12月24日

 

茂木 善作 もぎ ぜんさく

1893年(明治26年)12月10日 - 1974年(昭和49年)12月24日

日本の陸上競技選手、スポーツ指導者

 

1920年(大正9年)2月、

第1回東京箱根間往復大学駅伝競走に東京高師10区として出場

東京高師は復路スタート時点でトップと8分27秒の差がついており、

茂木がたすきを受け取った時には11分52秒に差は拡大していました。

トップの明治大学をとらえ、明治大と25秒の差で優勝しました。

筑波大学は最近おしいところで出場できていませんね。

 

読売新聞 100年前の話です。

 

1920年アントワープオリンピックの日本選手団

10000m、マラソン日本代表

10000mでは予選3組で12位

マラソンでは2時間51分09秒4で20位

 

1921年(大正10年)の第2回箱根駅伝にも10区で出場

1922年(大正11年)の第3回箱根駅伝は5区で出場し区間2位

東京高師在学中は、800m・1500m・10000mで当時の日本記録を樹立している

その後、満州国へ渡った茂木は満洲国体育協会理事を務めました。

日本体育協会(現・日本スポーツ協会)役員や山形県縦断駅伝競走審判長を務め、

山形県のスポーツ振興に寄与した。

 

スポーツマンとして

腹八分で留めること

足を冷やさないこと

練習後は入浴と自己マッサージをし、うつぶせに寝ること

心に邪念の無いようにすること

を大切にしていました。

 

故郷の酒田市では、茂木善作顕彰会を設立し、

1965年(昭和40年)から地区の運動会で「茂木善作顕彰マラソン大会」を開催、

酒田市巡回駅伝競走大会などの活動を通して茂木の功績を後世に伝えています。

酒田市の常福寺に墓にあります。

 

 

 

 

いだてんにもでてきましたね。