長い長い第一段階の
「否認と孤立」の期間
私はずっと介護士として働いていました。
 
香り庵でアロマセラピストとして働いていた私たちスタッフに
「アロマで介護をしよう。」
と言い出した小池さん。
戸惑いながら、みんなで受けに行ったヘルパー講座
 
「介護って私たちの仕事と似てますね。」
そうわくわくしながらヘルパー講座に通い
介護の世界のカリスマ・三好春樹さんのセミナーに通い
わくわくしながら、デーサービスからスタートした。
 
スタートしてスグ
若年性パーキンソン病の症状が出たけど
特別に受診することもなく・・・
スタートしたばかりの毎日を楽しんでいた。
 
手探りだからこそ、楽しくて充実してて
じーちゃん、ばーちゃんとの毎日は今でも鮮明に
私の記憶からあふれ出してくる。
 
小規模多機能に移行した頃
「若年性パーキンソン病の可能性がある。」と言われ
当時、あるばーちゃんが心配そうに私に言った。

「あんた右手が悪いの?
歩く時右手が振れてないけど大丈夫?」

ある車いすのじーちゃんも心配そうに言った。

「お宅さん、右足引きずってるようだが用心しなさいよ。」
 
自分でも気が付いてなかったのに・・・
 
よく見てるなぁ…感心しながら
じーちゃん、ばーちゃんも大変なのに私を案じてくれる。
心配して声をかけてくれる。
それが嬉しくて有難かったのを覚えている。
 
そんなあったかい毎日を過ごしながら
右手右足が上手く使えないおばーちゃんをみては、未来の自分を重ねたり
オムツ交換しながら、未来の自分を重ねたり
パーキンソン病のじーちゃん、ばーちゃんをみては未来の自分を重ねた。
 
その中でも、パーキンソン病のじーちゃん、ばーちゃんが飲んでる薬・・・
いやでも気になってしまう。
 
一番初めに私が処方された薬は震戦を止める薬。
低血圧なのに、低血圧の方は注意と書かれた薬・・・
怖くて飲むのをやめて先生に怒られてたっけ。
 
施設にいるおばーちゃん
パーキンソン病の薬が増えて、確かに急激に動きがスムーズになった。
でも、ないはずのものが見えるようになっていた。
何かを掴もうと、手は宙を切る。
何かを取ろうと前のめりになる。
心配していた矢先、自宅で椅子から転がり落ちた。
家族の話では、突然何かを拾うようなしぐさをしながら前に転がってしまったと。
 
「何か」を取ろうとしたんだね・・・。
 
なんだかせつなかった。
動けるようになるのは、本人にとっても家族にとっても嬉しいことだけど
幻覚・幻聴・・・どうなんだろうか。
 
自分に置き換えた時・・・
薬を飲むのが怖かった。
 
40代前半から
こんなに副作用の強い、神経に働く薬を毎日飲んだら
私はどうなってしまうんだろう。
 
ネットでパーキンソン病の薬を調べても
不安になるばかりだった。
 
私の受診はまだ数か月に一回程度
でも、何回目かの受診でメネシットが処方された。
 
飲むと生あくびが出て、ふわふわして仕事にならない。
症状に変化はないし、怖くてスグやめては先生に怒られて・・・
病院替えたりたりしたけど
結局、病院に行くのをやめてしまった。
 
「パーキンソン病じゃないかもしれない。」
そうすがるように思ってる私に
副作用を我慢してまで、パーキンソン病の薬を飲む理由はなっかったし。
 
もちろん
何もしなかった訳ではありません。
 
片道3時間かけて、鍼灸の先生の所に通いました。
その頃、ドテラにも出会いました。
 
以前、香り庵で使っていたアロマもフランス式
フランスではお医者様が処方して
服用してもらったりするという精油だったけど
日本では服用はNGだったし、希釈も濃度が決まっていて直塗りNG。
 
ドテラは飲めるし、直塗りも出来る(出来ないものもあります)
 
そんな精油があるんだ!!!!
びっくり仰天でしたが、
精油のチカラをイメージしきれず
まーなんとなく使ってる程度。
 
でも
その時に教えてもらった植物系ミネラルと
大好きなフランキンセンスを使ったサプリメントは
なんとなく惹かれるものがあって・・・
この頃飲み始めました。
 
 
若年性パーキンソン病を否定しながら、
向き合うこともせず、誰かに真剣に相談することもせず
誤魔化しながらの毎日
 
誤魔化しながらも症状は少しずつ進んでいく
そして
少しずつ・・・否認しきれなくなっていき
少しずつ・・・不安は怒りへと変わっていった。
 
どうして私だけがこんな思いをしなくちゃいけないの?
どうして誰も私の辛さをわかってくれないの?
 
ブラックるみねぇ全開の第二段階「怒り」は入っていきました。