INTRA DIALOGUE -7ページ目

明日は京都

明日は京都に行ってきます。


目的は,

進学予定先の大学院の入試問題を取りに行くことと,

希望している研究室の見学です。


ついでに,美味しいもの食べたり,お寺さんをまわってこようと思います。

紅葉の時期ならもっと良さそうだけど仕方ないかな。


しかし,何で国立大学は過去問送ってくれないのか。

遠いと本当に困ります。


仕方が無いから楽しんできます。

阪神タイガースのおかげ

阪神優勝の力が僕の運命を変えたのか,

先日受けた某旧帝大の一次学力試験,何故か通ってました。


実は対策したのは,前日の三十分と当日の電車の中で,時間配分についてだけです。

でも,試験直前まで英語長文三題を訳すと思い込んでいたら,

試験監督の説明で三問中二問を選択することに気づき(←完全な準備不足),

考えていた時間配分は全く役に立ちませんでした。


こんなやる気の無い適当な受験生が受かったのは,

阪神が僕に力をくれたからに違いありません。


次の二次試験は面接で,時期は修論が仕上がった後の二月です。



さて,今回の合格は次のような二つの利点を生みます。


1.二月に京都,東京という二つの土地を選択する余地が残り,地元に残るという選択肢も消滅しなかったことで,気持ちにゆとりが出来きた。


2.実質的に日本の最難関の大学院でもペーパーレベルでは合格できることが明らかになり,後は,修論次第であること。修論は,ペーパーレベルの学力とは異なり,浪人して再受験しても書きかえられるものではない。なので,実質的に今年の二月受からなければ,今後,修士に入りなおさない限り受かる可能性はない。しかし,僕には修士に入りなおす時間的余裕も,金銭的余裕も無い。その為,今年度受からなければ迷わず一般就職するしかないことが確定する。これにより,浪人して研究生をやるという中途半端な選択肢が消え,落ちれば即就職と,将来展望が非常に明確になった。


この二点は実は結構大きく僕のメンタルヘルスにポジティヴな影響を及ぼすかもしれません。


一先ず,僕自身以上に,僕の結果を気にしてくれた,また,合格を喜んで頂いた周囲の方々に,

心からお礼を申し上げたいと思います。

周囲の期待があるおかげで,それに応えようと,

最近,全てに対して投げやりになりがちな僕は何とか走り続けられているのだと思います。

優勝

遂に,我が阪神タイガースが優勝を決めました。


これまで書いてなかったかもしれませんが,

僕は85年の優勝のとき以来の阪神ファンです。


二年前も感動したけど,

やっぱりナイターでの自力優勝はいいですねー。

すっと心が晴れた気分です。


二年前修士課程を受験したとき,

僕は受験のプレッシャーで凄く追い込まれていました。

でも,阪神が優勝したことで,僕もやり遂げられられるのではと凄く大きな力と勇気を貰いました。

そして何とか合格することが出来ました。


奇しくも今回も受験の年に阪神が優勝。

明日が受験発表です。

結果は自分の力次第なので「受からせて下さい」とは言いません。


でも,どんな結果が出てもそれを受け入れられるような気がします。

人はいつでも自由ですし,努力すればいずれ結果は花開きます。

そのタイミングが明日なのか,それとももっと先なのか,それは分からないですけど。


僕の人生は阪神タイガースと共にあります。

地元の友

昨日は院試の一次試験の英語でした。


問題は,英語の長文が3問出て,その中から2問を全訳するという形式。

辞書は不可ですが,英文自体は易しかったと思います。


出来の方はまあまあといったところでしょうか。

今所属している大学院であれば合格ラインに達していると思います。

後は,旧帝大のボーダーラインがどの程度かによっている思います。

一先ず発表が今週の金曜なので,期待はせずに待ちたいと思います。



さて,話しは変わりますが,

ここ数日の間,少し考えたことがあります。


一応,今回の東京の大学院に受からなければ京都行きが濃厚になるので,

京都に行ったら自分の身に何が起こるかについて考えて見ました。


僕は,正直言って不安を抱えています。


ただ,別に,新しい場に馴染むこととか,

現在の研究者のコミュニティから離れることとか,

研究に関することは,まったく気にしてません。

金銭的な問題で生活が今以上に苦しくなることも悩みといえば悩みですが,その辺は割り切っています。


では,何が不安なのかというと,

笑われるかもしれませんが,

それは「地元の友達」と離れることです。


このblogを始めた頃に書いたことなんですが,

僕は,小学校,中学校の同級生と,未だにしょっちゅう会って遊んでます。

月一のバンドも欠かさずにやってます。


本当に僅かでささやかな時間ではあるんですけど,

僕はこの友達と接しているから何とかやっていけてるんだ,と思っています。

これは今に始まったことではなくて,既に高校時代からずっと感じ続けてきたことです。


不思議です。

僕は高校,大学,大学院とたくさんの友達が出来ましたし,

今もちょくちょくあってますが,小中の頃から地元の友達は本当に特別なんです。

多分,小中の頃の自己の急激な成長の過程が,

何か寄る辺となる人を捜し求める臨界期だったのだと思います。

何でも認め,許すことが出来るといった質の対人関係は,

その後は形成してきていない,また,形成してこようと思いもしてこなかったように思います。


高校,大学,大学院の生活。

所々で様々な苦しいことがありました。

でも,地元の友達と会うことで,何となく気楽に乗り越えてこれたのだと思えます。


しかし,京都に行けば,

僕の寄る辺となる関係性が物理的な問題から希薄になるのは間違いありません。

その時に僕は今のような穏やかの心持を持続することが出来るでしょうか。


大学のとき,地方の人が上京のために当たり前にやっていたことのはずですが,

僕にはどうしても割り切ることが出来ません。


今回東京の大学院を受験した本当の理由は,実は,東京に残る可能性を消したくなかったのだということ,

改めて地元の友達が僕にとってかけがえの無いものであること,

そんなことを,

試験の前日の夜,

試験会場に向かう途中,

また,試験が終わった後,

研究生活の出発点である浪人時代を過ごした池袋の予備校の周囲を歩きながら考えていました。

気づけば明後日

気づけば明後日院試です。


今受験票見て気づきました。

修論におわれてて気づきませんでした。


まあ,気楽にやってこようと思います。