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「ついている自分に誰でもなれる」編その②
【ついている範囲を意識的に広げる】
前回の投稿に引き続き
「ついているシリーズ」
今回はついている範囲を広げるという事ですが…。
これは意外と単純で…
「ついている、ついていない、判断を広い範囲で行う」ということです。
僕ら人間は、一瞬、一瞬の出来事をすぐに「判断したい」生き物です。なので、ちょっと嫌な事があると、すぐに判断をして、ついていない出来事としてしまいます。
でも、実際はそうでしょうか?
ついていないと瞬間的に判断した出来事が発展する事で、
実は自分にとってついている出来事だったということは、
多分にある事です。
これを表す例えの話として…。
中国の故事に『塞翁が馬(さいおうがうま)』という話があります。
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『塞翁が馬』中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」~
中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高
く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
「このことが災いにならないとも限らないよ。」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。
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このように、どの時点で良いコトなのか、
悪いコトなのか、決めることは難しいことです。
ついていないと思えるような事柄でも、
その時に判断を保留してみることで、
実はついている出来事でもあるかもしれません。
今回のように、ついている判断を広い範囲で行うという事は、
その時だけの「ついていない」に翻弄しないで、
実はそれがついているに繋がるという事を感じると良いということです。
「自分はついていない」と思い込んでいるほとんどの方は、
この目の前の判断で全てを決めようとしている傾向にあります。
そこに陥ると、ついている出来事すら、見えなくなってしまうのです。
さらに、焦って全てを見通すことが出来ないと、
いちいち目の前の出来事に翻弄され、気持ちのアップダウンが激しくなります。
一つの出来事は「繋がっている」という事を感じ、
そのライン上に自分の身を置いてみましょう。
目に見える事柄だけに捉われないこと。
結果的には「全て良い方向、全てついているコト」に必ず繋がっています。
最後まで読んでくれてありがとうございます♪
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