「ソーシャルメディアでまちおこし」
なんて言葉を掲げながら活動を始めて、様々な現場に行かせていただいたり、様々な人と交流をさせていただく機会がとても増えた。
地域おこしに携わると、関連して必ずと言っていいほどボランティア的な思想とぶつかる。
僕はNPO法人だって、ほぼボランティアだと感じている。
そして、そんな僕もボランティア精神に溢れているというか、必要だと感じる。
これからを考えて農業をやります、海外で井戸を掘ります…。
なんて、言葉を口にすれば、共感をしてくれる方もいるが、反対の方もいる。
そして、反対の意見の方のほとんどが、「現実的に考えてごらん」という意見だ。
僕らは普段、あまり深く考えずに生きているので、『現実』が過去の延長線上にあると考える人が多い。
そして、そのほとんどの人の特徴が、憶測でモノゴトを判断していくことだ。
過去がこうだったから、こうすべきだ・・・
と、いった具合に、現実を過去の延長線上に置き、あたかも正解の様にご満悦な様子で話をする。
そして保守的に考え、現実を確実に「稼げる」ことが最優先だと勘違いしてしまう。
しかし・・・
考えてほしいのが、『現実』は決して過去の延長線上にあるものではないということ。
これは、今までの歴史が物語っていて、やはり歴史から学ぶことは大事だと思わされる。
現在は第二次世界大戦や、明治維新などの、時代の転換期とちょうど重なる時期に来ている。
その時の時代にもっとも必要な考えは何だろう…。
『現実』という言葉ひとつに対しても、決して過去の延長線上では通用しない事がわかる。
江戸から明治に変わる時は、文明が開け、今までご法度だったものが逆に“あたりまえ”になった。
第二次世界大戦が終了してからは、戦時中に活躍した国をあげてのヒーローたちがA級戦犯に早変わりした。
それだけ時代の転換期は今までの常識が通用しない。
それを社会の授業で習ったはずなのに、いまだに『現実』にたいしても、
それでは食っていけないとか、偏った考えだと、平気で否定する人も多くいる。
『現実』は本来、“未来がどうあるべきか”というものを考えたうえで、
今どうすべきかという答えに基づいた行動を起こす事だと感じる。
それでは生活ができないと不安に思う方もいらっしゃると思うが、
そもそも、日本においてある程度未来に基づいて行動する限り、食いっぱぐれることは無い。
そして、未来がどうあるべきか…、時代が今後何を求めていくかは、
既に2011年にある程度の答えが出ているように思える。
震災後、多くの世界のヒーローが無償で日本のボランティアを支援した。
そこでは多くの仲間が生まれ、今まで隠されていた技術が露呈してくる兆しも見えてきた。
大手企業よりも個人や任意団体が力を発揮し、その連合軍なるものが生まれた。
これは、今後の時代を予測するかのような、まだまだちょっとした出来事に過ぎないが、
もう、時代は医療、介護、健康、食料、環境、バイオ、エネルギーなどの分野を求めていて、
それ以上に、志あるボランティア精神あふれる人材を必要としている。
Facebookを覗いても、そいうった片鱗はところどころに見える。
これらを踏まえ、
これからの時代、日本はますますボランティア精神のある人たちを求めるだろうし、
NPOの活動が日本を支える柱になる事も感じられる。
時代の転換期にさしかかり、今までの常識が通用しなくなることは、容易に想像できる事に対し、
その今までの常識で生きてしまう人はいないのだと思う。
でも、なかなか今の常識を捨てる決意はし難い。
勇気のいる事だと思う。
だからこそ、未来がどうあるべきかから『現実』を変化させられるパワーのある人を
時代は求めていくようになるし、そういった人がリーダーとなっていくのだと思う。
たぶん、今現在認められていない、下手すれば勘違いされるくらい変わった行動をしている人が
リーダーになる可能性だってある。
それくらい、過去の延長線上で未来を考えることは危ない事なんだと、
憶測で生きている人たちと接してみて、感じた。
そんな僕もまた、理解し難い、夢見る青年の様に思われているのだろう。
しかしながら、夢を見ないで自分が精一杯生きたなんて言えるのだろうか。
これだけ豊かになった日本に住んでいて、夢を見ない事はどれだけ保守的な考えなのだろうか。
僕らの子供たちが過ごす将来の日本は、誇りに満ち溢れていてほしい。
だからこそ、今、大人が夢を見て、未来に対して希望を抱く癖をつけるくらい
そんな希望の種を植えていく必要があるのだと思う。
今は、転換期。
現実的に今の仕事を頑張る傍ら、未来を見て行動を起こす30代~40代が求められている。
日本はもう、そういう国だという事を今のうちに多くの仲間に伝えていきたい。
なんて言葉を掲げながら活動を始めて、様々な現場に行かせていただいたり、様々な人と交流をさせていただく機会がとても増えた。
地域おこしに携わると、関連して必ずと言っていいほどボランティア的な思想とぶつかる。
僕はNPO法人だって、ほぼボランティアだと感じている。
そして、そんな僕もボランティア精神に溢れているというか、必要だと感じる。
これからを考えて農業をやります、海外で井戸を掘ります…。
なんて、言葉を口にすれば、共感をしてくれる方もいるが、反対の方もいる。
そして、反対の意見の方のほとんどが、「現実的に考えてごらん」という意見だ。
僕らは普段、あまり深く考えずに生きているので、『現実』が過去の延長線上にあると考える人が多い。
そして、そのほとんどの人の特徴が、憶測でモノゴトを判断していくことだ。
過去がこうだったから、こうすべきだ・・・
と、いった具合に、現実を過去の延長線上に置き、あたかも正解の様にご満悦な様子で話をする。
そして保守的に考え、現実を確実に「稼げる」ことが最優先だと勘違いしてしまう。
しかし・・・
考えてほしいのが、『現実』は決して過去の延長線上にあるものではないということ。
これは、今までの歴史が物語っていて、やはり歴史から学ぶことは大事だと思わされる。
現在は第二次世界大戦や、明治維新などの、時代の転換期とちょうど重なる時期に来ている。
その時の時代にもっとも必要な考えは何だろう…。
『現実』という言葉ひとつに対しても、決して過去の延長線上では通用しない事がわかる。
江戸から明治に変わる時は、文明が開け、今までご法度だったものが逆に“あたりまえ”になった。
第二次世界大戦が終了してからは、戦時中に活躍した国をあげてのヒーローたちがA級戦犯に早変わりした。
それだけ時代の転換期は今までの常識が通用しない。
それを社会の授業で習ったはずなのに、いまだに『現実』にたいしても、
それでは食っていけないとか、偏った考えだと、平気で否定する人も多くいる。
『現実』は本来、“未来がどうあるべきか”というものを考えたうえで、
今どうすべきかという答えに基づいた行動を起こす事だと感じる。
それでは生活ができないと不安に思う方もいらっしゃると思うが、
そもそも、日本においてある程度未来に基づいて行動する限り、食いっぱぐれることは無い。
そして、未来がどうあるべきか…、時代が今後何を求めていくかは、
既に2011年にある程度の答えが出ているように思える。
震災後、多くの世界のヒーローが無償で日本のボランティアを支援した。
そこでは多くの仲間が生まれ、今まで隠されていた技術が露呈してくる兆しも見えてきた。
大手企業よりも個人や任意団体が力を発揮し、その連合軍なるものが生まれた。
これは、今後の時代を予測するかのような、まだまだちょっとした出来事に過ぎないが、
もう、時代は医療、介護、健康、食料、環境、バイオ、エネルギーなどの分野を求めていて、
それ以上に、志あるボランティア精神あふれる人材を必要としている。
Facebookを覗いても、そいうった片鱗はところどころに見える。
これらを踏まえ、
これからの時代、日本はますますボランティア精神のある人たちを求めるだろうし、
NPOの活動が日本を支える柱になる事も感じられる。
時代の転換期にさしかかり、今までの常識が通用しなくなることは、容易に想像できる事に対し、
その今までの常識で生きてしまう人はいないのだと思う。
でも、なかなか今の常識を捨てる決意はし難い。
勇気のいる事だと思う。
だからこそ、未来がどうあるべきかから『現実』を変化させられるパワーのある人を
時代は求めていくようになるし、そういった人がリーダーとなっていくのだと思う。
たぶん、今現在認められていない、下手すれば勘違いされるくらい変わった行動をしている人が
リーダーになる可能性だってある。
それくらい、過去の延長線上で未来を考えることは危ない事なんだと、
憶測で生きている人たちと接してみて、感じた。
そんな僕もまた、理解し難い、夢見る青年の様に思われているのだろう。
しかしながら、夢を見ないで自分が精一杯生きたなんて言えるのだろうか。
これだけ豊かになった日本に住んでいて、夢を見ない事はどれだけ保守的な考えなのだろうか。
僕らの子供たちが過ごす将来の日本は、誇りに満ち溢れていてほしい。
だからこそ、今、大人が夢を見て、未来に対して希望を抱く癖をつけるくらい
そんな希望の種を植えていく必要があるのだと思う。
今は、転換期。
現実的に今の仕事を頑張る傍ら、未来を見て行動を起こす30代~40代が求められている。
日本はもう、そういう国だという事を今のうちに多くの仲間に伝えていきたい。