久しぶりに文章にしておきたいことがあったので、書いてみることにします。

 

私は2026年1月にオンラインの友人に声をかけてもらい「朝活」に参加しました。

「朝早起きして、自分のための時間を作ろう!」と企画されたものでした。

翌月は「夜の時間も有意義に過ごそう!」と「夜活」として夜の部が新たに始まりました。

しかし期間限定だったためその会は2ヶ月で終了となりました。

 

 

独身の私にとって、誰かと何かに取り組む時間は有意義な時間だったので、

その会で知り合った私よりも年下の女の子と相談し、

その翌月も引き続き継続してみることにしました。

とにかく1ヶ月やってみよう。2人だったのでルールは私たちで決めて、ゆるく始めました。

最初はお互い好きなことをするという内容でしたが、脱マンネリのためにも、

4月の末には、試しに同じ本を読んでみる「読書会」に切り替えてみました。

 

 

私は以前から読んでみたい本があったので提案すると

彼女も快く承諾してくれ、私たちの一冊目は「モモ」に決まりました。

 

 

「モモ」はドイツの児童作家ミヒャエル・エンデ作のベストセラー本です。

「星の王子様」と並ぶくらい高評価のこの作品のことは、

大人になってから知り、ずっと読んでみたい一冊でした。

届いた本は児童書にしては分厚かったのですが、少しずつ読んでいこうと決めました。

 

 

オンラインで決まった時間に集まって、

30分後に今日の感想を伝え合うという時間を設けました。

お互い仕事をしているため、仕事や私用で参加できなかったり

私は疲れて寝過ごしてしまう日もありましたが、

同じ本を読んで、どこまで読めたか確認したり

同じ章を読んで感想を伝え合う時間は、短くてもなんだか楽しかったです。

 

 

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(ここからは少しネタバレになるかもしれません。)

 

「モモ」は全部で3部に分かれており、21章のお話があります。

モモというのは主人公の孤児の女の子です。

円形劇場という公園に住み着いていました。

その女の子は子供ながらに、どんな人のお話を聞くのも上手で、

特に何かするわけではないのですが、みんなが虜になってしまうほど愛されていました。

 

 

ある時期から、街の人たちが円形劇場のモモに会いに来なくなって、

いつの間にか人間は時間に追われるように働くようになりました。

それがこのお話でよく表現されている「時間泥棒」によるものでした。

 

 

働き詰めの親は、子供の相手をする暇がなくなりました。

子供たちは、子供たちが集まる建物に閉じ込められて、

大人たちが決めたことしかさせてもらえなくなりました。

だから自分で想像して遊ぶ方法すらも忘れてしまい、

好きなことをしてもいいよと言われると、

逆に何をしていいのかわからなくなるくらいでした。

 

 

モモには身内の人もおらず、友達も会いに来なくなって

はじめて世の中のおかしさに気がつき始めました。

一番の親友すら、そうした世の中の変化に巻き込まれていきました。

 

 

孤独なモモは、突然現れた亀に助けられて、

危険から逃れることができました。

 

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私たちは、最初の1部までは、まだモモという子のことも、

この話が言わんとしていることもよくわかりませんでした。

そのわからないという感想も、私たちは正直に伝え合いました。

 

 

2部で灰色の時間泥棒が出てきた時、ようやく話が面白くなってきました。

なぜなら、今の私たちが生きる現実でも起こっているようなお話だったからです。

私たちは常に時間に追われて生きています。

お金を稼ぐためにもっともっと働いて、何もしない時間を作るのが困難なくらいです。

 

 

モモや子供達のように、くだらない意味のない遊びをするよりも

タイパ、コスパのいいものが大好きで、時間を生むためのことに一生懸命です。

せっかく生まれた時間は、YouTubeやTikTokでスワイプ!スワイプ!しています。

暇な時間が生まれても、結局何をしていいか分からないのかもしれません。

 

 

10章で亀が登場したシーンを読んだ時、

私たちは「モモ」の本の表紙に亀が描かれていたことに初めて気がつきました。

読む前には全く気にしていなかった表紙の絵にも、一緒になって感動しました。

こんな些細なことにも共感してくれる友人ができたことにも感動してしまいます。

 

 

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私が休みの日に、一日ダラダラして過ごしてしまった話を共有して、

もしここに「時間泥棒」がいたとしたら、私は完全にターゲットにされてしまうね

と笑っていました。

 

 

しかし、私がそんな無駄な一日を過ごしたとしても、

そんな一日の最後に、友達と同じ本を読んで共感し合えている時間は、

「モモ」のストーリーの中では、円形劇場で仲間と愉快に笑い合えていた、

時間泥棒のいなかった世界そのものでした。

私たちは自ら創造して遊びを考えて

「読書会」を行なっているということにも気づきました。

 

 

これって、もしかしたらすごく豊かなことなんじゃないかな。

 

 

私たちは今「モモ」になれているんじゃないかな。

 

 

そんなことを話していると、

なんだか読書会がとても素敵な時間だと改めて実感することができました。

それに、同じ本を読んで、私はこう思ったという感想を言い合う会は、

学生時代の「国語」の授業と同じことだということにも気づきました。

 

 

学生時代、国語の授業はとてもつまらなくて嫌いでした。

筆者はどう思ったか? 何を伝えたいか? 知らんがな!でした。

なのに今、友達と国語の授業でやっていたようなことを自らやっていて楽しんでいる。

 

 

大人になったら、誰かと同じ本を読もう!なんて遊びは、

よっぽど読書の趣味が合う人か、仲の良い友達としかできないことです。

学生の時にもうちょっと楽しめていたらなあ、こんなに面白いのになぁ

と、そういう気づきもありました。

 

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亀に連れられて、マイスターホラのいる時間の国へ行き

そこでモモが長いこと眠って、ようやく街に帰ってきた時に、

街が様変わりしていたというシーンでは、

私は日本の昔ばなしの「浦島太郎」を思い出しました。

 

 

亀に竜宮城に連れられて、家が心配だからと帰ってくると

もう何年も経ってしまっていたという部分です。

これは諸説ありますが、宇宙に連れて行かれていたという説もあり、

時間の概念がない世界にいたということのような気がします。

向こうの1分とこちらの1分の長さが違うということです。

これはクリストファーノーランの「インセプション」をみた時も

同じことを思い出しました。

 

 

外国のメルヒェンの世界と、日本の昔ばなしは似ているところがあると

本で読んだことがあります。

だから、ミヒャエル・エンデ氏が1970年代にこのストーリーを考えたというのが

本当に不思議で奇跡のようなことに感じます。

 

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取り止めのないメモになりましたが、

とにかく、私たちの「夜活」がちょうど読んでいた「モモ」とリンクしたのは、

セレンディピティが起こったとしか言いようもないことです。

2ヶ月かけてコツコツと。亀のようにゆっくりでも読みました。

もしかしたら、読ませられてるのかもしれませんね。

 

 

いつまでこの遊びを続けられるかは、私たちにもわかりませんが、

今はいまの楽しみを味わいたいと思います。

もうすぐ読み終えるところなので、

追加の感想があればまた後日書きたいと思います。

これから読む人はお楽しみに!

 

 

では!

 

 

おゆき☀︎