フィラデルフィア通信⑱多言語・多文化の人びとがともに暮らす社会へ | 019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

 例年夏休みになると私は大学院生であることを2か月強忘れ、ピースボートという古巣(!?)に戻ってフルタイムで「季節労働」を行う。今年の夏も、6月下旬から2か月間びっちり高田馬場にあるピースボートの事務局に通う日々を過ごしている。普段大学の世界にこもりがちな私にとっては現場感覚を取り戻すいい機会にもなっている。

 

 さてピースボートのある高田馬場だが、ミャンマー(ビルマ)人コミュニティがある街として知られており、ミャンマーレストランなどが多いことから「リトルヤンゴン」とも称される。それだけでなく、早稲田通りにひしめくラーメン屋に交じってインド料理やタイ料理、ベトナムサンドイッチのお店があったり、また語学学校がある関係で日本語を学ぶ国外からの若者が多かったりと、そもそも多様な街である。

 

 この夏1年ぶりに戻ってきてみると、無視できない変化を感じた。「多文化度」が格段にあがっているのだ。コンビニの店員さんのバックグランドが多様だ、というようなレベルではない。街のあちこちで、多言語のお客さんを前提としたサービスが見受けられるようになっている。食堂の券売機が中文や英語などの多言語表示になっている、「英語OK」と看板のある(当然英語で)美容院がある、郵便局で職員が簡単な英語とゆっくりとした日本語で対応している…。そしてそれが、ユニバーサルデザインならぬユニバーサルサービス的に、日本語スピーカーにも当然のように受け入れられているということも新鮮な驚きだった

 

 先日、「ili(イリー)」という、スティック型の音声翻訳機を開発している会社にお邪魔し話を聞いたが、一番需要があるのは地理的にアジアからの観光客が増えているが人材不足などで現場の対応がおいつかない九州などの観光地だそうだ。現場の準備の有無を問わず多様な人が日本を訪れるし、必要に迫られながら必要な投資がなされていくことで、草の根・民間主導で社会の多言語・多文化対応は進んでいく。

 

 しかし今回高田馬場で感じたのは「観光客向け」だけではなく「その地で暮らす人向け」の多文化・多言語対応がうまれてきているということだ。「外国人」のためのサービスという意味での「おもてなしのニッポン」ではなく、日本人・外国人などと考えるまでもなく「ニッポンでともに暮らす」を実現できるかが試される時代がきている。「移民を受け入れなければ」「移民が増えたら…」という議論は昨今活発になされているが、現場ですでに起きていることにまずは目を向け、そこから学ぶことの大切さを改めて実感する。

 

この夏はピースボートの日韓交流の船旅にも参加した。洋上ではどちらがマイノリティになるでもマジョリティになるでもなくどちらもが過ごしやすい環境づくりの整備を試行錯誤した。

 

(SAITAMAねっとわーく9月号 PDF版はこちらから)