公開日: 2021/02/16

タイトル: Mazinger Z salva a Venezuela

ポッドキャスト: Radio Ambulante

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概要: 70年代後半から80年代初頭のベネズエラ。Atari 2600にはまった少年はゲーム開発者になるという夢を抱く。パソコンがないため、本や雑誌を教科書に、キーボードを紙に描き、コードをノートに書き留め、フローチャートを作る練習もした。そんな時期に『マジンガーZ』に出会いゲーム開発者になるという夢は『マジンガーZ』のゲームを作るという野望に発展。溜めたお小遣いで半額を出して初めてコンピューターを買ってもらい彼の修業は加速する。

 

ゲーム開発の学校などない時代、大学でシステム工学を専攻したものの、学費が高すぎて2学期で退学。しかし今までの独学の成果があり、プログラミングやシステム関連の仕事で少しずつ稼ぎ出し、1995年にはついに会社設立に至る。まずクライアント獲得に努め、学習ゲームで成功をおさめ、満を持して『マジンガーZ』ゲームの企画に着手する。


遠い日本の作者の許可なんてどう取ればいいのかと考えあぐねていたところ、1999年作者がベネズエラのイベントに招待される。この機を逃してなるものかとプレゼンを行い、永井氏にPCゲームに限るという条件付きで制作・販売の許可を得る。"Mazinger Z"は大ヒット。2001年発表の"Mazinger Z vs Gran Mazinger"も売れた。

 

順風満帆に見えたが風向きが怪しくなる。政権がかわり国営企業の契約を失った。ベネズエラでは人々が生活に苦しみ治安も悪化。デモも頻繁に起こるようになる。会社と国の状況に疲れてしまい距離を置いていた彼は、しかしある晩夢を見る。自らマジンガーZの操縦桿を握り反政府派の人々を守るというやけにリアリティーのある夢だった。兜甲児の勇敢さに憧れた少年の頃の夢が戻ってきた。脚本を書き会社の仲間に相談したところ、空いた時間に内緒で開発を進めようと言ってくれた。タイトルは"Mazinger Z salva a Venezuela" (マジンガーZベネズエラを救う)、悪役には政権の実在の人物を当てはめた。政府への批判が多く見られる中、自分たちなりの抗議をしただけのつもりだった。が、そうは問屋が卸さない。発売後すぐに政府系テレビに取り上げられ、極右の資金提供を受けている、制作者は拘束されるべき等と報道され大事になった。連日の脅迫電話。販売店に罰金が科され商品は没収。被害を最小限にとどめるために自ら回収・破棄依頼に奔走した。


2004年8月、ゲーム回収完了数週間後、国民投票が行われ、58%の得票で政権続行となった。米国の政治介入を疑われて回収対象となったゲームは他にもある。2009年には国会が暴力的なゲームの製作、販売、流通、使用等を禁じる法律を承認した。

彼はコロンビアに移住し現在ソフトウェア開発に携わっている。"Mazinger Z salva a Venezuela"は無料ダウンロードできるように公開されている。

 

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この人の人生がすごすぎてまとめきれない。日本のアニメとの出会いがこんな顛末に……。
何かにのめりこみ、毎日休まず何時間も取り組めるというのはそれだけで才能だと思う。
さらっと言ってるけどイベントに来た永井豪氏に許可を得るって何その運と行動力?! おそらくイベント後正式決定するまでに事務所等と様々なやり取りがあったのだろうけど、まさにChance favors the prepared mind.