今日は、すごい嵐でしたね。

 

窓を開けていた仕事部屋にあった

ノートパソコンはびしょ濡れ。

しかも蓋を閉じてなかったので、

キーボード部分が チーンもやもや

 

寝室も窓が開いていて、

せっかく乾いて

取り込んであった洗濯物も

濡れてました。

 

これで、終わったら良かったのですが・・・

寝室に行った時は、

すでに雨が弱まっていて、

窓を閉めずに、

開けっ放しにしていたんです。

 

そうしたら・・・

再度、土砂降りになり、

せっかく拭いた寝室は、

再度、広範囲にわたって水浸し。

 

先ほどは、濡れるのを免れた

洗濯物たちもビッショビショ 笑い泣き

 

唯一の救いは、

ベッドが濡れなかったこと ウインク

 

 

さて、前置きが長くなりましたが・・・

今日、とっても考えさせられることが

ありました。

 

 

3段ボックスの後ろって、

微妙に隙間が開いていませんか?

 

探し物をしていて、

その隙間に粘土ベラを落としました。

 

普段は、落ちたらイヤなので、

ガードをしているのですが・・・

 

なぜか、そのガードがなく、

隙間に落ちました。

 

で!

私 : ここガードしてなかったっけ?

 

旦那 : ガードなんて無かったよ。

 

でも、ふと見たら、ガードが棚に置いてある。

 

???

 

私 : ここにガードあるけど???

 

旦那 : バッタが棚の後ろに入ったら、外したんだった

 

ということで、粘土ベラを取る役目は

旦那になりました。

 

で、

旦那 : よくこんなところに落ちたね

     板があって落ちようがないけど

 

私 : 落ちたもんは、落ちた。

 

私は、板がどうなっているかも確認せずに

だって、落ちたんだもの!と思いながら答えました。

 

私は、旦那に、

「そんな所に落ちるはずないだろ!」

と言われているようで、

すごく気分が悪かったのです。

 

私は、そうやって

私を否定する旦那が大っ嫌いです。

 

 

 

でもね。

 

私は、私のことを主張することで

同時に旦那に

私がされてイヤだったことをしたのです。

 

旦那の見ているものを

「落ちたもんは落ちたと」

否定したのです。

 

 

そうやって考えてみると・・・

 

旦那の片づけないで

出しっぱなしの所が嫌い

 

⇒片づけられない私が嫌い

 

 

すぐに子どもにイライラして

大声を出す旦那が嫌い

 

⇒イライラして、怒ってしまう

  私が嫌い

 

と次々に旦那の大っ嫌いな部分が、

自分が自分で好きじゃない所

だと気付いたんです。

 

鏡を見ているようで、

大っ嫌いだったんです。

 

自分が、

片づけられないとか、

子どもに、イラっとくることとか、

 

そんな自分もいるよね

って、赦せてない部分。

 

 

自分が気にしていないことは、

他人がどんなやっても目につかない

と言います。

 

例えば、少し前までは、

旦那が寝落ちしたときに

「また寝落ちしちゃった」

とイライラしながら言う

旦那の声に反応して、

私もイライラしていました。

 

よくよく考えてみると

私の問題では無くて、

旦那の問題なので、

私がイライラする要素は

無いことが分かるのですが・・・

 

あの頃の私は、

夜、子どもが寝たら

やらなきゃいけないと思っていた

仕事が沢山あって、

寝落ちしちゃう自分を責めていたんです。

 

でもね。

 

寝ちゃうほど、疲れていたんだね。

早く寝れて良かったね。

と、

そんな自分もいる。

それもOK!

と認めてあげるようにしたんです。

 

そうしたら、

旦那のイライラが

私に伝染することは

無くなりました デレデレラブラブ

 

そうだよね。

子どもの相手は体力つかうよね。

でも、やりたいこともいっぱいあったよね。

うん。うん。

 

と流せるようになりました。

 

だから、旦那のイライラすることろは、

私が、私をまだ赦せていない部分。

 

キラキラ旦那は私の鏡キラキラ

 

自分の赦せていない所を見せてくれる鏡。

私が、自分を大好きになるために

悪役を買ってくれている鏡。

 

そう思うと、ありがたいですね。

 

 

まだまだ

旦那は大っ嫌いだけど・・・

自分を好きになっていった先に

きっと違った世界が待っている!!