結核で亡くなった
当時流行していて仕事で行った北海道で感染がわかり療養した
住んでいた小さな町では感染が噂になるし隔離の意味で北海道に留まった
当時はネットも無く曾祖父は子供の祖母へのお土産を用意してそれを渡すのを励みに療養していた
訃報と共に祖母にお土産が届いた
祖母はお土産を喜んだ
幼かったので知らされずお父さんは忙しくて会えないと言われて随分経ってから事実を聞いた
そして
祖母は60代で肺炎にかかったけど
曾祖父が選んだ北海道での療養は祖母を生かした
それは祖母の子育てに活かされた
戦時中に祖母は貧困のために子供を預け必ず迎えに来ると言い続けやがて迎えに行った
お金で解決できることほど解決しやすいものは無い
祖母も父親もそう言った
戦争体験者の言うことは真実と思う
曾祖父はいい父親だった
祖母はずっと私に言い続けた
育児は学んでいくもので教科書通りにできなくたっていい
可愛がれば育つ
そこには厳しさも含まれる
〜(・-・)