前のブログ(『嘘の望みが生まれる過程①』)の続きです。
 
 

 

 

私は、自らが惹かれる求人を見つけましたが、

「遠方」「フルタイム」という壁にぶつかって、

諦めるのとと同時に夫を憎みました。

 

 

そして、その悔しさから、

何としてでもその会社に行けないかと夫に問うて、

ある意味、その許可をもらいました。

 

 

でも、嬉しくない・・・・・というお話の続きです。

 

 

 

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その求人は確かに魅力的でした。

職種や仕事内容、働いている人の考えにも惹かれました。

子どもがいなかったら飛びついていたと思います。

 

 

 

 

でも...

 

 

 

 

もう子どものいない世界ではない。

それは自分が一番わかっていて。

 

 

 

 

いま、本当に、その仕事をしたいか?

子どもを保育園とシッターに預けて、夜まで働きたいか?

ご飯も誰かに作ってもらい、それを息子に食べさせることもお願いしたいのか?

シッターでなく、夫や家族に預けられるとしたらどうなのか?

みんなが私に賛成してくれてるとしたら、どうなのか?どうしたいのか?

 

 

 

 

 

そう思った時に出た答えは、

 

 

 

 

私は、働きたい。仕事をしたい。

でも、子どもと一緒に時を過ごしたい。

子どもと、夕飯を食べたい。

お風呂に入って、眠る息子のそばにいたい。

成長を見ていきたい。

 

 

 

 

 

 

これでした。

 

 

 

 

 

 

息子のために一緒にいてあげるのがいい、のではなくて、私が一緒にいたい。

 

 

 

 

夫がやらないから、できないから、私がやるんじゃなくて、私が一緒にいたい。

 

 

 

 

 

そして、この仕事にそこまでこだわるわけではないけど、仕事はしたい。

 

 

 

 

 

 

これが、その瞬間の確かな私の感覚でした。

 

 

 

 

 

 

その時の私は、決して子どもを保育園&シッターに預け、

フルタイム+通勤に3時間をかけて働きたいわけではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして自分の本当の願いに気付いた時、

私は、夫への苛立ちから嘘の望みをつくった自分を明確に認識しました。

 

 

 

 

 

 

そして、さらには、

その夫への苛立ちの本質も。

 

 

 

 

 

マタハラや妊娠にまつわる嫌だったことを、

どこかで『自分も悪い部分があった』と自己否定して押さえ込んでいたこと。

それにより、今もその時の痛みがえずいていたこと。

 

 

 

 

 

夫は家事代行を使っていいと言うのですが、

自分の代わりにさせるならば

安い業者に頼むのが妥当だと決めつけ、

結局見つからずに自分で家事をやっていたこと。

 

 

 

 

 

 

仕事をしていること=価値がある

仕事を休むこと=積み上げた信頼がなくなる

                         =迷惑な存在になる

                         =人が離れていく

                         =価値がなくなる

                         =ゼロに戻る

 

 

 

そんな思い込みで、自分は価値がなくなったという幻想を抱いて、苦しんでいたこと。

 

 

 

 

心の奥底の怒りの本質はここにありました。

 

 

 

 

 

 

私が無意識に夫に求めていたのは、

 

私の遠方フルタイム勤務を認めさせることではなく、

本当の本当は

『私は、妊娠しても仕事をしてなくても、価値がある存在なんだ。』と、

そのままの私を認めてもらうだけのことでした。

 

 

 

 

 

でもそれに気付いたら、夫にそうしてもらう必要もなくて。

 

 

 

 

 

自分で自分の存在をまるっと認めて、おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とんだ踏み間違いをするところでした。

 

 

 

自己否定をして、

自分の価値を認めさせるために

当て付けとしてフルタイム&遠方で働いていたら、

自分の本当に得たいものは得られずに

苦しみを何重にも重ねていたと思います。

 

 

 

 

 

 

欠けた自分を補うための願いは要らない。

 

 

 

 

 

 

 

土の時代から風の時代へ。

時代ももう変わりつつあります。

これからは個性と自由を尊重する時代。

 

 

 

 

 

 

そのままで自分には価値があるという前提で、

本当の願いを真摯に見つめていこう

 

 

 

 

 

そう改めて思わされた出来事でした。