もう、初めから総合病院にいくべきだったなと今更ですが。

5/20    

F病院で撮影したMRIのデータの入ったCD-Rを持ち、S整形外科へ向かいました。

そして到着するとそこにはいつものS院長ではなく、I先生という若い先生が休日当番医として診察していました。I先生は画像を見るなり、神経をかなり圧迫してますね。

僕はI市民病院で椎間板治療のチームなんです。I市民病院にすぐに入院手続きさせますね。

この先生との出会いが本当に良かったです。

5/22

日曜を挟む為、月曜の午前中に紹介状を持ってI市民病院の受付へ。自宅で過ごすのは不安でしかなく、夫は整体が悪かったかな?と接骨院の先生を疑ったり。

でも日に日に悪化していただけかと思います。

5/23

手術の経過を入れてもらえ、看護師さんも急ぎでよかったですね。などと言ってくださり。

5/24

午後からの手術。

麻酔でいつの間にか終わっていました。

麻酔が残っている中、『これが取り除いたヘルニアですよ』と脂身のような塊がいくつか入った瓶を見せられました。

細かく散らばっちゃって取り除くのは大変だったみたいです。

とにかく麻酔が効いて痛みはないし、手術してもらえた安堵感。だけど、右足の感覚もなければ、動かしも出来ない状態でした。

5/25

思うほど痛みは強くなく(痛み止めの点滴のせいでした)息子が飲み物等を持って来てくれました。

5/26

採寸したコルセットが届く。27750円高い!一旦、建て替えとの事。息子に出してもらいました。コルセットをしたので術後、初めて起き上がった。ふぅ〜。

理学療法士の若い女性が担当になり、少しずつリハビリをしていきますと計画書を持って来てくれた。また手術当日からK大学からの実習生が来ていて、私は了承していたので身の回りの世話までしてくれている。とっても可愛い学生さんたちでとても和んだ。恐らく21歳かなぁ?

車椅子も押してもらったり、至れり尽せりです。

夜には夫、妹、母が来た。まだ病院は1人15分の制限中で💦

ほとんど話せない感じだったけれど。

夜は痛みで眠れず、痛み止めの飲み薬をもらう。

→つづく







MRIの予約を明日、F病院へ予約を入れてもらえる事になりS整形外科より帰宅。もう家庭ではホントに生活出来なくなっていました。

翌日、時間のお知らせの連絡があるという事で、朝から連絡待ちでした。しかし、昼になっても連絡が来ない。F病院へ問い合わせると話が通っておらずイラツ。痛くて少しでも早く見て欲しくて。s整形外科に電話をすると受付女性もよく分かっておらず、『あれ?もしかして、忘れられちゃってる感じですか?』調べて折り返しとの事で一旦、電話を切りました。

ものの数分で電話があり、3時半に予約が取れました との事。なんだかスッキリしなかったけれど。とにかく当日中にMRIをとれて良かった。


5/16  

 帰宅後、どうにかシャワーをし、主人に湿布を貼ってあってあもらい、ベッドのある2階へよじ登り休みました。寝て起きたら改善すると思って....。


5/17   

翌朝、やっぱり痛い。でも私だけの収入で生活してるので、我慢して職場へ行きました。

我慢して、我慢してからの〜

ギブアップで早退。主人に整形外科に乗せてってもらい湿布と痛み止めを処方してもらいました。2月かな?ちょうど三ヶ月前に右足の付け根が痛く、その時にも通院し同様の処置で改善したので、今回も同じ流れで なんて甘く考えていました。

翌日は絶対休めない仕事を残していたので早めにシャワーをして休みました。その時はもう一人で立ち上がるのも難しくなってきていました。


5/18

主人は別件でかかりつけ医へ行く為、朝から出かけて行きました。

12時からの出勤で遅かった為、職場の友人Mさんがお迎えに行くよ!と言ってくれ、自宅から50メートルの県道沿いの目立つ場所までやっと、やっと歩きました。彼女が迎えに来てくれた時にはコンクリートに座り込んでしまいました💦

どうにか車に乗り込み、職場に着き、2時間半で仕事を済ませ、アルバイトのKさんが帰る時に私を送り届けてくれました。

車から降りて、足を引きずるようにアパートのドアを開けました。玄関の上がり口は50cm位かと思いますが、やっと上がりました。

レントゲンはやはり異常なし。

痛み止めに頼るしかありませんでした。


5/19

地元では評判の良い、A接骨院へ。

施術してもらい、丁寧な説明も受けたのですが

帰宅時には下半身は力が入らなくなっていました。接骨院の先生が『これで改善しないとなると、病気や腫瘍も考えられるのでMRIをとった方がいいと思います』そう助言されました。 

帰りには昨日の整形外科へ。そしてF病院へ翌日のMRIの予約をしていただき、時間は連絡待ちとなりました。

帰宅時、乗車の際など3回以上転びました。

主人も驚いたでしょう。

ホントに立てない!トイレは這って行き、下着は主人に下ろしてもらい😩→つづく





2023年 5月29日(月)

本文テキスト

私は出勤前に、植木鉢の植物にバケツ1杯の水を、雑だけれどあげてから仕事に向かいます。
植物はそれぞれ可愛いくて、息子や娘から貰ったカーネーションを始め、並びに住む外人さんから分けてもらった松葉菊、去年、娘の家の庭に植えたカモミールなどなど。

それは置いておき、水やりの瞬間、グキッ!ときたのです。腰はめったに傷めないと自負?していた私。
ひとまずその日は本職は休みですが、アパート清掃のバイトの為、主人も一緒に清掃に向かいました。
清掃してからは昨日、父が急遽、入院したため、母を迎えに行き、館林市の大きな病院に向かいました。
父は高熱が出て動けなくなってしまい、救急車で運ばれて来ました。
父は比較的、元気そうでした。面会は15分程度に制限されているので荷物を置き、1階の総合受付のあるフロアへ。
実は親友のお父様も入院していて、親友も同じ時間に面会に来ていました。
その頃には、カートなど掴む物がないと歩くのがきつくなってきていました。
少し親友とお話を済ませ、出口に待つ母の所へ。
車に座り、運転までは何とか出来たんです、グキッと来てから3〜4時間位までは。
母を実家へ送り届け、夫の待つ、車で10分程度の
娘のアパートへ。
娘の家で夕食をご馳走になり、アクセル、ブレーキをやっと踏みながら帰宅しました。→つづく


「たまごっち」が25年間で味わった挫折と成功とは(ダイヤモンド・オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/5ef385109c9e0e79cae03e6e1e5cf4950ab14a4a
6月から卵巣癌で入院していた義母が天国に旅立ちました。
病気が分かった時には末期の状態。
元々は便が出ないという事で診察を受けました。
卵巣癌が悪化して、腸にも癒着していたのです。
余命2ヶ月と宣告されてから4ヶ月も頑張りました。
こんなコロナの世の中でお見舞いにも行けませんでした。
時々、外出許可をもらって、たまたま休みに当たり、1度しか会えませんでした。
途中からはさいたま市の片道2時間の病院に緩和ケアで転院になり、ますます会えず、その頃には腹水が溜まる様にになっていました。
来週こそ会いに行こうと家族と話していた矢先です。
10月6日の早朝に息を引き取りました。前日にたまたま主人と娘、孫の3人でお見舞いに行き、会話もしていたその深夜のようでした。
朝には冷たくなっていたそうです。

義弟夫婦、私と主人の4人で向かったのは⚪⚪典礼でした。なんて早いの!?
とても驚きました。
義母の安置されている部屋に入ると義母に会えました。
旦那が声を震わせて泣いていました。皆、涙。
しばらくして
午後2時には葬儀の打ち合わせがあり、3時間もかかりました。

火葬の空きがないとかで、4日も先になりました。
本日がお通夜、明日が葬儀です。

少ない人数の小さなお葬式ですが、明るく送ってあげようと思います。
本人の希望でした。

あちらで再会するまで、しばらくのお別れです。

肉体は死んでも、魂は生きていますから。

お義母さん、本当に良くしてくれてありがとうね。
痛かったね。
頑張ったね。
そうねぎらってあげたいです。

父の姉にあたる伯母が今日他界した。
お盆にも元気に実家に来ていたのに。
今日は原因究明のため、病院で調べるらしい。
3年前、父の妹にあたる叔母が他界し、翌年は叔母の夫である叔父が他界。
いつも夏なのは何故だろう。
小さな頃から可愛がってもらいました。
父の姉妹はみんないなくなってしまい、父も寂しいだろう。

父も来月81歳。

世間からしたら長生きだけど、まだまだ長生きしてね。

伯母さん、今までありがとう。
戦後の苦労も経験して大変な時代でした。
本当にお疲れさま。
祖母であるお母さんや、妹、旦那さんに会えたかな?
ゆっくりしてください。

また会える時まで。