先日読んだ本で、鬼滅の刃と雀の戸締りの対比があって、鬼滅の刃では号泣したけど、雀の戸締りではしなかった、それはなぜか…?的なことが書いてあって、観ることにした。

 実は、新海誠監督の作品は観たことがない。CGも使ったアニメなのか、解像度が高く美しい映像は予告編等でわかっていたのだが、人気があるほどに、何となく足が遠のいてしまうのは何でだろう。自分はあまのじゃくではなく、★いくつ…は信じるほうだし。

 映画を見た後は、レビューをネットで読むのがクセなのだが、雀の戸締りは、ネット上では賛否というか、様々な御意見が書かれていて、あっという間にお腹いっぱいになった。

 正直、鬼滅の刃は抜きにして、良い映画であったが、号泣するほどではない。

 いや、泣かせる系の映画ではないから当然だ。レビューでは「深い」という単語がたくさんでてきて、それが賛否両論の厚さにつながっているのだろう。

 東日本大震災を背景に、残された少女の成長物語。日本を救うための冒険。ロードムービーでもある。あの日本人に染み付いた緊急地震速報のなんとも不安な場面と、美しくてテンポの速い冒険物語が進む。悪くないし引き込まれる。当然だ、戸締りに失敗すれば100万人が死ぬのだから(あらすじは別のレビューでみてくださいね)

 ラストシーンで、腑に落ちるセリフ「最初から全て与えられていたんだ」があって、なぜか「そしてバトンは渡された」が思い浮かんだ。

 与えられていたものって、ヒロインの母の愛情と単純に受け止めていいのか?。市井の人々の日々の営みの中で、互いを慈しむ気持ちととらえていいのか?。

 愛情ってむずかしい。実際に愛があれば、この映画のように大地震が防げるわけではないので、これはどんなにすさまじい喪失や悲しみからも立直ることはできる…と解釈するのが自分の中ではしっくりくる。単純な解釈だけど。

 よくセカイ系が例示されるが、唐突に世界を救う主人公の物語。脈絡はない。この映画もそれは主人公の成長物語を差し引いても、戸締り(閉じ師の仕事)が大地震から日本を救うことにつながる脈絡は良く見えてこない。

 ちょっとだけ、今の人々のありようが、地震の元凶が出てくる「戸」への重しとして軽くなっているというような、比喩として示唆されるセリフは出てくる。

 でも、東日本大震災をモチーフににしているとしても、目くじらを立てて非難することではないと思う。大地震と大津波は多くの人命を飲み込んでしまったが、映画の舞台が廃墟なのは、地震や津波のせいではなくて原発事故のせいである。そして、今も日本は原発推進。この映画を観て感動した多くの市井の人々が、もう、関東が壊滅したかもしれない原発事故は記憶から消えた(正確には思い出したくないということ)。

 雀は地震を止めてくれるから津波も起きない…。

 でも原発事故は地震や津波だけが理由で起こるわけではない。

 この映画では原発事故は注意深く除外されているが、閉じ師は、どのように原発事故を防いでくれるのだろうか?。市井の我々は、原発事故を防ぐだけの重さをもった日々の営みをしているのだろうか?。そんなことを思って久々に美しい映像体験を終えた。