「私」がこの一つの体だけにあるのでは無く
「誰に何をするか?」では無く
「1人で過ごして、現わしている」そのままでいられれば良い様です。
つまりそれは「体の側」では無く
「私の側」に「私」としてあると言うこと。
「何を現わすか?」とか
「どう影響を与えるか?」の側では無く
「私としてある」
そう言うことです。
頭頂は既に開いている。
後は骨の位置がそれぞれのあるべき場所にある様になるまで
時を過ごせば良い。
「何かをする」のでは無く
「何もすることが無い場所」が開いた。
「学ぶ」は無くなり
「開いている」だけになる。