久々のブログ。。
まったく更新してなかった。。
私の友人のトルコ人が数日前から日本に遊びに来たので日本とトルコについてちょいと簡単に紹介!
よくご存知の方も多いと思うけど。。
エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現
在のトルコ)の軍艦エルトゥールル(Ertuğrul Fırkateyni)が、現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊
大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。
この時に和歌山の地元民がトルコ人をたくさん救出した事からの友好国としての始まりの歴史です。
じつはここからまだ話のつづきがあるのを知ってますか?
1985年イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領は48時間の猶予期限以降にイラン上空
を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると突然通告しました。
世界中がパニックになり、どの国もイランに取り残された国民の救出に全力を注ぎました。
日本はこの頃、戦争をうけてテヘランへの直行便はありませんでしたが、日本航空が救援機を飛ばす
ことになりました。
ところが、組合がこれに待ったをかけ、飛ばすことができなくなったのです。
テヘランでソ連のエアロフロート機は自国民を優先し、日本人の搭乗はすべて拒否。
オーストリア航空2機とエールフランス機、フルトハンザ機で40余名の日本人が脱出しましたが、
なお200人以上日本人が取り残されました。
伊藤忠商事の森永堯(たかし)氏はトルコのオザル首相と親しく、オザル首相に電話を入れます。
「トルコ人を優先して救出するのは当然ですが、どうか、日本人をトルコ人と同じように扱ってくだ
さいませんか。今日本が頼れる国はトルコしかありません」
トルコに援助を求めたのです。
しかし、トルコ人も600名も取り残されていたのです。
オザル首相からは次のような返事がきました。
「オーケーだ。すべてアレンジするよ」「われわれは日本人に恩返しをしなければいけないからね」
オザル首相の指示を受けたトルコ航空は救援のパイロットを募ったところ、なんとその場にいた全
員のパイロットが手を挙げました。
タイム・リミットは19日午後8時20分。トルコ航空の一番機は午後3時にメヘラバードに到
着。19時到着8名の日本人を乗せて午後5時10分に離陸しました。二番機は17名の日本人を乗
せ、午後7時30分にメヘラバードを離陸し、イスタンブールに到着したのは午後8時20分でし
た。ギリギリのところで日本人は救われました。
残されたトルコ人たちはトルコ大使館が用意した車に分乗し、陸路でイランを脱出し、トルコへ向
かいました。このことでトルコ政府に文句を言ったトルコ人は一人もいなかったといいます。
この頃、なぜトルコが自国民より日本人を優先して救出したのか、日本政府も日本のマスコミもわ
からなかったといいます。
駐日トルコ大使はその理由を短いコメントで表しました。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです」
この話を思うたびに本当に泣ける。ありがとうトルコ!
あと私がイスタンブールを旅した時にトルコ建国の父アタテユルクのTシャツを来ていると
知らないトルコの人々が私に何度も握手をそして遠くからは手を振ってくる人に遭遇。
トルコ国内でアタテュルクは絶大と感じました。
あともう一つ感じた事は我々日本人の事をトルコの人は良く知ってる事です。
行かれた事ない方は是非一度行ってみて下さいね!!



まったく更新してなかった。。
私の友人のトルコ人が数日前から日本に遊びに来たので日本とトルコについてちょいと簡単に紹介!
よくご存知の方も多いと思うけど。。
エルトゥールル号遭難事件とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現
在のトルコ)の軍艦エルトゥールル(Ertuğrul Fırkateyni)が、現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊
大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。
この時に和歌山の地元民がトルコ人をたくさん救出した事からの友好国としての始まりの歴史です。
じつはここからまだ話のつづきがあるのを知ってますか?
1985年イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領は48時間の猶予期限以降にイラン上空
を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると突然通告しました。
世界中がパニックになり、どの国もイランに取り残された国民の救出に全力を注ぎました。
日本はこの頃、戦争をうけてテヘランへの直行便はありませんでしたが、日本航空が救援機を飛ばす
ことになりました。
ところが、組合がこれに待ったをかけ、飛ばすことができなくなったのです。
テヘランでソ連のエアロフロート機は自国民を優先し、日本人の搭乗はすべて拒否。
オーストリア航空2機とエールフランス機、フルトハンザ機で40余名の日本人が脱出しましたが、
なお200人以上日本人が取り残されました。
伊藤忠商事の森永堯(たかし)氏はトルコのオザル首相と親しく、オザル首相に電話を入れます。
「トルコ人を優先して救出するのは当然ですが、どうか、日本人をトルコ人と同じように扱ってくだ
さいませんか。今日本が頼れる国はトルコしかありません」
トルコに援助を求めたのです。
しかし、トルコ人も600名も取り残されていたのです。
オザル首相からは次のような返事がきました。
「オーケーだ。すべてアレンジするよ」「われわれは日本人に恩返しをしなければいけないからね」
オザル首相の指示を受けたトルコ航空は救援のパイロットを募ったところ、なんとその場にいた全
員のパイロットが手を挙げました。
タイム・リミットは19日午後8時20分。トルコ航空の一番機は午後3時にメヘラバードに到
着。19時到着8名の日本人を乗せて午後5時10分に離陸しました。二番機は17名の日本人を乗
せ、午後7時30分にメヘラバードを離陸し、イスタンブールに到着したのは午後8時20分でし
た。ギリギリのところで日本人は救われました。
残されたトルコ人たちはトルコ大使館が用意した車に分乗し、陸路でイランを脱出し、トルコへ向
かいました。このことでトルコ政府に文句を言ったトルコ人は一人もいなかったといいます。
この頃、なぜトルコが自国民より日本人を優先して救出したのか、日本政府も日本のマスコミもわ
からなかったといいます。
駐日トルコ大使はその理由を短いコメントで表しました。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです」
この話を思うたびに本当に泣ける。ありがとうトルコ!
あと私がイスタンブールを旅した時にトルコ建国の父アタテユルクのTシャツを来ていると
知らないトルコの人々が私に何度も握手をそして遠くからは手を振ってくる人に遭遇。
トルコ国内でアタテュルクは絶大と感じました。
あともう一つ感じた事は我々日本人の事をトルコの人は良く知ってる事です。
行かれた事ない方は是非一度行ってみて下さいね!!


