ネットフリックスのドキュメンタリーである。

 ちょっと、知人がルームメイトと暮らすという話があって、気になって観たが、これを観たらルームメイトとは住めない。

 そもそも、ルームメイトとシェアして家賃その他を浮かすという文化は日本には定着はしていない。

 このドキュメンタリを観ると、アメリカでは当たり前のことであり、例えば都会に出た娘を心配する母親は、単身暮らしではなくて、早くルームメイトを探せという。

 ここが我がオヤヂの鈍いところなのだが、アメリカの個人主義はステレオタイプ化していて、孤独や孤立を意味しているのではない。エピソードがいくつもあるのだが、20年以上も結婚はしないが、ルームメイトとは暮らしている…みたいな話が出てくる。いくら別部屋でも、日本人なら耐えられまい。そもそも前提から面白い。

 夫婦でさえ、ずっといっしょに暮していれば嫌なところばかりが目について、息がつまりそうになるのは定番で、最近は、やっと前向きな家庭内別居的な暮らし方ができる夫婦が増えつつある。

 だが、正反対に非婚化の進展で、単身世帯は増大し、やはりルームメイトと暮らすのに日本人の抵抗感は激しい。

 でも、アメリカ人にとって、ルームメイト探しはロシアンルーレットみたいなものなのだろうか?。

 いくら何でも、このドキュメンタリーに登場するような人物が少なくなければルームメイトの文化は崩壊しているはずである。だが、ロシアンルーレットはいずれ誰かが当たることになる。

 さらに、日本でもそうなのだが、アメリカは州によってちがえど、居住者の保護が優先して、失敗しても追い出せない。同じ家屋や区画の中で、扉一枚隔ててサイコパスのようなルームメイトと日々を過ごすことになるか、自分が家に戻れずに、パラサイトされていたのが、乗っ取られてしまうことになる。

 まあ、安い物件に住むのにルームメイトは不要だから、日本でも都会の一等地で暮らすには、実はルームシェアは増殖しているのかもしれないし、少なくとも、非婚化の流れの中で、婚姻にとらわれずに性別問わず、だれかと晩年を過ごすというシチュエーションは増えるに違いない。

 有り金はたいて介護サービスを買ってもいいが、そこまでいかなければ、できるだけ便利な土地で似た境遇どうしの者が、一緒に過ごすのは合理的である。

 そこで、昔からの知人では、なかなか同じ境遇にはならないものなので、赤の他人と生活することになるだろう。

 アメリカのような極端な法的争いは別として、日本ではどうなのだろう。

 実は、老後の問題とも関係していて、ルームメイトとの暮らしが、どちらかが依存したり、家にこもっているようでは成り立たない。ここらへんは、アメリカのルームメイトやルームシェアが中高年層でどうなのか知りたいところ。

 なんだかんだと、ドキュメンタリー本体にはほとんど触れていないが、内容はルームメイトに外れた人々の悲劇の話である。ルームメイトはほとんどすべてが「豹変」してパラサイト化しており、このドキュメンタリーで予防策が学べるわけではない。プロのようなルーム乗っ取り人も登場する。

 だが、被害者や関係者本人が出演すること。その回想シーンで、最悪のルームメイトに食い荒らされた人生から復活を遂げた幸せを後悔の中に感じられるのが救いになっている。嵐の後の…DV被害者の再生につながるのと同じと思える。

 しかし、知人が心配になりつつも、このドラマを勧めるのも、ノリノリの相手を傷つけるようで難しい…