが「既に購入した」とメッセージをくれたのでビックリしました。