舞花ちゃんの本、『恋の相手は女の子』 | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

ピースボートの東京事務所でしばらくお隣の席だったこともある室井舞花ちゃんが岩波ジュニア新書を出した。タイトルは『恋の相手は女の子』。自分が女の子を好きだということを、まずは自分自身にカミングアウトし、そして他の人にカミングアウトするまでの道のり、それから現在のパートナーであるぶいちゃんと結婚するまでに舞花ちゃんが考えたことや乗り越えてきたことが書かれている。そのような中で、ほんとうに「多様性に寛容な社会」とはなんだろうかという大きな問いを読者に投げかけてくる本だ。とりあえずまだの人にはオススメ。


意外にも、読み終わってもっとも強く心に残ったのは豊かな言葉を持ち合わせることがいかに大切かということだった。


舞花ちゃんのパートナーのぶいちゃんは小中学校時代に学校に行かないことを選んだ人。だけど、学校が行くことができないということは当時の社会の常識によれば「ダメなこと」。ぶいちゃんはそんなダメな自分を許せなかったという。

[ぶいちゃんは]自分を許せず、自傷行為もくりかえしました。ほんとうは「生きていく方法がわからない」と伝えたかったけれど、その当時は「死にたい」という言葉でしか、表現することができませんでした。(p.
77

「生きていく方法がわからない」と「死にたい」はたぶんぜんぜん違う。でも、目の前の未来が開けないとき、「死にたい」という言葉しか持ち合わせない人には、それ以外の未来が閉ざされてしまう。

世の中がいつの間にかつくりあげる「当たり前」にあてはまらない自分を自分の中にみつけたとき、人はそんな自分を表せる言葉をなかなかみつけられない。舞花ちゃんがどうしてもウェディングパーティーで着るドレスに自信を持てなかったときも、苦しかった一番の理由は、その自分の気持ちを伝えられる言葉がみつけられなかったから。

最大の問題は、私が服装に強い抵抗がある理由を、アッコさん[ドレスをつくってくれた人]にもぶいちゃんにも言えないまま時間が過ぎていたことです。打ち合わせの場では、「目立ちたくない」「できるだけ普段着みたいなのがいい」「ズボンはイヤだ」と、断片的にリクエストすることしかできませんでした。自分でも、なぜこんなにも涙が出るほどドレスやタキシードがイヤなのかわからず、説明する言葉をもっていなかったからです。(
p.109

だけど、もし自分の中の言葉にならないものを言葉にできたら、自分をわかってくれる人が一人ずつ増えるかもしれない。この本はそんな勇気もくれる。最終的には
アッコさんとぶいちゃんに「あなたの望む姿を、私は笑わない」(p.113)と言ってもらえた気がしたという舞花ちゃんの言葉はひかっていると思った。

どうしてもしんどいとき、私たちはその「しんどさ」を言葉にできるだろうか。言葉には今は見えない未来をつくりだす力がある・・・そんな真摯な姿勢で私たちは言葉と向き合っているだろうか。情報ばかりたくさん入る世の中になったけれど、自分と向き合うため、そして他人に自分のことを伝えるための言葉がそれに比例して豊かになっているかどうかはあやしいように思う。むしろ、よくわからない専門用語や「あるべき論」ばかりがはびこり、言葉のもつ曖昧さゆえの豊かさが失われていないだろうか。

もうだいぶ前のこと。
学部生向けのとある授業で「言葉があるから人は未来を描き、その未来を実現しようと手を取り合える」と教授が話をしていた。普段から言葉というものを気にしていたし、豊かな語彙をもち、言葉を巧みにあやつれるようになりたいとは思っていたが、言葉がないと人間は夢を描くことができないとは考えたことがなかった。ここには舞花ちゃんが教えてくれた言葉を持つことの大切さと共通するものがあるように思う。

ただし、言葉を大切にして言葉をゆたかに育んでいくことと、人を区分する「カテゴリー」をつくることとが同じではないことは忘れないでいたい。舞花ちゃんの本の中には、同性の恋人がいるけれども「レズビアン」や「同性愛者」と自分のことを呼ぶのはしっくりこないと思っているという人の例もたくさん出てくる。「ふつう」ではない人のために「新しいふつう」をつくろうとする、そのような安易な言葉の生産ではなく、「ふつう」をつくろうとすることそのものがバカバカしく思えてくるくらいひとりひとりが自分を表現する言葉をもてるようになったらいいと思う。

舞花ちゃんが本の最後のほうで書いているように、どれだけ人のことを理解しているつもりでも、結局「わたし」と「あなた」は別々の人間で、人間はひとりひとり違う。そのように別々の人間が社会を成しているのであれば、不完全なりに伝えあう言葉を探し続けることを私たちはやめてはいけないのだと思う。

だれかに自分を説明する言葉を探すこと、だれかの話に耳を傾けること、バカにしないこと。それが「人にやさしい社会」や「多様性に寛容な社会」への一歩になるのだと、私は思います。(pp.
185-186

ちなみに言葉をさがす手段は人それぞれ、なんでもいいと思うけれど、個人的には本の中で多くの表現に出会い、その言葉に救われたことが何度もある。と、なにはともあれ、『恋の相手は女の子』、ご一読あれ。