三池崇史監督ということで観てみました。原作も「このミス」大賞ということで期待して。
 この手の映画はネタバレ厳禁。そこは注意して書きます。
 
 結論からすれば、面白かった。この手の映画に通な人には先が読めるだろうが、自分は単純なので、監督のいいように、ちいさなどんでん返しにはまって楽しめた。
 けっこうグロい場面が多いが、演出が派手すぎて非現実的だから、程よくリアル感を薄めており良い。
 
 サイコパスを扱っているが、そこは映画向けに承知でアレンジしていると信じたい。監修が今を流行の中野信子教授だが、それは脳の方の監修で、サイコパスの方の監修ではないと思いたい。サイコパスについてはステレオタイプ化していて残念だが、ステレオタイプ化しないと、この映画が成り立たない。
 
 ただ、少し気になるのは、物語の発端が「育てにくい子」「手のかかる子」「問題を起こす子」を何とかしようとする親にあること。結果として、そこに、ステレオタイプ化したサイコパスを当てはめてしまっている。
 サイコパスなる概念もあいまいなものだが、「育てにくい子」「手のかかる子」「問題を起こす子」=サイコパスではないし、「育てにくい子」「手のかかる子」「問題を起こす子」が成人すると、良心の呵責なき残酷な人間になるわけではない。
「育てにくい子」「手のかかる子」「問題を起こす子」にはさまざまな要因があり、その改善の仕方も様々である。特に最近は発達障害という概念が普及し、従来からの知的障害の辺縁である自閉症スペクトラム等と併せて、医療モデルが先行しているものの、医学界が環境調整の有効性を認めているので、医療のみではない治療的アプローチは確立しつつある。
 そもそも、児童福祉や児童精神医学では「育てにくい子」「手のかかる子」「問題を起こす子」にサイコパス概念の適用はない。このエンターテインメントには、ステレオタイプ化されたサイコパスが「人間的な良心を取り戻す」ファンタジーを成立させるための舞台設定として必要だったのだろう。

 うつ病の解釈に顕著であるが、発達障害その他も脳の器質的な障害を原因としているのが通説である。いわゆる旧来の得体のしれない「精神の異常」ということではないと。
 しかし、うつ病でのTMS療法(電磁刺激療法)がさほど効果を上げているわけでもなく、発達障害等を器質的に治療するアプローチはない。
 今回の映画は、そういう「育てにくい子」「手のかかる子」「問題を起こす子」については傍流若しくは無関係なサイコパス概念を、器質的に何とかするという、物語の前提からして現実の社会ではありえないがゆえに、子育てに辛苦している層からも苦情の来ない設定として、SF的なサスペンスドラマにしたものともいえる。
 
 そういう前提を理解した上で、観て楽しんでいただきたい映画だと思う。 
 くれぐれも、誤解のないように…。