私にとって、本当の理解者は誰だろうか。
少なくとも、夫ではないのは確かである。
妹でもないだろう。
夫の両親でもないだろう。
やはり、母親が本当の理解者なのだろうか。
母親と話している時は、私の事などこれっぽっちもわかっていないと
そう思えてならない。
しかし、夫と話をしていると、
ふと、母親の「これから苦労すんで!」という言葉を思い出す。
今の時点で苦労するかどうかなんてまだわからないが
なんとなく、母親の言っていた意味がわかるような瞬間があるのだ。
話は随分変わるが、最近奇妙なニュースが多い。
少し前は子供が親を恨み殺すという事件が続いた。
最近はいじめによる自殺が続いている。
あげくの果てには教師が自殺するという事件まで起きている。
私は今まで生きてきて母親に腹を立てた事はあるが、
殺してやりたいとは思った事は一度もない。
と言えば嘘になるが、思ったとしても実行するだけの勇気がなかった。
どこかで、私の中の理性が働き、人を殺してしまったらその後どうなるかと
そこまで考えた上で、自分の人生を棒に振りたくはないと思い、実行には至らない。
いじめについても同じである。
私は小学校の高学年3年間、いじめを受け続けた。
きっかけは本当に些細な事だった。
私がクラスメイトの男の子と幼稚園が一緒で
その子とよく遊んで、どろんこになって
よく一緒にお風呂に入ってたらしいと、仲がよかった友達に言ったのだ。
その1週間後あたりから、いじめが始まった。
お金を取られ、教科書を捨てられ、ランドセルは蹴られ殴られでボロボロ。
あげくの果てには、一生懸命やった宿題を提出したら、
忘れてしまったある女の子が自分の名前に書き換えて、私が忘れた事に。
学校に行くと必ず、制服からたいそう服に着替えるのだが、
帰りに制服に着替えようとしたら、制服がなくなっていた。
裏庭のどぶにおとされ、ビショビショのまま家に帰った記憶がある。
ちょっとした事から、ここまでひどいいじめに発展するのだ。
しかし、私は3年間で3日間登校拒否をしただけで、毎日学校に行き続けた。
当然、最初は母親にはいじめの事を言えずにいた。
いじめのサイクルというのがあるのだ。
いじめられる→親に言う→親が学校に言う→担任がホームルームでいじめの事実の確認を取る
→いじめた方が私になんで、親にチクったんだと更にひどいいじめを受ける。
これがあるがために私は母親にいえなかったのだが、当然不信な点は出てくる。
そして、ついにいじめの事を言った時、母親はすぐさま担任に聞きに行った。
そのとき、私はいじめがひどくなるのを覚悟した。
案の定ひどくなったが、学校側は何ひとつしてはくれなかった。
そして、母親は私に「強くなりなさい」とそう言ったのだ。
更に、「なにが原因なのか、あんたは全く悪くないのか」と言われたのだ。
その時、なぜ私がいじめられるようになったのかを真剣に考えた。
そして、あの時の些細な発言が原因だとわかったのだ。
それから、私もいじめられるような要素があったんだと反省した。
今でも、あの時の母親の言葉がなければ、私も自殺していたかもしれない。
そう考えると、やはり、母親が一番の理解者という事になる。