
『道で生きるか、比較で生きるか』
昔の人は、自分の選択すべき出来事に直面した時
「これが自分の道だと思って…」
という表現で、選択した事柄を「自分の道」と表現する事がある。
これは頭で考えて導いた答えではなく、
どことなく運命というか目に見えない人生の流れを捉え、
利他の精神から出てきている言葉なんだと思う。
人はたいがいにして
“頭で考えて導いた答えは利己的になりやすい性質”をもっている。
それは、頭で決めて判断するときには脳の中でシュミレーションして
「何よりも何が有利か…」もしくは「何よりも何が得するか…」
といった“比較を行う”物事をジャッジにかける計算をしてしまう事が原因。
そうではなく、「人生の道」と例える場合、
目に見えない部分に身をゆだねる…心の判断で選択を決定することで、
自然と利他の精神の答えが導かれる。
これは「心」に正直に聞いた時に“理性”が働き、
心がすべきことをちゃんとナビゲートして導いた結果なのだと思う。
どちらの選択が“損か得か”は別としても、どちらが人間的に成長するかを考えると、
答えは歴然ではないだろうか?
成長を望む人間は常に利他の精神を持ち合わせていると僕は思う。