NETFLIXで観ました。
Amazon・Primeのように☆いくつが分からないので、いつもハラハラ。
最近は、少しマンネリ気味のスーパーウーマン(女性特殊部隊)もの。男性が主人公のアクション映画を探すのが難しい。
それくらい、実は女性の方がアクションものにも向いているということかもしれない。手足が細くて相対的に長く見えるのでムキムキで極太の手足の男性よりアクションが流麗に大きく見える。当然に大きく見えるので、切れを良くするには演技力(演舞力)がモノを言うのだが、最近は、格闘シーンで不満を感じることもない。
そう、くのいち等、忍者では女性が活躍しているが、特殊部隊だからムキムキより猫のような忍者のイメージ。だから、女性が余計に向いていると思った。
脱線したが、アメリカ映画を見ていると、「街」「町」が人々の生活に大きな光と影を落としているのを改めて感じる。
日本のように自転車で隣町に行くのとはわけが違う。アメリカンの「町」は日本でいえば都道府県くらいか、それ以上。
だから、ほとんどの住民はジモティーだし、一生をその「町」で終える。「町」は日本とちがい物理的にも歴史的にも独立性が高く、悪くいえば排他的であるのは、他の映画でも良く描かれる。代表的なのは「ランボー」に描かれた「町」だろう。
閉ざされた空間ゆえに住人相互での管理が行きとどき、息がつまりつつも、予測不可能なことがない安心感がある。「町」にはボスもワルもいるのだが、それも織り込み済みの安定だ。
今回の映画は、その許容範囲を超えてしまったことが発端であるがネタバレ厳禁で。
主要な登場人物は、みな、この「町」で様々な意味で権力又は暴力を持っている。主人公は「町」を離れているから、ジモティーの持つ意味での力はないが、特殊部隊員のスキルを持っている。しかし、ラテン系?ということで、「町」の中でもマイノリティの別世界が育ちの「町」でもある。
ネタバレ厳禁ながら、この手の映画はハッピーエンドである。ただし、そこに至るジモティーたちの苦悩があり、叫びがある。
主人公は、他の映画と同様に「町」の仮面をはがすことになるわけだが、ラストシーン?で元彼?がいうセリフが、その「町」「土地」に縛り付けられた者の心情を吐露している。
たぶん、アメリカのどの「町」も「土地」も似たようなもので、みなが心の中では叫びたい時があるだろう。自分ではどうにもできないけれど。たまに帰省して、知人に「よっ、お帰り」とハグされるくらいがちょうどよい。
だから、「町」を出ていく者は、良い形で町を去らなければならない。主人公のように「スパイ」と思われているような者も、軍隊を筆頭に、その手の仕事につくことはアメリカ国民にとって名誉なことなので、反感を買わないで「町」を去ることができる。
「ザ・タウン」も悲しい映画だったが、日本の「家」に縛り付けられた人々を舞台とするのとは意味が違う。広大なアメリカならではの舞台であることを感じさせた。