『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑む』ポール・タフ 

 
 

 

筆者の問題意識は貧困家庭で育った子供の教育格差にあります。

低所得層の子供たちの成果を改善するために非認知スキルが決定的に重要になると筆者も含めて多くの人が認識しているが、その非認知的な気質を伸ばす最善の方法については結論が出ていないことについて、「それで結局どうすればいいのですか」という質問に答える試みとなっていると、初めの章で説明されています。

 

また、そのアプローチとして、さまざまな成功事例について根底にあるアイデアや戦略の具体例を検討しています。成功例がなぜ成功したのか?成功例の核となる原則を抽出して解説し、共通点を見つけることがこの本の目的、と位置付けています。

 

成功した事例の詳細や代表のインタビュー、現場の雰囲気なども事細かに取材されているのに加え、科学的な心理学実験の結果も豊富で読み応えのある1冊でした。

 

 

私の中で印象的だったものを4点あげます。

 

 

①非認知能力は子供を取り巻く環境の産物である

 

 

著者は前半の章において、非認知スキルの育み方の基本的な着眼点について述べています。

生徒から非認知能力をうまく引き出すことのできる教育者たちは、こうした「スキル」の話を教室ですることはない。「グリット」、「気質」、「自制心」と言った言葉を使うことはない。子どもたちの非認知能力を伸ばそうとする際、普通にものを教えるときの方法論を使うのは間違っている。 

 

「非認知能力は教えることのできるスキルである」と考えるよりも、「非認知能力は子どもをとりまく環境の産物である」と考えた方がより正確であり、有益でもある。 

 

子どもたちのやりぬく力やレジリエンスや自制心を高めたいと思うなら、最初に働きかけるべき場所は、子供自身ではない。環境なのである。

 

これには大変共感するとともに、この言葉使いにはなるほどと思いました。

本書の中の成功事例として、「環境」である親や周囲の大人の反応や教室の雰囲気にも述べられていますが、そもそものこの着眼点(視点)がとても重要であり、一貫してここを捉えようとしてたからこそ、最後まで読んだとき、掴めるものがあったのではないかと思います。

 

 

②学習のための積み木 理論

 

筆者は、逆境でストレスを抱えて育ってきた子どもが幼稚園に入園すると、子供たちがそれまで受けてきたストレスが様々な形をとって現れると述べています。

 

大きな逆境の経験なく育った子どもたちは、幼稚園に上がるまでの能力の発達過程はたいてい望ましい道筋をたどっており、注意を向けたり集中したりするための能力の土台となる神経の連結が出来上がっている。こうした能力は、幼稚園以降の学校生活で良い成績を上げるのに大いに役立ちます。

 

しかし、このような基本的なスキルを身につけずに幼稚園に上がってしまうと、幼稚園生活への移行はずっと困難になります。習得を求められる物事が多すぎて圧倒されてしまい、小学校では教科書のページに集中できず、数感覚の基礎を身につけられなくなります。

 

こうした現象について、筆者は、非営利団体ターンアラウンド・フォー・チルドレンが2016年に作成した報告書の中で述べた<学習のための積み木>という理論を紹介しています。

 

レジリエンス、好奇心、学業への粘りといった高次の非認知能力は、まず土台となる実行機能、つまり自己認識能力や人間関係をつくる能力などが発達していないと身につけるのがむずかしい。こうした能力も、人生の最初期に築かれるはずの安定したアタッチメントやストレスを管理する能力、自制心といった基幹の上に成り立つ

 

この理論がどう役に立つかというと、小学校以上において勉強ができず、落ちこぼれ、問題を起こしている子どもに対して、教師や学校管理者は「態度が悪い」「モチベーションが低い」ように見てしまいがちだけれど、それは個人の性格の問題として捉えるのは誤っていると気付かせてくれることです。

 

彼らは、幼少期のころの出来事のせいで、神経認知障害をを引き起こし、教科書のページに集中できなかったり、感情や不安が神経システムの負担になり、気が散って数感覚の基礎を身に着けられない場合が多いのです。そうして落ちこぼれることによって自分も学校も嫌になり、それがさらにストレスを生み、問題行動をとるという悪循環に陥っているのだと、教師たちは気付くことができます。

 

いい換えると、【単に問題行動を繰り返している子ども】ではなく、【健全な自制メカニズムを発達させられずにいる子ども】として認識することができるのです。

 

そして、そのうえで筆者はこうも述べて、その後の成功事例の紹介に繋げています。

 

問題を抱えた若者の動機づけとして、なぜ厳しい罰則では効果がないのかはこれでわかる。学校の規律に関するプログラムは、罰を与えることよりも生徒が自ら自制能力を発達させようとする状況や仕組みをつくりだすことに重点を置いた方がもっと効果があるはずである。

 

「学習のための積み木」は、とても画期的な考え方だと感じました。

基礎として自制能力を持っていないことが学業にも影響するというのは、あまり認識されていないように思います。幼少期の逆境によってそのような能力を身につけられなかった子どもが、教師たちに「態度が悪い」「反抗的な性格だ」などとして、責められ居場所を失うのは残酷な話だと感じてしまいますが、それはこの考えを理解しているからであって、そうでない場合は表面的に「問題児」と受け取ってしまうのが残念ながら一般的かもしれません。これを知るのと知らないのでは働きかけはまったく違うものになるだろうと思えました。

 

 

③デシとライアンの「自己決定理論」

 

教育における動機について、著書はいくつかの実験を検証しながら、教育における賞罰システムには効果がないこと、また、インセンティブを利用したプログラムもモチベーションの低い生徒や貧困層の生徒には効果がないことを示しています。

 

そして、低所得の子どもたちがもっと懸命に勉強して学校でがんばり通せるようにするにはどういった動機付けが必要なのか?という問いに答えるかたちで、デシとライアンの「自己決定理論」の説明をしています。※ここでは引用でなく、箇条書きにまとめます

 

 

「自己決定理論」

ロチェスター大学の2人の心理学者、エドワード・デシとリチャード・ライアンのライフワーク「自己決定理論」。私たちは多くの場合、自分の行動が生む表面的な結果ではなく、その行動によってもたらされる内面的な楽しみや意義を動機として決断を下す。二人はこの現象を「内発的動機付け」と名付けた。さらに二人は、人が求める3つの鍵を見きわめたー「有能性」「自律性」「関係性(人とのつながり)」である。そしてこの3つが満たされるときにかぎり、人は内発的動機付けを維持できると述べた。

 

 

「有能性」「自律性」「関係性」の3つを促進する環境を教師がつくりだせれば、生徒のモチベーションはぐっと上がる

 

 

生徒たちが教室で「自律性」を実感するのは、教師が「生徒に自分で選んで、自分の意志でやっているのだという実感を最大限に持たせ」、管理、強制されていると感じさせないと気である。また、生徒が「有能感」を持つのは、やり遂げることはできるが簡単すぎるわけではないタスクー生徒たちの現在の能力をほんの少し超える課題ーを教師が与えるときである。さらに、生徒が「関係性」を感じるのは、教師に好感を持たれ、価値を認められ、尊重されていると感じるときである。

 

「生徒が自律性、有能感、関係性を実感できる教室環境は、内発的動機づけを育てるだけでなく、あまり面白くない学習作業も進んでやる気にさせるものだ」

 

 

そして、デシらの研究をまとめたうえで、筆者はこう述べます。

 

非認知能力は心の状態のようなものー環境に左右される複雑な土台ーと考えた方がよいのではないか。よい学習環境を身につけるために子どもたちが何より必要としているのは、自分が自立した存在であり成長していると感じられる環境、なおかつ帰属意識の持てる環境で、できるだけ多くの時間を過ごすことではないか。

 

デシとライアンの「自己決定理論」は以前も別の本で読みましたが、また少し違った角度で受け取れました。考えてみれば、例えば”東大生の母親がやっている習慣”なんかも、「自律性」「有能感」「関係性」のポイントが隠れていることが多くて、子どもの能力を伸ばす(やる気を引き出し、学力を向上させる)のに理にかなっているものだと思えたりもします。いずれにしても、「自己決定理論」は知っていて損はない有効な理論と改めて感じました。

 

 

④やり遂げる経験によって「非認知能力」はつくられる

 

筆者は、自律性重視の学習を行う非営利団体<ELエデュケーション>の学校について取材しています。筆者がELについて調査したのは、「人間関係」と「学習指導」その2つでもって、教師が子どものポジティブな心のありように貢献しているためでした。

 

ELの取り組みについて、その2つの側面からざっと説明します。

 

人間関係の側面で重要なのは「クルー」と呼ばれる制度。「われわれは乗組員(クルー)だ。乗客ではない」というスローガンが示すよう、生徒たちはグループ単位で数年にわたって一緒に話し合いをしたり助言を受けたりする。こうして多くの生徒にとって、クルーが最も帰属意識の持てる場所になっている。

 

学習指導の側面で重要なのは「協同学習」。生徒の参加を求める双方向のやり取りが多くなるようつくってある。生徒の議論や大小のグループ活動が非常に多い。教師が会話を先導することもあるが、一方的に講義をする時間はほかの公立高校の教師たちよりもずっと少ない。多くの場合、課題はグループで協力して取り組み、クラス全体、学校全体、地域社会全体の発表によって完結する。それに加え、可能な限り評価も自分たちで責任をもって行う。

 

 

なかでも私がとても興味深いと思ったのは、そのELの教育部門の責任者、ロン・バーガーのインタビューです。

 

不安定な家庭が引き起こすストレスやトラウマがどのように子どもの発達を揺るがし阻害するかは、直接の体験として知っているし、子供達が幼少期の挫折から回復するには正しい支援が不可欠だと理解している

 

情緒面が損なわれると子供は様々なやり方でそれを自分のアイデンティティに取り込んでしまいます。内にこもって自分を守ろうとする子供もいますし、タフガイの殻をまとって学校では態度を硬化させる子供もいます。いずれにせよ、そういう子供達はクラスで貢献することができなくなるのです。議論に参加することも手をあげることも勉強に関心を示すこともできなくなる。情熱とか、反応とか、そういったもの全て抑え込んでしまう。学校で思い切って何かをやってみることができないのです。思い切ってやってみなければ学ぶことはできません

 

 EL の考え方では性格(彼らにとって非認知能力と同義)は講義や教師からの直接の指示によって作られるのではなく、やりがいのある学習作業を粘り強くやり遂げた経験によって作られるといいます

 

子供たちにもっと自信を持ちなさいとか、知的な胆力を持ちなさいと話すだけで”性格を変える”ことはできません。子供たちが性格を学び取るには、サポートを受けながら、思い切ってやってみることを継続的に強いられる必要があります。作業を親とともにこなしたり、グループで一緒に勉強をしたり、クラス全員の前で話をしたり、完成したものを発表したり。このようなクラスへの参加を求められると、生徒たちは最初は緊張したり、わめいたり、助けを求めたりする。しかしやがて自信がついて、自分でやるようになる。そういうチャンスが性格を作り上げるのです

 

学校において、人間関係から生じる絆や帰属意識は必要であるが、それだけでは足りておらず、生徒が本心から学校に興味を持つためには生徒は「自分は重要な活動をしているのだ、深く、手ごわく、やりがいのある活動をしているのだ」と思う必要がある、というのがELの考えだといいます。

 

これにも大変共感するとともに納得しました。

自信をもつには、何かに挑戦して「できた」という感覚=自己効力感が必要です。

単に「自信をもとう」と誰かに言われても、自分で思っても、何にもならないのは多くの人が知っているここと思います。やり遂げる経験を大事にせねばと改めて感じました。