Alamak! シンガポールの風 5 この国の歴史②かつてシンガポールは昭南島とよばれていた | 019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

 7 月末、広島と長崎の被爆者8 名がシンガポールを訪れた。その際に、証言会を兼ねたシンポジウムの企画・運営を担ったが、その過程でこの国の歴史、特に日本との関係について考えた。

 今日シンガポールを訪れると、シンガポール人の親日ぶりにきっと驚くだろう。私の家の近くのショッピングモールにも、CoCo 壱番屋や洋麺屋五右衛門が入っており、日本食材を扱うミニマートもある。若者にも日本に憧れて日本語を勉強している人は少なくないし、日本への観光客は毎年10 万人を超える。


 その一方で、年配の方の中には日本に対して否定的な感情を抱き続けている人も少なくない。日本ではあまり知られていないのだが、日本陸軍がシンガポールを守るイギリス極東軍を攻撃し勝利した1942 年2月15 日以降太平洋戦争終結までの3 年間、シンガポールは昭南島と呼ばれ、日本軍の統治下に置かれていた。その間に、日本がこの地で虐殺を含め残虐な行為を行ったことは、国立博物館や日本占領時期死難人民記念碑(血債の塔)に行けばよくわかる。日本軍は各所に検問所を設け、成年男子をもれなく取り締まり、重点的に検証をおこなった上「好ましからざる分子を処刑した」とされている。 


 そのような国でのシンポジウム。隠さず言えば、告知の過程で「平和を国外で訴えている時間があるのであれば、自国の若者にきちっと歴史を教えるべきだ」「政府がきちんと加害を認めなければ、人道的被害は認めつつも私たちも全面的に原爆被害者に同情することは難しい」などとの日本に対する辛らつな反応もあった。


 同時に、シンガポールには複雑な感情を抱えながらも、とても客観的に戦史を見ている人たちがたくさんいることも、今回わかった。戦争中の虐殺で犠牲になった方が眠る墓地保存のPR をしたり、抗日運動に尽力した僧侶のドキュメンタリー映画を広めたりといったことを、日本人とシンガポール人が協力しておこなっていることも知った。広島で被爆した壷井進さんが「米政府は憎んでいないが戦争を憎む」と発言したがまさにそうで、苦しみを繰り返したくないという同意のもと、それぞれ市民として国に働きかけていくことはできるはずだ。国の過去をきちんと見つめ、間違ったことは間違っていたと認めつつ、ともに未来をみることは可能なのだと思う。


 昨今の日本では憲法改正が話題に上り、政治家の失言も目立つ。日本の政治家たちには、「外から見た日本」も意識し、他国の人たちとの対話の上に見えてくるものを大切に考えてほしい。


「ねっとわーくSAITAMA9月号」より(PDF版はこちらから)

Alamak= シンガポールのスラングで「あらまあなんてこった」の意味