公開日: 2023/12/22

タイトル: How ‘Panda Diplomacy’ Led To Conservation Success
ポッドキャスト: Science Friday
記事/原稿URL: 

 

概要:

2023年11月、オス、メス、そして2頭の子ども計3頭のパンダが、スミソニアン国立動物園から中国へ返還された。1972年に初めてパンダが来てから50年もの間地元民に愛されてきたが、ワシントンDCはついにパンダのいない街となった。メンフィス動物園にいた1頭も4月に返還されており、アトランタに唯一残る4頭のパンダも2024年に返還が予定されている。アメリカはパンダがいない国になるのだ。パンダの返還ラッシュが続く今、パンダ外交について考えたい。

 

1960年代の中国では、毛沢東政権下での大飢饉及び反政府分子に対する弾圧により多大な犠牲者を出した。政府は国のイメージを刷新し他国との友好関係を築くため、「国宝」と称してパンダを贈呈し始めた。米国では既に1930年代に冒険家がパンダの子を持ち帰ったことから、パンダへの関心があった。1941年に日中戦争の対中支援の礼としてつがいが贈られたが、1960年代には死亡しており、また対中関係も冷えきっていた。しかし1972年、ニクソン大統領による初めての大統領訪中により流れが変わった。数か月後には2頭のパンダ、リンリンとシンシンが海を越え、大統領夫人が直々に歓迎した。パンダはたちまち人気者になり、中国のイメージ改善に一役買った。

 

中国のパンダ外交はその形式を変えていく。贈呈から短期間の貸与に切り替え、数か月ごとに各地の動物園を巡回させた時期もあった。貸与の度に中国政府は数十万ドルを受け取り、米国の動物園はパンダ特需で数百万ドルを売り上げた。しかしパンダの福祉が重要視されるようになり、短期貸与から現在も続く科学交流へと発展した。パンダを迎える動物園は、パンダの保護及び研究に貢献しなければならない。パンダ外交が進む中、密猟や竹の枯死、環境破壊等によりパンダは絶滅の危機に瀕していた。他国へのパンダ贈呈のための捕獲もその一因であった。こうして中国イメチェンのためのパンダ贈呈計画は、パンダを救うために世界を巻き込んだ一大科学プロジェクトとなった。

 

個体数の少ない種の繁殖には飼育下繁殖が鍵となるが、パンダの繁殖は野生でも難しい。メスは年に1度しか排卵しないため、受精できる時間枠は24時間~72時間程度。さらにややこしいことにパンダは単独行動を好み、縄張り意識も強い。1972年に米国が迎えた2頭は、交尾をするのに11年も要した。またメスは発情後、妊娠をしていなくても妊娠時同様のホルモン値や行動が見られる偽妊娠状態となるため、出産するかしないかはぎりぎりまで専門家にもわからない。運よく出産してもパンダの赤ちゃんはとても小さく弱い。リンリンは国立動物園での20年間で5回出産したが、どの子もすぐ死んでしまった。

 

パンダの自然繁殖を助けるため、世界中の科学者が工夫を凝らした。中国のある保護区では人間用のバイアグラを与えてみた。国立動物園ではオスの脚力増加をはかって運動をさせ、メスに交尾に最適な体位を教えようとした。ドイツの動物園では、見本を見せるためにパンダによる「アダルトビデオ」を流した。しかし科学者たちの奮闘も、パンダ同士がその気にならなければどうにもならない。大きく力の強い動物であるため、無理強いは命にかかわる。2000年に新たなつがいを迎えた国立動物園は人工授精を試みた。中国では70年代から行われている繁殖手法だ。11月に中国に返還されたメイシャンは、人工授精により7回出産し、うち4匹が無事成長した。

 

近年、人工授精や精子凍結等の技術の進歩及び飼育研究の発展により飼育下繁殖の成功率が上がってきている。パンダの繁殖は国際協力の賜物である。現在では、遺伝的多様性に配慮しながら繁殖を行い、飼育下で生まれたパンダの野生復帰を試みることができるようになっている。繁殖が難しいパンダにとっては生息地の拡大及び生息地域間の連結性が重要となるため、環境保護にも力を入れてきた。世界一大プロジェクトは功を奏し、1970年代後半には千頭程であった野生の個体数が、現在では約2倍近くになり、飼育下にはさらに数百頭がいる。2021年中国政府はパンダを絶滅危惧種から外し危急種にカテゴリー変更した。

 

野生生物の個体数がこの半世紀で7割も減少したことを考えるとこれは輝かしいサクセスストーリーである。しかしなぜパンダなのか。益獣でもなく、肉食にもかかわらず笹を食べ日々を消化に浪費するような動物に本当に大枚をはたいて保護する価値があるのか。

 

客寄せパンダという言葉があるように、パンダには多くの関心とお金が集まる。そしてそのお金の多くは環境保護に使われる。中国は50年代に初めて研究目的の自然保護区を設けた。パンダ外交に力を入れ始めた60年代に初めてパンダのための自然保護区を設置。その後どんどん増やし、計67の自然保護区でパンダの全生息域の半分を保護するに至った。パンダはアンブレラ種と呼ばれており、パンダの保護が生息地を共有するユキヒョウやジャコウジカ、アオミミキジ等他の種の保護に繋がっている。しかしアンブレラ種の保護については研究者による重要な指摘もなされている。行動範囲が広くないパンダのために確保した環境は、他の捕食動物には狭すぎるというものだ。そこで中国は2021年、67のパンダ保護区を合体させたジャイアントパンダ国立公園を設立した。公園内にいる12万人の住民の生計確保が課題として残るが、保護に取り組んできた科学者たちにとっては夢のような話だ。公園内の生物は8,000種に及ぶ。米国であれば3つ目に大きい国立公園となる規模である。パンダの保護に有用な研究や技術は、他地域の他の種の保護にも役立つ。これからもパンダのような人気のある動物が環境保護の旗振り役を担っていくのだろう。

 

---

保護区をがっちゃんこするとはさすが中国。中央集権でないとできないことだ。パンダで得た収入を全額パンダ関連事業に還元しているかは怪しいが……。

パンダで有名なアドベンチャーワールドに行ってみたいと思っていたがコロナ禍で忘れていた。最近『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』を観て思い出した。