アビス(ミシュラン 一つ星、ゴー=ミヨ 13.5点)

    「夜の蝶ならぬ夜の魚」

 

 『ゴー=ミヨ 東京・北陸版 2017年』の「期待の若手シェフ賞」受賞店をめぐる美食批評の試みの第二回。

クラフタルと外観は似ている。白を基調としたシンプルモダン。しかし、まず立地が異なる。クラフタルは、その季節ともなれば桜を目でに人々が集まり、日々の人通りも多い目黒川沿いにある。それに対し、アビスは南青山の住宅地の中にひっそりと。実際、隣は民家である。まさに隠れ家的名店の趣。しかし、驚くのは店に入った際である。クラフタルは外観そのまま、オープンキッチンなど開放的で心軽やかに食事への期待が増していく。それに対し、アビスは暗く、六本木か麻布の会員制クラブのようだ。導線の右側に客席が向き合う形で奥に向かって一列に並んでいる。左側はバーカウンターでキッチンは見えない。すべてが対照的だ。クラフタルではシェフをはじめセルヴィスも皆、同じエプロン状の作業着を着ている。アビスではまさに、黒服がお待ちかねなわけで。例外は料理を運んできて説明するコミがエプロン姿なくらい。つまり、この二店はコンセプトがまったく違っている。一言でいえば、クラフタルの現段階のスタイルは、一つ星でできる限りのカリテプリと最高のパフォーマンスを提供しようというもの。それに対し、アビスはこのまま二つ星それ以上へ繋げて行こうという意気込み。従って、客層も違う。クラフタルは美味しいものが食べたいまさにグルメ向き。それに対し、アビスは特別な時に使いたい店。実際、連れにプレゼントを渡していた客がいた。あるいは訪れたことが自慢になるような店。「接待系」あるいは「密会系」の店とでも言えようか。

そうした違いはワインリストを見れば、一目瞭然。両店とも葡萄マークがついていたがその意味は異なっている。のちに述べるように魚料理に特化した店なのだが、赤ワインの品揃えも悪くない。赤ワインにも二頁が費やされている。半分はフランスでブルゴーニュとシノンが少々。後の一頁は他の様々な国のワイン。問題はワインの価格である。一万五千円以下のブルゴーニュは皆無に近い。クラフタルでは一万円以下のブルゴーニュも結構リストアップされていたのだが。その代わり、アベスにはDRCなど桁違いのワインが結構揃っている。

結局、筆者は以下のようにワインを頼んだ。クラフタルの時と同じ、赤ワインをリストからブテイユでチョイスするスタイルである。

グラスシャンパーニュ ル・ブリュン・セルヴネ NV

グラスの白ワイン サヴニエール クロ・ル・グラン・ボープレオー 2012

赤ワイン ジュヴレ=シャンベルタン レ・コルヴェ ジル・ビュルゲ 1986

前回のクラフタルでのコルトンと値段を合わせようとしたら、これしか選べなかった。つまり、リストの中で最も安い部類のブルゴーニュである。ヴィンテージものではあるが決して高いワインではない。その理由はまず、1986年はオフヴィンテージで80年代でも出来の悪い方である。また、調べたところ、作り手は同地の名手アラン・ビュルゲの兄とのことで、ジル氏が引退時に在庫を処分したものとのこと。しかし、そのため、状態は良く、筆者は十分堪能することができた。また、魚料理に合わせるには、熟成し若干弱くなった赤ワインの方が向いていると考えられ、十分期待に応えてくれたと思う。

こうして、7皿の料理+2皿のデセールの9000円のお任せコースと合わせ、二名で47000円ほどであった。料理に合わせた七種のワインペアリングが7500円ほど。さらに、水がミネラルウォーター必須のフランスの星付き店スタイルだったので課金して、サーヴィス料・税など、ペアリング組はしめて一人20000円といったところだろうか。今回も残念ながら、リストからワインを選んでいたのは筆者の卓だけであった。

さて、料理については、クラフタルと同じお任せの一コースのみ。料理が七皿、デセールが二皿の計九皿でクラフタルより一皿多い。ただし、すべてが魚料理であることと一皿のポーションが少なめ。また、既述のようにクラフタルの料理はどの皿もやや過剰な感じだったのに対し、アビスはシンプルに食材の味を生かすタイプなので、食べ終わった後の満足感はクラフタルの方が大きい。筆者の食したデギュスタシオンは、青のりのクッキーに牡蠣クリームとキャヴィアを乗せたアミューズに始まり、烏賊ときゅうりのバジルとナッツの和え物、稚鮎とメロン、穴子と牛蒡、鮑、スープ・ド・ポワソン、マナガツオ、デセールが蕨餅、パンナコッタだった。

どの皿も主役の魚介の素材の味を生かし、ソースなどが過度に主張することはない。バジルやコリアンダーといったハーブを効果的に使うことで、南仏というよりエスニックの趣、さらには、和え物、穴子と牛蒡、稚鮎には蓼のパウダー、デザートに蕨餅といった和のテイストをしっかり加えるなど、フランス料理でありながら、それを超えていく発想を織り込んですべてに抜かりがない。しかも、口中調味が整理されていて、明確で無駄がない。筆者が最も評価するのは、メインのマナガツオで、火通しがしっかりしていながらパサつかず、上質の鶏肉を食しているかのようで食べ応えがある。ソースもシュプレーム風で、肉ではないが立派なメインディッシュになっている。ただし、残念だったのは、スペシャリテと言われたスープ・ド・ポワソンだった。柑橘とコリアンダー(パクチー)の風味であると説明があったが、飲んですぐ感じたのは「これって、辛くないトムヤムクン」。確かに、スープ・ド・ポワソンの魚々した感じが苦手という方もおられようが、こくのある濃厚な魚のエキスと後味に甘さの残る感じこそ味の決め手であるのに、パクチーと酸が口に残るのでは興醒めである。繊細さが売りの料理とお見受けしたので、ここは再考の余地があろう。また、さらに星を増やすべく続けるのであれば、肉料理にもチャレンジしなくてはいけなくなる日が来ることを肝に銘じておく必要があろう。

結局、クラフタルとアビスは店のコンセプトも料理の方向性もまったく対照的と言える。従って、どうして一点差が付いたのか理解に苦しむ。筆者としては、両店とも14点でよいのではないかと考える。あとは評を参考に自分の必要に応じて、行きたい方へ行けばよいのだ。だがあえて、一点差を推測するなら、料理に挑戦的な大胆さが感じられる点、食通の美味しいものが食べたいという思いにストレートに応えている点、それぞれ0.5点ずつ加点して一点差と言うことが出来ようか。

さて、食事も終わり、タクシーが来たというので、店の外に出ると、黒づくめの料理着の目黒浩太郎シェフが待って下さっていた。真打登場という訳である。何か得をした気分で車に乗り込む。こうして、「夜の魚」を後に、我々もまた夜の闇に消えていったのである。