1つの出会いがまいた種*偏見を超えたグローバル化を | 019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

今朝の朝日新聞にこんな記事があった。

「雅子さま、11年ぶり海外公務 オランダ国王即位式に出席」


雅子さまが
11年ぶりに海外公務を果たせた背景には、同じくうつ病や結婚にまつわる慎重論を経験してきたたが故に、雅子さまの境遇に深い理解を示してきたオランダ王室があるという報道だ。公的な関係でありながらも自分たちの経験をもとに温かい関係を築くことを知るオランダ王家は尊敬に値すると感じる。今回の即位式への招待も、「新国王が3月に米ニューヨークで会議で会った皇太子さまにマキシマ王妃は雅子さまに電話でそれぞれ直接招待意向を伝えたという」

 

**


公式な関係においてだって
やっぱりどこまで一個人としてつながれるかがとっても大事なのだと思

 

これを読み、考えながら、少し話は飛躍するがこんなことも思った。

 

国や文化にまつわる偏見や先入観を超えられるのが個人の理性と人情であり、個人レベルでの理性と人情があれば国や文化にまつわる偏見や先入観も変えられるかもしれない。

 

**

 

今から3年ほど前、プラハ行われたとある学生対象の合宿型の会議に参加した。各国から参加者が集まるこの会議で、私はとある中国からの学生と友達になった。たまたま私が手紙を書くのが好きだと知った友人が文通しようと提案してくれ、しばらくやり取りが途絶えてしまっていたが最近ハガキで近況を交換している。

 

ちょうど日中、日韓で領土問題をめぐって政治的に険悪なムードが漂う中に届いた最初のハガキにはこんなことが書いてあった。

 

Before we met, I had some strong prejudices against Japan, unconsciously for no reason. You were the first Japanese I met, and how mind-blowing! I was awed by my ridiculous prejudices. So I started learning about Japan (and China), and the more I learn, the more ashamed I am of my ignorance. I am really sorry for that; and thank you! Sadly, many are still prejudiced with skewed nationalism (as you can see from the recent island disputes).


「あの会議に参加する前、僕は日本に対して嫌悪感ともいえる偏見を持っていました。特別な理由があったからとかではなく、無意識ともいえるものでした。僕にとってはあなたがうまれて初めて会った日本人で、(自分のイメージとは違う日本人に)それはびっくりしました。今まで何を根拠に偏見を持っていたのだろうとばからしくなりました。それがきっかけになって、僕は日本と中国について関心を持って色々調べるようになり、両国について知れば知るほど、自分のそれまでの無知を恥ずかしく思うようになりました。本当に申し訳ない、そしてありがとう。昨今の領土問題を見てもわかると思うけど残念な事に多くの人はまだまだ偏ったナショナリズムに煽られ(日本に対する)偏見を持ったままです。」

 

ひとりとひとりの間の小さい絆だけど、そのひとりとひとりにはとっても大きな意味のある絆になりました。こうやって、地道に地道に偏見はつぶすしかない。でも偏見が「偏った見方」なのであれば必ず乗り越えられる。でもそれは簡単ではない。同じ友人から最近届いたもう一枚のハガキにはこんなことも。

Have you realized how privileged we are? Most Chinese cannot get to college, let alone study/travel abroad. Indeed, we [may say we] achieved [to study and travel abroad] by our own efforts, but it is scary to consider if we were born again randomly. Statistically, we will not be this lucky. If our education/experience shape our mind, likely it differs from the majority.

 

「(海外で勉強したり、海外を旅する経験がある)私たちがどれだけ恵まれているか考えた事はありますか?中国には海外に旅行・進学するどころか大学にさえいけない人がたくさんいます。自分たちの努力もあって僕たちの今があるっていうのは確かにそうなのかもしれないけど、もし全く違う境遇に生まれ変わったらと考えるたまに恐ろしくなります。だって統計的に考えて、今の自分と同じように恵まれた経験をすることができる確率はとても低いのですから。もし教育や経験が僕たちの考え方を形成するのであれば、(僕たちの考えが)大多数の人たちと違うであろうことは想像に難くないですよね。」

 

おそらくこの手紙は前の手紙のメッセージと繋がっていて、適切な教育や出会いを経験すれば偏見は乗り越えられるけれど、多くの人にとってはその機会を得る事事態が難しいといっているのだと思う。私もそう思う。そして今日読んだもう1つの記事を思う。

 

「失言、収束急ぐ猪瀬都知事 五輪招致へ懸念、IOCが説明要求」


この記事では猪瀬都知事がトルコに関する発言の中でイスラム圏に対する偏見から出たと解釈できる言及が多々あったことが書かれている。記事で紹介されている東京外語大の飯塚正人教授(現代イスラム研究)の指摘にあるように、「イスラムの国はけんかばかり」というのは、事実ではない。トルコはどことけんかしているというのでしょうか。発言の背景に「イスラム=テロ、暴力」という偏見があると、イスラム圏の多くの人が感じるだろうと感じるだろうという飯塚教授には同調するし、「長生きしたければ日本のような文化を」という発言に関して、数多くの世界文化遺産を誇るイスタンブールの人々にとってこの発言が「無知の極み」としか言いようがないという指摘も同感だ。

 

**

 

グローバリスムと騒がれるけれど、思った以上に私たちはグローバル化していない。自分たちと違う文化を、貪欲に知ろうとする努力をしているだろうか。開かれた世界なのだから、異文化に関する教養と他国との外交を政治家・官僚まかせにしないで、自ら積極的に偏見を超えたつながりを広げていきたいものだ。