まあいさんの

ココロとカラダの基礎講座を受講しています。

 

そこでは、

✓自分の体の感覚を感じとること。

✓その体感覚で得た自分の「本当の願い」を叶えること。

について学んでいます。(ざっくりしすぎ)

 

 

私はどちらかというと、

「感じる」を抑え込んでいて、

「思考」で正しいこと、良いこと、常識を無意識に選ぶ傾向がある

と自己分析していて、

 

「感じる」を復活させ、大事にできるようになりたいと考えていました。

 

 

 

最近は、自分の「感じること」に敏感になってきて、

いい感じだな~♪と思っていたのですが、

 

 

先日、まさかの落とし穴にハマってグルグル考えてしまうことがありました。

 

 

それは、「感じること」が相反して、どうしたらいいのよ??と困惑したという案件です。

誰かのためになればと思い、その気付きを綴ります。

 

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物語はこうです。

 

 

①ある日、ママ友から遊びに誘われる。

翌日にある、遠方(バスと徒歩)でのイベントへのお誘い。

ちょっと遠いかなーと思いつつ、イベント詳細を見て楽しそう!と感じて、

「行きましょう!」と誘いに答える。

 

②その数時間後、

翌日の待ち合わせ時間の話になって、

気が重ーくなる。「うぅ。。。。行きたくない。」と。

 

なぜか?と自問すると、「やっぱり遠いから。朝早いし。」

以前、同じ場所で遊んだ時、めーーちゃ疲れてしんどかった。

その記憶が蘇ってきて、無視できなくなりました。

 

③ここで、私は困惑を始めます。

これまでの私なら、そもそも②の感情すら封印していたでしょう。

なぜなら「承諾してすぐキャンセルなんてありえない」から。

でも今の私は、確かに気が重いことをキャッチしています。

 

さぁどうする?私の思考よ。

そうしてシミュレーションを始めた私。

 

 

 

パターンA. お誘いを断る

(心の声)いやでも、なんて断るのよ?数時間前に行くって言ったのに。

・・・でも行きたくないんでしょ?だったらやめとこうよ。

いやでも、なんて言うよ?気が重くなったったって?それはないでしょ・・・

 

 パターンB. 予定通りに行く

(心の声)遠いのは気が引けるけどね。自分勝手に突然キャンセルする人に、私はなりたくない。

ママ友に全く非はないわけだし。私はいい関係でいたいし。

そもそも私が行くって言ったんだし。

 

 パターンC. 場所の変更を提案する

(心の声)今さら感はあるけど、仮に断るなら、場所や時間の変更を願い出よう。

正直に思いを伝えるのよ。アサーションで、うまく伝えないといけないね。

  

 

こう考えながら、

 

なんでこんなややこしい話になってんだー

感じたことに従うと、振り回される!!!

どう行動したらいいか難しい!!!

 

と思った私でした。

 

 

 

 

 

いや、すごい勘違い。

 

上記には、間違いポイントがたくさんありました。

 

 

それを解くカギがコレ

 

 

女性性はどっしりと静かに構えていて、

コロコロ変わるものじゃない

 

 

ということ。

 

女性性という言葉、突然出てきているのですが、

「感じること」と変換してもらうといいです。

 

 

 

 

感じること・・・

 

■イベントを楽しそう、行きたい!と感じたこと

■気が重く、行きたくない!と感じたこと

 

 

これらを相反するじゃないか~と困惑していましたが、

ココ、浅かったのです!!

 

 

 

感じること(女性性)にもっと潜って、その小さな声を聞き取ること。

 

 

もっともっと潜る。

すると、その時に思い浮かべた情景や体感覚が見えてくると思います。

 

 

 

■イベントを楽しそう、行きたい!と感じたこと

↓↓↓↓↓↓↓↓↓

息子が喜びそうだなぁ

夢中になって遊ぶだろうなぁ

他にない刺激的な遊びもできそうだし

楽しませてあげたいなぁと、心が軽くなった

 

 

 

■気が重く、行きたくない!と感じたこと

↓↓↓↓↓↓↓↓↓

以前、同じ場所で遊んだ時、

トイレに行けなくて辛かったなぁ

お腹すいたけど、コンビニがなくて空腹だったなぁ

狭い道路を息子と徒歩で歩くの神経使うなぁ

息子が抱っこ抱っこ言ってつかれたなぁ

帰宅後、エネルギーないのに家事するのきつかったなぁ

…それを回避する方法、明日までに用意できそうにないなぁ・・・と心が重くなった

 

 

 

つまり、こうしてみると、

そもそも「感じたこと」は相反していない

 

 

 

 

本当の願いは、この間、変わっていなかった。

「息子と私、無理なく楽しく遊びたい」

これだけでした。

 

 

イベントに行くとか、遠方に行くとか、

それらは、その願いを叶えるための手段に過ぎないわけで、

願いを叶えるためにあるべきもの。

この願いを先に見据えるべきなのです。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、なぜ、「行きたい」から「行きたくない」へ、私は言うことを変えたのか?

 

 

(私以外の人には「知らんわ」な話ですが)

最初に「行きましょう!」と言ったことこそ、本心でなかったと言えます。

 

 

 

実は最初にお誘いの返答をする際、

私はこう考えていたのです。

 

 

 

明日のことだから、早く返事しないと。

(ちょうど施術の開始前だったのですが)ここで返事しないと、タイミングを逃すな。

いつも返信のタイミング逃して、返事が遅い私。

きっと相手を不安にさせてるかもだから、今日くらいはサクッと急いで返信しなきゃ。

 

 

 

 

と、焦っていました。

 

 

 

確かにこの時、

(遠いのが気になる・・・・)

こうも思ったのですが、

そこを掘り下げることを端折り、勢いで「行く」と返事をしたのでした。

 

 

 

こうして最初に返事をする際に抑え込まれたものが、

数時間後に再び現れて、直視せざるを得なくなったということです。

 

 

 

 

 

 

 

これは年始のお出かけの時♡鳥を眺める息子とお友達。

 

 

 

 

 

自分の行動が突っ込みどころ満載で情けなくなりますが…

 

未来に活かす教訓を一つ。

 

 

 

普段何気なく、

 

「仕事行きたくない」

 

(仕事中に)「家に帰りたい」

 

 

とか、言うことありませんか?

 

 

正直私は、これまでは全く言ったことなくて(←別の闇がある)

今回の件で、ほぼ初めて言ってみました。

 

ですが、こういう人は周りでたくさん見てきました。

 

 

おそらく今回の私と同様に、

なんか小さな嫌なことがあって、それで気が重いことを、「行きたくない」「帰りたい」と変換してるだけだと思うのですが、

 

 

 

だとしたら、

この言い方は本気でやめたほうがいい!

と思うのです。

 

 

口に出して言うことで、気を紛らわしている(ある意味で楽になっている)と思うのですが、

本当の本当に、「仕事に行きたくない」「(仕事中)家に帰りたい」わけじゃないのに

こう言っていると、たぶん、改善されないまま放置されます。

 

 

 

「感じたこと」はもっともっと、深い部分で在るはず。

 

 

何が嫌なの?

何がモヤっとするの?

 

本当の願いは何?

本当は、どうしたい?どうありたい?

 

 

本当の願いにたどり着けたら、改善ができてきます。

願いを満たす、手段を選択するだけ。

 

 

 

たぶん、「仕事嫌だ、やめたい」というところまで来ると、

あまり軽々しく言えなくて、しっかりその気持ちを掘り下げると思うのですが、

「行きたくない」「帰りたい」というのは、軽く使われますよね。

 

 

 

軽いからこそ、要注意。

体感覚は、本当の自分の望みを知るセンサーです。

しっかりとキャッチして、自分を望みの方に導いてあげたいところです。