米ノ津川激特事業竣工式 | 小里 泰弘オフィシャルブログ Powered by Ameba

米ノ津川激特事業竣工式

5月20日(日)、朝4時半に起きて羽田から鹿児島へ。

先ず、地域の運動会2カ所に参加。ある集落の運動会は集落人口104人 のうち、96人が参加、まさに地域をあげての運動会。誘われてグラウンドゴルフ競技に出場、見事に(?)3打でゴールし、チームの優勝に貢献しました(笑)。 もうひとつの運動会も子供からお年寄りまで多くが参加して盛り上がり、後の飲ん方も楽しみとのこと。

続いて、出水市の米ノ津川の河川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)の竣工式に出席。

思い起こせば、平成18年7月22日(土)、結婚式に出席のため東京にいた私のもとに「川内川、米ノ津川が豪雨で大変なことになっている」との知らせが届き、急きょ帰鹿。

戦後最大の集中豪雨により道路が寸断され、まさに道なき道を辿り、湧水町から菱刈町、大口市へとなんとか入り、被災状況を視察したものの、さらに出水市へ向かう道路が全滅。思案の末、一旦北上し、熊本県水俣市経由で国道3号線を南下して出水市へ入ったことを思い出します。

7月24日(月)の朝、一旦上京して、国土交通省や関係省庁を回り、被害状況を説明し、対策を要請したのが始まりでした。

その日の午後 北川国土交通大臣が被災地に入り、その1週間後には当時の谷垣財務大臣を出水市から川内川流域へと案内し、対策を要請。

以来、「あの川を2度と氾濫させてはならない」との信念で、国会質疑で取り上げること累計で十数回、国土交通省河川局へは毎日のように通いました。

伊藤知事は「県はいかようにでも対応するから国の予算を頼む」と激励してくれ、野村、加治屋両参議院議員は親身にフォロー。「上流 中流 下流の区別なく同時並行的に短期間にやり上げるには激特事業が適している」と私にアドバイスをくれたのはある河川局OBでした。

市長、県議、市議会の皆さんは現場に直結して懸命の取り組みをいただき、何度も上京していただきながら、共に要請活動を重ねました。

関係者一丸となって取り組んだ結果、平成18年10月4日、米ノ津川 、川内川の激特事業が採択されました。

激特事業予算の確保のために、原形復旧を旨とする復旧事業予算をある程度改良事業まで行えるようにするなど、国の予算の仕組みまで変えました。

政権交代後、公共事業予算が大きく削減されるなか、「政権が変わっても人の命の重さは変わらないはずだ」と、計画どおりの実行を求め、国会質疑でも取り上げながら、決められた予算を守りました。

それぞれの場面場面をなつかしく思い出しながら、関係者の労をねぎらうことでした。

さらに今日は支援者の結婚披露宴、地元隊友会総会に出席し、明日、上京します。

http://blog.livedoor.jp/o_yasuhiro/archives/1607841.html