
『システムの外に答えはある』
昨日、ぶどう畑の作業をしたお礼にとても美味しい蜂蜜をもらいました。
現代では労働力をお金に換算する事があたりまえになっていますが、
お金が誕生する前、農耕民族はお互いが助け合う事で生活をして、
労働力を物と交換して生活をしていました。
物を流通させて対価を支払ったり受け取ったりするにに金を使うようになり、
さらにその金を預けるために銀行のシステムができ、
金は「紙幣」の元となる手形という形でさらに流通は簡素化されていきました。
いつの間にか「紙幣」が価値をもち、人の関心はお金の量に捉われる時代が来ました。
昨日の農作業は、ぶどう棚の日陰で涼しい風を浴び、仲間と会話を楽しみながら、
植物の息吹を感じて、誰からも責められることもなく、
自己の責任においてぶどうが美味しく生るように、
心から願いを込めて作業をする事ができました。
この体験はとても貴重で、自分にとって価値のある経験だと思えます。
そして、一緒に作業する仲間は、もしも僕がぶどう畑を持っていたら
同じくらい真剣に作業をしてくれるのではないか?と、感じることができました。
お金というものに縛られていない絆を感じることが出来たのです。
お金が悪いと言っているのではなく、お金で繋がる関係以外の、
貴重な価値を感じられたのです。
お金は人々を幸せにすることができるとても便利なものです。
様々な価値をお金に換算することで、いろんなものに形を変えていくのがお金です。
お金の考え方次第では、不幸になってしまう場合もあります。
もし、お金に何の価値もなくなってしまった時、
自分には何が財産として残っているでしょうか。
昨日の畑の作業でいただいたのは、仲間が作った蜂蜜1瓶でしたが、
僕にはそれ以上のものが手に入ったように思えました。
共に語らいながら、農作物を作る事で、「共に生きる」という実感をする事ができ、
共存共栄の真の姿を見たように思います。
お金は自由に形を変える、人間が創りだした便利なモノです。
でも、共存共栄の真の姿を感じ、共に生きれる喜びを感じたり、
仲間の心強さを感じられるのは、お金にはできません。
人間が生きていく上で大事な「食物」を共に生産する事で、
繋がり「共存していける」という安心を生み出す事ができました。
きっと、世界のシステムを変えていくのは、
便利になりすぎたお金の価値に頼るのでなく、
人間同士にしか生まれない心を支え合える行為でしかないと思います。
巨大で、不透明になりすぎた、人間の作った多くのシステムから逃れるのは、
こういった一次産業から感じ、行動していく事だと思います。
是非、皆さんもこれを体感してみてください。