「いつまで待たせるんだよなぁ。」

いつものこととはいえ、この時間は苦痛だ。
蜂窩織炎は落ち着いたが、そもそもの原因である糖尿病の診察だ。
 
月に一度の診察が正直1日仕事だ。1時間、2時間待たされることはないが、一月分の薬をもらうと毎回午後1時過ぎ。
気がつけば半日終わってる。担当医の栗原先生は30代の女医さんだ。優しくいつも微笑んでいる。ただ、いつも診察ベッドの上にケリーバックが鎮座ましている。「そこは患者のベッドじゃないのか?あんたの荷物置き場かよ。」とツッコミをいつ入れようかと我慢している。そんな微笑みの彼女が今日はいつになく神妙だ。
いつもだったら、血糖値の記録を確認し、血液検査の結果に目を通し、血圧を測って、「ではお薬をお出ししますね。次回は6週間後の○月○日でいいですか?」というおきまりのパターンが今日は違った。
 
「うーん、後藤さん、腎臓の値が良くないですね。」
「えっ、腎臓?」
「そう、腎臓」
 
えっ、なんで?
気まずい静寂の診察室。質問すべきか躊躇していたらいつも釘付けの画面から視線を外して栗原先生は微笑んだ。
「腎臓内科の診察をしてもらいましょう。多分、あと半年ぐらいで透析が必要になると思います。」
「えっ透析?」
「ええ、透析」
まさに、晴天の霹靂とはこのことだった。
糖尿病性腎症については糖尿病教室やネットサーフィンで理解していたが、糖尿病自体は血糖値もヘモグロビンA1cも安定していると思っていたので、全く眼中になかった。
もともと体が大きく肥満ではあったが、大病もなく元気だったので、気にしていなかった。
ただ、この所、入院を繰り返していたのも「50歳だし、年取ったせいかな。」と楽観していた。
 
しかし、この日から大きく人生が動き始める。
それは、微妙くもあの占い師の言葉を証明するようだった。
 
 
「あなたの本当の人生は50歳からよ。」
寒風の吹くターミナル駅の片隅で老婆はそう言うとタバコに火をつけた。
20歳そこそこの僕はキツネにつままれたようだった。
なぜなら「僕の人生これからどうなるんですか?」と尋ねたらその答えが「50歳」だったんだから。
タバコの煙の奥から彼女は静かに語り続けた。
「あなたは典型的な大器晩成型。30歳前には結婚もするし、子供にも恵まれる。多分3人か4人ね。でも、あなたの本当の人生は50歳から。45から50歳ぐらいで命の危険にさらされることもあるけど、それを過ぎたら80歳ぐらいまで生きるんじゃないかしら。特に問題はなさそう。」
20歳の僕は初めて挫折と言うものを経験した。
その日、大学から届いた手紙には成績表が入っていた。そこには、留年の文字が書かれていた。
学校には通っていたが、大いに遊んでいた。そのつけが見事に回ってきたのだ。今にしてみれば、「あんだけ遊んでいたんだから当然だ。」とおもうのだが、当時は妙な自信があり、「絶対留年しない!」と思い込んでいた。浅はかだった。稚拙な思考から不安が募り何かに頼りたいと思い占い師に尋ねたのだった。
 
「…50歳だよな。」
診察室を出た後、思わず口を出た一言だった。
占い師の行ったことはこれでほぼ当たってしまった。あとは80歳まで生きるかどうかだけだ。「50際で花開く」人生じゃなかったのか?これでは「50歳から苦しみの人生」が俺の本当の人生なのか?
心のざわめきを収めることが出来ず、ただ、今の現状に真摯に向き合おうと平静を装いながら次回の腎臓内科の予約の段取りをするのだった。
 

この物語はフィクションです。物語1として書き綴っていきます。今回はチャプター7でした。
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