最近は、子育ての前に「私が」私の心を整えたいと思うこの頃です。

 

 

 

2020年後半の今、風の時代の到来に向けて、

「自分がうまくいかないことを人や周りのせいにする習慣はやめよう」とよく言われています。

 

 

そう聞くと、私はだいたい

「大丈夫、最近の私は人のせいにしていないわ~」とか思っていたのですが、

 

 

先日、思い切り人のせいにして勝手に不幸になっていたことに気づきましたので

その時のことを自戒を込めて綴ります。

 

 

 

きっかけとなったのは、はるかさんのブログ↓↓


 

   ~一部抜粋します~

幸せに生きるためには、『幸せに生きられない原因』を探すのをやめる。

 

過去がこうだったから。

親との関係がこうだったから。

病気だから。

トラウマがあるから。

環境が、生い立ちが、過去生が・・・

 

自分がどのような状況にあっても、どのような状況で生きてきたとしても

 

それを『幸せに生きられない原因』にするのをやめる。

 

 

 

 

自分でわざわざ「幸せ」を遠くに置くことをやめる。

 

クリアしないといけないことを創るのをやめる。

 

「今の自分を変えないと幸せになれない」というルールを課すのをやめる。

 

 

 

 

そして、今この瞬間

 

誰かの(何かの)せいにするのをやめて、幸せに生きると決める。

 

 

 

はるかさんも書いていますが、これを決めようとした時、自分はどう感じるか?

ブレーキを感じるなら、その「感じること」をまず見つめることが大切になります。

 

 

 

私が、これを決めようとして感じたことは、

 

 

 

昨日すっごく嫌だった、イライラした!

疲れているのに家事を押し付けられて、嫌だった

私よりもっと疲れてる人がいたら、私がやらんとけんじゃん?

私がやらんと夫は倒れるじゃん?私は倒れるほどでないからやるけど。

てか、始めからそれ期待されてイラつくんだけど。

 

それを幸せって決めるの?苦しいよ!

このままは嫌だ!幸せって決めるの苦しい!

 

 

 

状況を説明すると、

この日の前日に嫌なことがありました。

 

 

嫌なことの発端は、前々日の仕事が長引いたとのことで、

夫が朝の4時半に帰宅したことに始まります。

 

 

その日は祝日で家族でバスに乗って地域のイベントに出掛ける予定だったのですが、

私は夫の体調を考えて、夫は家で休んだ方がいいと提案しました。

そして、私は息子と二人で予定通りに出掛けました。

その時の私は、激務をこなす夫をいたわる気持ちに満ちていました。

 

 

 

 

ですが・・・・

 

 

 

 

慣れない場で、2歳の暴れ狂う息子と二人のお出かけはキツかった

 

 

 

トイレ行きたい。。。けど、息子が言うこと聞かなくてなかなか行けない

夫がいたらすぐに行けただろうに。

 

お腹すいた。そこのコンビニで何か買ってたべたい。。。けど息子が今夢中で遊んでるから我慢しよう

夫がいたらすぐに買いに行けただろうに。

 

やばい、めっちゃ疲れた。息子もかばんも重くてしんどい。。。がんばれ私。

夫がいたら、抱っこを替わってもらえただろうに。

 

 

そんな調子で、帰宅時はもうグッタリでした。

息子は空腹に加えて眠気もあり、グズグズ騒いでいるけれど、

私もお腹がすいてヘトヘトだし、眠くて仕方ない。

 

 

でも。。。

 

 

そこから夕食を作らねばならない・・・!!

 

 

 

お惣菜を買いに行くのも辛いし(うちは車がない)、手作りの温かいもの食べたい。

 

だから私が作るけど。

 

作るけど・・・・!!!!(寝ていたいよ涙)

 

 

 

夕食を作りながら、

 

息子の夕寝の寝かしつけと称して寝室で寝ている夫に無性にイライラしました。

 

夫がいないから大変だったじゃないか!!と。

 

 

初めて起震車に乗りました♡人気で行列ができてました。

 

 

 

 

 

 

 

そして夕食の後、

私は最終的に「夫の職場」を悪者にして夫に怒りました。

 

 

 

『もちろん寝るように言ったのは、私だよ。

 

だけどね、そりゃ、朝から翌日の4時まで働いた人を寝かさないわけにはいかないでしょ??

 

夫はもともと持病もあるから、本当に倒れちゃうし。

 

ていうか、そもそもこんな働き方おかしいでしょ??

 

わたしは、今はパートタイム職だけど、この間までのフルタイムだったらどうなのよ?

 

妻が専業主婦であることを前提にした働き方をさせるな!!!妻のキャリアをつぶす気なの??!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

…という、前日の出来事を思い出し、

こんな目にあった自分を「幸せと決める」ことに苦しさを感じていました。

 

 

 

でも、こうして一通り感情を書き出したとき、ある疑問がわいてきました。

 

 

 

・・・だから、自分は幸せでないというの??

夫の帰宅時間によって私の幸せが左右されるのっておかしくない?

 

 

早く帰宅したら幸せになる??それ本当??

その分、夜の自分時間が無くなるって嫌だったりするんじゃない??

 

 

 

起きた事実は、

 

「夫が4時半に帰宅した」

「夫が疲れてそうだった」

 

それだけ。

 

 

 

そこで自分どうするかは、私が選べたんだ。

 

 

 

イベントに行くかどうかも、そう。

・夫も一緒にイベントに行く

・イベントに行かないで自宅で過ごす

・イベントに行かないで息子と遊べる近所の場所を探す

・後日、代わりに違うイベントに行く

 

 

イベントでどう過ごすかも、そう。

・予定を減らして、ゆっくり行動できる時間を作る

・移動を減らして、体力を温存させる

 

 

夕飯を自分で作るかも、そう。

・夫に頼む

・温かい手作りのものを買う

 

などなど

 

 

 

選択肢はたくさんあった。

 

 

そこで選べなくしたのは、間違いなく自分だった。

 

 

「夫を支えないといけない」

「私が夫の穴埋めをして、子どもには予定通りに楽しませてあげないといけない」

 

 

そんな思い込みで、

私は自分の行動を制限して、自分を苦しめていました。

その時々で、自分にベストな選択をできたはずでした。

 

 

夫の帰宅時間は「私の幸せ」に関係なかった。

 

 

 

そしてもう一つ、気付いたことがあります。

 

それは、

 

「私が夫の穴埋めをして、子どもには予定通りに楽しませてあげないといけない」

 

このような思い込みで行動をした結果、得たもののことです。

 

 

 

・予定通りにバスに乗り現地に行った

・息子と起震車に乗った

・ぬりえを楽しむ息子をみて私も楽しんだ

・息子と公園で走り回って遊んだ

・ご当地キャラクターにも会った

・お友達にも会って一緒に遊んだ

 

 

そうだ、むしろ私は、

めっちゃ盛りだくさんで、息子と楽しく遊んだんだった!

 

 

 

シャボン玉を追いかける息子。手でパンッと割るのが楽しいよね。

 

 

 

あの時、笑顔で楽しむ息子と、それを見て楽しむ私が確かに存在していました。

すごく楽しかった。息子といろんな初めてを体験できて、私は幸せだった。

 

 

さらには、普段のお出かけの際には、いろいろと協力し合える夫がいることにも気づきました。

普段のお出かけで、行きたいときにトイレに行けるのも、何かあればコンビニにすぐに行けるのも

疲れたら休憩することができるのも、全部、夫がいるからだったんだ。

 

 

ここまで気付いたら、もう不幸じゃないです。

 

 

状況や環境にせいにするのは、本当にもうやめよう。

どんな状況でも、どんな環境でも、私たちは自分の在り方や行動を必ず選ぶことができる。

過去のブログで「夜と霧」の書評を書きましたが、それにも通じることだと思います。

ナチスの強制収容所にいても選べるわけですから、大丈夫に決まってます。

私は今すぐ、幸せになると決めます。