私は、自らが惹かれる求人を見つけましたが、
「遠方」「フルタイム」という壁にぶつかって、
諦めるのとと同時に夫を憎みました。
そして、その悔しさから、
何としてでもその会社に行けないかと夫に問うて、
ある意味、その許可をもらいました。
でも、嬉しくない・・・・・というお話の続きです。
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その求人は確かに魅力的でした。
職種や仕事内容、働いている人の考えにも惹かれました。
子どもがいなかったら飛びついていたと思います。
でも...
もう子どものいない世界ではない。
それは自分が一番わかっていて。
いま、本当に、その仕事をしたいか?
子どもを保育園とシッターに預けて、夜まで働きたいか?
ご飯も誰かに作ってもらい、それを息子に食べさせることもお願いしたいのか?
シッターでなく、夫や家族に預けられるとしたらどうなのか?
みんなが私に賛成してくれてるとしたら、どうなのか?どうしたいのか?
そう思った時に出た答えは、
私は、働きたい。仕事をしたい。
でも、子どもと一緒に時を過ごしたい。
子どもと、夕飯を食べたい。
お風呂に入って、眠る息子のそばにいたい。
成長を見ていきたい。
これでした。
息子のために一緒にいてあげるのがいい、のではなくて、私が一緒にいたい。
夫がやらないから、できないから、私がやるんじゃなくて、私が一緒にいたい。
そして、この仕事にそこまでこだわるわけではないけど、仕事はしたい。
これが、その瞬間の確かな私の感覚でした。
その時の私は、決して子どもを保育園&シッターに預け、
フルタイム+通勤に3時間をかけて働きたいわけではありませんでした。
◆
そうして自分の本当の願いに気付いた時、
私は、夫への苛立ちから嘘の望みをつくった自分を明確に認識しました。
そして、さらには、
その夫への苛立ちの本質も。
マタハラや妊娠にまつわる嫌だったことを、
どこかで『自分も悪い部分があった』と自己否定して押さえ込んでいたこと。
それにより、今もその時の痛みがえずいていたこと。
夫は家事代行を使っていいと言うのですが、
自分の代わりにさせるならば
安い業者に頼むのが妥当だと決めつけ、
結局見つからずに自分で家事をやっていたこと。
仕事をしていること=価値がある
仕事を休むこと=積み上げた信頼がなくなる
=迷惑な存在になる
=人が離れていく
=価値がなくなる
=ゼロに戻る
そんな思い込みで、自分は価値がなくなったという幻想を抱いて、苦しんでいたこと。
心の奥底の怒りの本質はここにありました。
私が無意識に夫に求めていたのは、
私の遠方フルタイム勤務を認めさせることではなく、
本当の本当は
『私は、妊娠しても仕事をしてなくても、価値がある存在なんだ。』と、
そのままの私を認めてもらうだけのことでした。
でもそれに気付いたら、夫にそうしてもらう必要もなくて。
自分で自分の存在をまるっと認めて、おしまい。
◆
とんだ踏み間違いをするところでした。
自己否定をして、
自分の価値を認めさせるために
当て付けとしてフルタイム&遠方で働いていたら、
自分の本当に得たいものは得られずに
苦しみを何重にも重ねていたと思います。
欠けた自分を補うための願いは要らない。
土の時代から風の時代へ。
時代ももう変わりつつあります。
これからは個性と自由を尊重する時代。
そのままで自分には価値があるという前提で、
本当の願いを真摯に見つめていこう
そう改めて思わされた出来事でした。