公開日: 2022/8/23
タイトル: Bleep!
ポッドキャスト: 99% Invisible
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概要: 
放送禁止用語にかぶさるあのピー!という自主規制音。この1kHzの音はどのように生まれたのか。
1920年代アメリカ。ラジオ放送が始まったばかりで、まだ全国放送を担うような大きなラジオ局がなかった頃、ローカルラジオ局は枠を埋めるために何でもありの好き勝手な放送をしていた。1921年ニューアークの番組で女優のOlga Petrovaが避妊に関する政治的メッセージを込めた童謡を朗読した。当時は1873年のコムストック法により避妊、中絶を含む卑猥とみなされる情報の流通(郵送)が禁じられていたため、ラジオ局の人々は青くなった。この件に関して当局からお咎めはなかったが、このような活動家が、ましてや共産主義者が勝手なことを話してしまったら大変だ、と代替案を考えた。これが自主規制音の始まりである。

 

最初はただの音楽だった。一方でクラシック音楽をずっとかけておき、ここは放送すべきでないというタイミングで切り替える。この方法は全国で採用され、1924年にOlga Petrovaが別の放送局で彼女の戯曲を読んだところ途中で切り替えられてしまった。

1950年代には全国放送も普及しており、テレビ放送も始まった。罰金を科すだけでなくライセンスを剥奪する権限を持った連邦通信委員会(Federal Communications Commission)が不適切なコンテンツに関する規制を行う中、新たな自主規制音が生まれた。

ラジオ局は汚い言葉を瞬間的にカバーする音を必要としていた。ほとんどのラジオ放送は完璧な生放送ではなく、実際の放送までに7秒間の時差が生じる。いつでもボタンを押せるようにスタンバイしておいて、いざという時にこの時差を利用してリスナーの耳に届く前にピー音を挿入するのだ。この音はラジオ局のスタッフにとって自然な選択肢だった。ミキサーに内蔵されたオシレーターは100Hz、500Hz等特定の周波数のテストトーンを出すことができる。無音ではリスナーを逃してしまうので何かを流さなければならないというニーズにぴったりだった。

 

この自主規制音は50年代にもよく使われていたが、とある最高裁での判決で一気に広まった。1973年ニューヨークのラジオ局WBAIが"The Seven Words You Can Never Say on Television"という放送禁止用語だらけのコメディを流したところ、親会社のPacificaが連邦通信委員会から警告を受け、アメリカ合衆国憲法修正第1条、つまり表現の自由に関する訴訟に発展した。結果、委員会の規制を支持する判決が出された。以降委員会の権限は拡大し、2006年には$325,000もの罰金までもが可決された。 

 

ある団体の2000年代初期のリサーチによれば、自主規制音の使用は5年間で69%も増加した。自主規制音は不適切な発言をカバーするだけでなく強調もする。番組制作者がこれをクリエイティブに使うようになり、ピー音はちょっと下品でやんちゃなことのサインとなった。わざと最初と最後の子音を残して何を言ったのかバレバレにしたり、逆に長い音で視聴者に内容を推測させたりと、自主規制音があった方が面白いと感じるまでになった。リアリティーテレビ番組で多用されたほか、ジョークの落ちのようにいたるところで使われるようになった。

 

この自主規制音の濫用に権利擁護団体は危機感を抱きボイコット等の行動を起こしているが、自主規制音の使用が減るとすればそれは社会全体が変わり、汚い言葉により寛容になってきているからである。ロイターの世論調査では日常生活で汚い言葉を全く使わないと答えたアメリカ人はわずか14%だった。また2010年に連邦通信委員会が生放送中の一瞬の言葉に対する罰金に関して敗訴を喫したことも規制緩和の波を促進した。

 

最近ではほとんどの放送局は“bitch”や“ass”といった言葉は隠さない。また自主規制音が使われるのは収録済み番組がほとんどで生放送では使われない。ウィルスミスのアカデミー賞での暴言は途中から無音になった。アスリートの試合中の言葉等も同様だ。テレビでは映像が流されるため無音状態が許容されるがラジオはそうはいかない。 しかし本当にあの耳障りな音で間を埋めるしかないのか。WABCで働いていたRichard Factor氏はEventideという会社を設立し、様々な音響効果を提供、1977年にはオーディオ遅延技術を開発した。この発明のおかげでラジオでは自主規制音を使わずに不適切な言葉を切り取り間を調整することができるようになった。

 

しかしあまりに自然に切り取ってしまうとリスナーは切り取られたことにも気付かない。それは本当にいいことなのだろうか。
とある政治番組で黒人と白人2人の候補者の公開討論会が行われた。白人の現職者は途中で苛立ちを抑えきれず罵り言葉を使った。オペレーターはパニックに陥った。放送したら彼も局も委員会に目を付けられるかもしれない。ピー音を使ったら面白おかしく受け取られてしまうかもしれない。しかし何もなかったことにしてしまえばこの現職者の本性という重大な情報がリスナーに届かない。迷っているとマネージャーが彼の手をボタンから離し、そのまま流すように指示した。「これは報道番組だ」と。このマネージャーは黒人であった。結果何事もなく、現職者は落選した。

 

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1973年のFCC v. Pacifica Foundationをググってみたら、5対4の判決だったらしい。表現の自由、検閲に関する判断は難しいが、自主規制音を使いこなす番組制作者たちにこれぞ自由の国!とニヤリとしてしまった。