あなたの15歳の頃の思い出教えて!

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思い出はやっぱり受験かな
教師が進学校に行かせるべきって言ってたのに
親の一言は
地元の高校でいいです。もう決まってるので(´∀`*)
って言いきったことだなwwww
ちなみに叔母が札幌の中高一貫のパンフレットを
もってきてくれたのよね・・。
私の成績表をコピーして従兄弟が通う塾に持っていき
どの学校なら通えるか聞いてくれたのよね。
北海道の人ならだれでも知ってる有名な学校ですよ(笑)
叔母は資産家で私の学費を大学まで全てもってくれて
自宅のマンションに住まわせてくれることまで考えてくれてた。
理由は自分に女の子が出来なくて
ずっと手助けできることがあればと思っていたからと。
叔母は本当に可愛がってくれていて
何度も家に来て母を説得していた。
学校にも掛け合ってくれていたんだよね。
でもウチのオカンは首を縦に振ることはなかった。
うちはオトンが亡くなってから家計は火の車だったから
馬鹿にされてると思ったんだろう。
よく言ってたし(笑)
 
15歳の私にはそれがわからなくて
悔しい思いをしたのを覚えている。
自分の進路は自分で決められないと思った最初が
15歳の受験期だった。
 
同じことが高校3年でもあるんですけどねwww
地元のバカ高と言われる学校に通いながらも
私は腐らず勉強だけはトップクラス維持しつづけた。
高校3年で再び自分の進路が閉ざされたときに・・
決心したね。
 
決して自分の子に進路で悩ませないと。
どんな学校に進みたいと言われても邪魔はしないと。
そして息子が15歳の秋に
自分で決めた進路について私は口を出さなかった。
決められないならば高専に行くことを勧めた。
息子の担任は熱心な先生で夢や趣味を熱心に聞いてくれて
進むべき道や、他に興味が出た時の進路など
多岐にわたって話してくれていた。
「君はバカではない。むしろ賢い。地頭はいい。やればできるけど、まだスイッチが押されていない状態の卵だ」
って言ってくれた。
息子が選んだ道は、成績や本来取れるべき内申から2段階も3段階も下の滑り止めの高校だった。
楽して入学して国立を目指すと言い出した。
(当初は宇宙物理学狙いで京産大に行きたいと言っていた)
息子の15歳がこれだった。
邪魔しなくて良かったと思った。
やればできるということも中学最後の模試で示した。
(維持できてないけどねww)
 
私は親に全ての進路を決められて
自分の意志で決めたことは結婚からだった。
むしろ自分の思うままの進路だったら今はないだろうし
息子もいなかっただろう。
これで良かったんだと今なら思う。
 
全ては一本の線の上にあり緻密な縁で繋がっている。
15歳で悔しい思いをしたから今がある。
面白いものですね。